家族の普遍の愛を描く感動作『わが母の記』(配給:松竹)が、4月28日(土)に全国劇場公開される。役所広司、樹木希林、宮崎あおいら豪華キャストが集結し『突入せよ!あさま山荘事件』や『クライマーズ・ハイ』の原田眞人監督が手掛けた同作は、昨年のモントリオール世界映画祭で審査員特別グランプリを受賞するなど、早くから注目を集めてきた。 昭和の文豪・井上靖の自伝的小説を映画化した同作の舞台は、約50年前の日本。現代を生きる人々の記憶にも残っているため、忠実な再現が求められる難しい時代設定だが、劇中では見事にその世界観を構築している。撮影はどのようにして行われたのか。舞台裏を、ラインプロデューサーを務めた樋口慎祐氏が明かす――。
撮影は地元全面協力
――冒頭から湯ヶ島の渓谷や橋、当時のバスやわさび田が映し出され、一気に昭和の世界に引き込まれました。樋口慎祐氏(=写真)以下、樋口 全編を通して、監督ともセッションを重ねながらその雰囲気を作っていくことを心がけました。冒頭は自然の風景が中心ですが、バスなどの小道具類でも時代感を出せるようにこだわりました。
――ロケハンは大変でしたか。
樋口 ロケハンは予想していたほど大変ではなかったです。というのも、原田監督が静岡出身なので、静岡内でのネットワークが強く、地元の方が官民とも非常に協力的でした。こちらが「こういうものを探している」と言えば、「ここにこういうものがある」とご紹介頂けるので、昭和時代の映画を作る上で通常苦労するようなロケハンの大変さは比較的少なかったです。
――フィルムコミッションがあったのですか。
樋口 沼津に「ハリプロ映像協会」というフィルムコミッションがありまして、原田監督とはずいぶん昔からお付き合いがあったようです。例えば、老舗旅館の「落合楼村上」さんや、松竹さんのお力添えもあって「川奈ホテル」さんなど、歴史のあるものを快くお貸し頂きました。
――わさび田の撮影や、バスはどうやって調達したのですか。
樋口 わさび田は伊豆市の筏場にあるものです。映画では、設備の面で多少CGを使ったりはしていますが、現在も昔とほとんど変わらない情景が広がっています。バスも地元のネットワークを使って、中伊豆東海バスさんが所有している古いバス(=右写真)をそのままお借りすることができました。
――逆に、ロケ地を探すのが難しかった場所はありますか。 樋口 伊上(役所)が母親の八重(樹木)を背負って歩くシーンで使われた海岸(牛臥山公園内 小浜海岸)は比較的難航しましたね。あの海岸も含めて、撮影の方法論を考えながら沼津や伊豆の色々な海岸を7~8箇所見に行き、最終的にあそこに決定しました。そこに飛びこみ台を建てて、鉄柵も映らないように気をつけました。
井上靖の自宅を使用 ――伊上の家での撮影は、井上靖さんの世田谷の自宅を使用したそうですね。
樋口 原田監督は、いつか井上さんの作品を映画化したいという希望をお持ちだったので、以前から井上さんのご家族とお付き合いがあったようです。昨年夏には北海道の旭川にある『井上靖記念館』に移築されることが決まっていたので、最後に、と貸して頂いたと思っています。
――井上靖さんの自宅が映画の撮影で使われることは初めてですか。
樋口 初めてです。
――自宅を使えたことのメリットは何でしょうか。
樋口 並んでいる蔵書の数々や、実際に使っていた書斎や座卓、万年筆などもお借りしました。それらが持っているリアル感は、背景とに映るものとしての強み以上に、俳優の皆さんに、演じる場が持つ「気」のようなものを伝えるのに役立ったのではないかと思います。我々も、俳優さんが本当に昭和30~40年代の人達に見えてきました。
――新たにセットを建てると、莫大な費用がかかりますしね。
樋口 今はなかなか手に入らないような建材や紙が使われており、それを再現しようとすると非常にお金がかかりますから、予算面でも大きかったです。
――小道具が一つ一つリアルでしたが、自宅にある本物を使用していたのですね。これもロケハン同様、大きな苦労は少なかったのですか。
