大瀧詠一ならでのエピソード満載!ニッポン放送3月25日特番放送/大瀧初のライブアルバム発売記念イベント
2019年03月22日
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(左から)上柳昌彦、能地祐子、湯浅学、島村文彦の各氏 |
ニッポン放送は21日、この日発売された大瀧詠一初のライブアルバム「NIAGARA CONCERT’83」(ソニー・ミュージックレーベルズ)の発売記念公開収録イベントを同局イマジンスタジオで開催した。
上柳昌彦アナウンサー、同アルバムのライナーノーツを執筆した音楽評論家の能地祐子氏、大学生の頃に大瀧さんの事務所で働いていたこともある音楽評論家の湯浅学氏、そして音楽ライターの島村文彦氏が登壇し、ライブ開催当時の思い出や大瀧さんの魅力についてトークを繰り広げるとともに、「恋するカレン」「君は天然色」など一部収録曲を流したほか、初回生産限定盤のみに収録されているDVD「THE FIRST NAIGARA TOUR1977 6/20渋谷公会堂」を上映、それぞれ爆音で披露した。
会場には、応募で選ばれたリスナー120名が来場。最年少は19歳。当時同ライブを観に行ったというお客も多くいて、全国から集まった幅広い層のリスナーが〝大瀧詠一の世界〟を楽しんだ。
同アルバムは、大瀧詠一名義で出演した最後のライブとなった、83年7月24日に西武球場で行われた「ALL NIGHT NIPPON SUPER FES’83/ASAHI BEER LIVE JAM」の模様のうち、大瀧詠一のライブを完全版で初音源化したもの。なお、同ライブは、ラッツ&スター、大瀧詠一、サザンオールスターズの順で出演し開催された。
後に社長に就任する元ニッポン放送の亀渕昭信氏が大瀧さんを口説いて実現し、現専務取締役の森谷和郎氏が同ライブの制作を担当したという。しかし、大瀧さんからミュージシャンや機材等々、当時としては無理な要望が出され、それをニッポン放送が全面バックアップして実現、相当に苦労したとか。音楽に対してこだわる大瀧さんならではのエピソードで、関係者に取材した能地氏が披露した。それゆえに、湯浅氏は「(西武球場)スタジアムにスタジオを持ってきちゃった感じ」と話した。能地氏は「大瀧さんが一番生き生きする場所はレコーディングスタジオの中。でも照れ屋だった大瀧さんが、一番得意な場所であるスタジオにお客さんを呼べないので、西武球場をスタジオにしちゃえっていう想いだったのでは。このアルバムを聴いて確信した」と話す。
また、西武球場に新日本フィルハーモニー交響楽団を呼んだのも異例だったのに加え、冒頭5曲はストリングスだった。大瀧さんが中々登場しないので「このまま出てこないのでは?」と島村氏は思ったとか。
この公開収録の模様は、ニッポン放送特別番組「1983年夏 大滝詠一 最後のステージ」で3月25日(月)18時~19時30分放送する。
※記事は取材時の情報に基づいて執筆したもので、現在では異なる場合があります。