ndjc2012完成作品庄司輝秋監督『んで、全部、海さ流した。』
真冬の石巻。元ヤンの弘恵は高校中退後、仕事もせず仲間からも疎まれ鬱々とした日々を送っていた。ある日、弘恵はノロマでデブの少年・達利と出会う。交通事故で妹を亡くした達利を元気づけるために「長浜の海で大切な人の遺品を燃やせば命が蘇る」という嘘をついてしまう。弘恵は自分の“客”である小林を呼び出し、その儀式を実行するために、3人で海を目指す・・・。
出演:韓英恵、篠田涼也、足立智充、半海一晃、 いわいのふ健
製作総指揮:松谷孝征(VIPO理事長)、製作:ndjc2012事務局(VIPO)、プロデューサー:山上徹二郎、ラインプロデューサー:渡辺栄二、監督・脚本:庄司輝秋、音楽:中川五郎、撮影:釘宮慎治、照明:杉本周士、録音:小川武、美術:磯見俊裕、 露木恵美子、編集:金子尚樹、助監督:岩渕崇、制作担当:田島啓次、 和氣俊之、キャスティング:西川文郎、制作プロダクション:シグロ
―庄司輝秋監督に迫る(プロフィール)1980年宮城県石巻市出身。東京造形大学にて彫刻を専攻。卒業後はCM制作会社に勤務し、様々なコマーシャルの制作に携わる。オリジナルの映像制作にも励み、ショートショートフィルムフェスティバル&アジ(SSFF&ASIA)2009では、地球温暖化問題に対して独自の視点から創作した短編映画「LINE」を発表。審査員・観客の高い評価を受ける。推薦団体:ショートショート フィルムフェスティバル&アジア
●なぜこの作品を撮ろうと思ったのですか? 直接のきっかけは「絆は強まり、そして弱まる」という、自分の父親の言葉です。私の出身地は石巻市です。2011年3月11日。押し寄せる波によって街そのものが流失しました。人口16万3千に対して、死者3492名。行方不明者448名。市内の事業所9000のうち7800が浸水被害を受けました。大変な混乱があり、喪失があり、生まれた絆があり、復興政策の遅れがあり、不安と結びついた高揚感がありました。しかし、被災状況は個々人で大きく異なり、同じ被災地内でも身内を失った人、家を失った人、大きな被害を受けなかった人、大きな格差がありました。
震災から2年経ち、絆という言葉のもとに1つになった人々が、やがて各々の被災状況により心を束ねることができなくなり、僻や妬みや孤独がこころのどこかに巣くいはじめた頃、父親の「絆は強まり、そして弱まる」という言葉を耳にしました。再生!復興!がんばろう!という大きな言葉の下で、被災者の戸惑いはたしかに、静かに、膨らんでいました。
この自然災害は自分にとってショックな出来事でしたが、あえて映画にする意味などないと、それまで考えていました。しかし、この戸惑いを目の当たりにした時に、この感情に寄り添えるのは物語しかないなと考えを改めました。喪失を引きずったまま、押し付けられた希望を持て余している人がいる。かつての絆とはなんだったのか、呆然としている人がいる。そのためだったら現在の石巻で映画を撮る意味があるのかなと思いました。いま思うと、自分のためだったかもしれません。
●作品の見どころ、自信のあるところ、ここを見てほしいというところは? ドキュメントであること。ライブであること。今まで自分は映画というものはライブ性のないものだと考えていました。何度もリハーサルができますし、舞台のように客が目の前にいるわけでもない。ミスがあれば再撮影だって出来るじゃないか。そう考えてきました。しかし、実際には映画はライブそのものでした。
震災後2年の石巻において、22才の韓英恵さんが弘恵を演じる事は、その瞬間、今しかないのです。その日の天候や風の強さ、気温、役者が見る被災地の情景、全てが相互に関係しあって、ドキュメントとしてフィルムに収められていく。ああ、刹那だなあと感じていました。自分がそう感じた理由の大部分を占めるのはあの現場で演じる事を、心身で理解してくれた俳優達にあると思います。主演の韓英恵さんはじめ、足立智充さん、子役の篠田涼也くん、みな置き換えのできない演技をみせてくれました。
ラストシーンの海辺の雪もやはり狙って撮影できる映像ではなく、やはりライブだなと感じた部分です。見所といっても画面に映らないのが残念ですが、そういった刻々と変わる現場の状況に対応しつづけ、映画を成立させたスタッフワークも素晴らしいものでした。
●35ミリフィルムでの映画制作はどうでしたか?
映画の興味深いところ。それは、そもそもの成り立ちからして芸術であり産業でもあるところだと考えています。35ミリに触れて感じたのは、その敷居の高さ。おいそれと手出しできないと言うこと。技術的にも予算的にもまったく手軽ではありません。その制約こそ、端的にいえば映画を産業たらしめていたと思いますし、表現への影響も大きかったように思います。ですから35ミリを映画館で上映する事は20世紀の映画そのものだったと思います。
ビデオとPCとネットがあれば、もしくはスマホ1台でも誰でも手軽に記録と複製と拡散ができるようになった現在。産業としての映画の構造は変わっていかざるを得ないと思いますし、市場としてはさらに厳しい状態になっていくように思います。しかし勿論それと「映画的な想像力」はまた別の問題だと思っています。
35ミリじゃなくたってビデオでもなんでも映画は撮れるっていう人がいるのもそういう論理なので分かりますが、それは映画の1つの側面であって産業としての視点が抜け落ちてるのではないでしょうか。例を挙げれば動画共有サイトの動画などは、非常に表現の幅が狭い。単純に予算の問題ですが、その予算を生むのは産業ですから。その構造が変化するまさにこの時に35ミリで撮れた事は非常に得難い経験でした。
映画とは何か、その制約に苦しみながらも非常に考えさせられました。最後になりますが、35ミリは本当に美しいです。
●ndjcを通じてどんなことが学べましたか?今後どう生かしていきますか? 「映画人たちがどれほど映画を愛しているか」それを一番学んだように思います。ndjcに参加して数多くのことを学びましたが、常として根底にそれを感じていました。自分は普段、広告の仕事をしています。広告でつくられる映像は、商品や企業のための映像です。時に時代を超えて人々の心に残るCMも生まれますが、基本的にはそれ単体では成立し得ないものです。
映画は映画そのものが存在の目的です。広告の世界から映画の世界に飛び込んだ自分にとってそれはとても衝撃的なことでした。ワークショップからはじまり、シナリオ指導、実制作。大の大人が良い映画を作るために本気で取り組んでいる。その熱意に心を打たれました。またそれと同時に、熱意によって支えられてしまっている映画製作の現実にたじろいだ事も事実です。
ndjcの意義は第一線のプロの現場に、身ひとつで飛び込み肌でその世界を感じられるところだと思います。覚悟しました。
●これからの目標を教えてください。 切実なものが、私は好きです。表現は切実でなければいけないと私は思います。それがたとえコメディであっても、スカしていても、本気であっても、無骨であっても、間抜けでも。作者にとってどうしても必要なものであればそこに切実さは宿ると思うのです。
リアルであることだけが主題になってしまっているような映画はとても貧相に感じます。臆病に感じます。なにかしら映画でしかできないやり方で、現実に立ち向かいたいと考えています。自分の志向は物語です。今回は短編でしたが、長編をぜひ撮りたいと考えています。