樋口 とは言え、昭和の時代にはなかったもの、例えばふすまの取っ手やふすま紙を昔のものに換えたり、窓がサッシになっているところを木の枠で覆ったり、現在のものが映らないような細かい工夫が必要でしたね。
サイズが変わる樹木希林
――徐々に年老いていき、記憶を失っていく樹木希林さんの演技は、笑いあり感動ありで素晴らしかったです。
樋口 劇中では、10数年に渡るドラマを描いていますが、その変遷をここまで体現できる演技力には改めて驚かされました。3月19日に行われた舞台挨拶の場で、宮崎あおいさんが「樹木さんは、年齢によって体のサイズが変わる」とおっしゃっていましたが、八重が年齢を重ねるに連れて、本当に小さくなっていくように見えるんです。その方法は私にはわかりませんが、姿勢や着物、髪型についても、監督やメイクさんと創り上げていったのだと思います。
――樹木さんは、アドリブは多いのですか。物忘れのボケっぷりも見事でしたが。
樋口 その場のアドリブがどれだけあったのかは記憶していませんが、監督とアイデアを出し合って色々やりとりはされていました。とにかく、一スタッフとして凄いものを見ている、凄い現場に立ち会っている、という興奮がありましたね。狭いロケセットなので、私が見るのはどうしてもモニター越しになることが多かったのですが、それでも迫力が伝わってきました。
――原田監督と役所さんは「KAMIKAZE TAXI」以来、何度もタッグを組まれていますが、やはり阿吽の呼吸なのですか。 樋口 横で見ていると、多くを語らずともわかっている、という感じがありました。
――共演者の方も、皆さん素晴らしい演技でした。
樋口 あれだけの俳優陣の演技を私が論評することもできないのですが、リハーサルをきちんとやれたことは大きいことかもしれません。今回は、井上先生のご自宅で、メインキャストを呼んで丸一日リハーサルを行いました。いくつかのシーンをピックアップして演じ、家族のあり様を皆さんで確認できたことが、本番には良い影響を及ぼしたのではないかと思います。
――全体の撮影を通して最も印象に残っているシーンは。
樋口 個人的には、海岸で三世代(八重、伊上、琴子〈宮崎あおい〉)が一緒になる終盤のシーンは、見ていて感情が入り込む素晴らしいシーンでしたね。凄くいいものを目撃させてもらっているという感覚でした。
クランクアップ翌日に震災 ――撮影は昨年2月3日にスタートし、3月10日にクランクアップされたそうですね。その次の日が震災で、編集作業中は皆さんどのような心境だったのでしょうか。
樋口 撮影中から編集を並行して進めていたので、クランクアップした段階で、かなりのところまで編集が進んでいる状態だったのですが、スケジュールの都合で3月19日までにオールラッシュを上げる必要があり、11日から編集室に入って腰を据えてやろうか、という時の地震でした。起こった出来事があまりにも大きいので、監督も編集マンも私達も、それを語る気分にはなかなかなれなかったですね。監督は舞台挨拶の場で、「家族のことを考えながら編集していた」とおっしゃっていましたし、それぞれ皆さん思っていたことはあると思いますが、それを言葉にして話し合うことはなかったです。
――最後に、どのような人にこの作品を観てもらいたいですか。
樋口 世代を越えて、皆さんに関わりのある普遍的なテーマの作品なので、ぜひあらゆる世代の人にご覧頂きたいですね。 (了)
画像:(C)2012「わが母の記」製作委員会
樋口慎祐 (ひぐち・しんすけ)
C&Iエンタテインメント株式会社のプロデューサー。C&Iは『わが母の記』の製作に関わっていないが、制作プロダクションであるビーズインターナショナルの坂上也寸志氏の誘いを受け、樋口氏がスポット参加した。現在は、8月公開予定の『るろうに剣心』を制作中。C&Iは他に、5月の『ガール』、秋の『のぼうの城』、『人生、いろどり』の公開が控える。