5人の気鋭監督が35ミリフィルムで短編を完成させた文化庁委託事業「ndjc 2011:若手映画作家育成プロジェクト」。中江和仁監督は、作品を通して東日本大震災に向き合った。被災地でのボランティア経験も生かし完成したのが『パーマネント ランド』だ。
廃村が間近に迫る山奥の集落が舞台。直接的に震災を示唆する描写こそないが、多くの人が住みなれた故郷、家を追われた未曾有の大災害が意識され、あらためて私たちに故郷とは家とは何かを問う。自身は故郷が好きではないという中江監督にとっては「もとも自分のテーマでもあった」という。
普段はCMディレクターとして活躍する中江監督。CMの経験を生かしながらも演出の違いをわきまえ、スクリーンで堂々たる映画を提示してみせる。異業種からの挑戦に「CMと映画の違いをわからずに躓く監督も多いですが、僕は違います。今回の短編を観てもらえれば、そこがわかっていただけるはず」とアピールする。
>>中江和仁監督のプロフィール
―作品の企画意図を教えてください。
今回の大震災で、住みなれた家や故郷から離れざるを得なくなった方々が大勢いらっしゃいます。特に原発事故があった福島では、家が残っているにもかかわらず避難を余儀なくされました。
震災後、僕は福島でボランティアをさせてもらって、そこで見たのは、一度避難しても戻ってこようとする老人たちでした。放射能の恐怖があるにもかかわらずです。なぜそこまでして住んでいたところに固執するのか、考えさせられました。
正直なところ、僕は自分の故郷・滋賀が特別に好きじゃないのでわからない。映画にすることで、自分自身にとって、また私たちにとって家や故郷とは一体何なのか見えてくるのではと思ったのです。
―故郷とは何なのか、映画を通じて答えは見つかりましたか?
故郷と向き合うこと――。それは、もともと自主映画などで描いてきたテーマではあったんです。映画を作ったところで明確な答えは出てきませんが、撮るごとに何か自分の中で進展があるように感じます。僕は、昔から親子や家族、故郷、こういったものに受け入れがたさがあったんですが、だんだんとその距離が近づいている気がするんです。
―今回、制作上で工夫したところは?
撮影現場で自分に課したことは、現場でモニターを一切見ないということでした。技術スタッフのために、モニターは用意していたんですが、僕はこれを絶対に見ないからスタッフでちゃんと確認してねと。僕は演技だけを見ますからと。
CMの現場だとこうはいきません。商品ラベルがちゃんと写っているかどうかとか確認してやらないと大変なことになります。映画だからできたことですね。とはいえ、ラッシュを見て「なんだこりゃ」となったショットはありましたけれど。
―35ミリでの撮影・編集はどうでしたか?
仕事を入れても久々のフィルムでした。撮影もそうですけれど、編集ですね。デジタルじゃないので、コピー&ペーストでたくさん編集パターンを作って見比べたりすることができないわけです。
決断して一回フィルムを切って、つなげてもらって、そうして待っている時間の方が長い。でもその時間が重要で、自然と頭の中で編集を進めるわけです。デジタルだと考えなくても瞬時にできてしまうわけですが、そうはいきません。想像を膨らませて膨らませて、本当の意味での編集の力が試されました。
―意識した作品はありますか?
今まで見てきた映画すべてです。なかでも、中国や台湾のアジア映画が好きなので、そのあたりでしょうか。ホウ・シャオシェン、ツァイ・ミンリャン、ジャ・ジャンクーとか、そういう監督らを意識したところはありますね。
―理想どおりに仕上がりましたか?
もちろん最初の理想はあるんですが、それは撮っているうちに変わっていきますよね。悪い意味ではなくて、役者やスタッフとの共同作業の中でズレが生じて、また別の答えがでてくる。そういう意味では、できたものは当初の理想と違いますけれど、ある意味で映画としての理想形なのでしょうか。
―見どころはどこですか? 特別に見てもらいたい人は?
これは僕の力が及ばないところですが、冗談抜きにして音楽が良いので注目してください。見てもらいたいのは、故郷が受け入れられない人、被災をされた方、あとアジア映画が好きな人には楽しんでもらえるのではと思います。
―これまでのキャリアについてあらためて聞かせてください。
高校のときから映画監督を目指して、上京して武蔵野美大に入ったんです。当時は、CMの演出家が映画を撮るのがブームになった時期でした。石井克人さんだとか。それで、映画監督になるのに僕もそのルートでいこうと、CM制作会社に就職したんです。
CM業界ですから映画界と違って早めに演出家にもなれましたし、スタッフとのつながりも作ることができました。まあ違う畑ではあるんですが、今も映画を撮るチャンスを狙っています。
―CMディレクターとしての代表作は?
サントリーの烏龍茶ですね。具体的には、ここ2年くらいに放送された、ファン・ビンビン、チャン・ツェンが出ていたシリーズです。
関西電力の原子力発電所のCMを演出したこともあるんです。いわゆる原発推奨広告というやつですね。そのときは、原発の危険性なんて何にも考えず撮ってしまった。今回、こうやって震災に向き合ったのはその責任からでもあります。
―CMでの仕事は今回の映画にどう生きましたか?
スタッフワークの面が大きいですね。細かな技術のことよりも、特にコミュニケーションの部分。発言の重みというか。25歳で監督になってから年上のスタッフに信用されなければなりませんでしたし、クライアントにちゃんと信じてもらえるように説明することも必要でした。そういった経験が役に立ったと感じます。
―「ndjc」に参加したきっかけは?
2005年に「PFFアワード」に入選したのがきっかけです。PFF事務局から、「ndjc」というものがあると教えてもらって毎年応募してきました。2006年の第1回からですから皆勤賞ですよ。 ようやく、こうして最後の5人に残って映画を撮ることができました。
―プロジェクトを通じてどんなことが学べましたか?
脚本指導を受けられたのが大きかったです。脚本ってこれまで見よう見まねで書いてきたものですから。大学の授業で一応は教わりましたが、あんなのは学んだうちに入りません。自分の書きたいテーマを明確化する方法や、細かなテクニックの部分まで本当に勉強になりましたね。講師陣とのやりとりもとても楽しかったです。
―今後の目標について聞かせてください。
やっぱり映画がやりたいです。CMっていかに商品を素敵に見せられるかであって、それは自分の中から出てくるものじゃないわけで。より自分の表現に近い映画を続けられればと思います。もっとも、今の日本映画界で自分の表現だけをやり続けられている監督がどれだけいるかということもありますが。
理想としては、相米慎二、神代辰巳みたいな監督になりたいですね。役者やスタッフから愛されて、どれだけ現場が大変でもあの人の映画ならやりたいと言われる人たちです。プログラム・ピクチャーを撮りながらでも、自分の表現にこだわって戦い続ける、そういう監督を目指して、次回作を考えます。
―最後に自由にアピールを。
CM出身の映画監督だった市川準さんの言葉を思い出します。1分以内の映像なら、どう見せるかすべて計算して作れるけれど、じゃあ完成された1分のショットを2時間つなげて映画になるかというと、そうはならないと。
映画って現場で起きる偶然や間違いが重なってごろんと生まれるもので、それが面白いんですよね。CM出身の映画監督の中には、CMと映画の違いをわからずに、そこで躓く監督も多いですが、僕は違います。今回の短編を見てもらえれば、そこがわかっていただけるはずです。
「ndjc 2011」一般向け特別興行日程:2012年2月25日(土)~3月2日(金)
場所:ユナイテッド・シネマ豊洲
時間:2月25日/18時10分~21時30分 ※5作品上映後に監督5名によるティーチ・インを実施
2月26日~3月2日/18時40分~21時30分 ※上映前に監督による舞台挨拶を実施
入場料金:1000円均一
「ndjc」公式サイトで詳細のほか、お得なチケット情報などを順次掲載
(C)2012 VIPO
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