日本初の「日本映画大学」2011年春開学、募集スタート
“様々な分野で必要とされる時代が来る”と佐々木理事長
学校法人神奈川映像学園は、10月29日付で文部科学大臣より大学設置の認可を受け、日本映画学校(専門学校)を母体とした日本映画大学が、2011年4月より、日本で初めての映画大学としてスタートすることとなった。同校の佐々木史朗理事長に大学設置の経緯や同大学の目指す将来像などについて聞いた―。
日本映画学校は、故・今村昌平監督が1975年横浜市に横浜放送映画専門学院として開校。86年に川崎市に移転し、日本映画学校と改称。30年以上にわたり数多くの映画人を輩出してきたが、大学化は今村監督の念願であった。佐々木氏は07年の10月に理事長に就任した。
―まず、大学設置の経緯を教えて頂けますか。
佐々木理事長 私が理事長に就任する以前にも大学設置の動きはあったのですが、改めて具体的に動き出したのは07年12月頃からです。阿部孝夫・川崎市長は非常に映像文化にも理解のある方で、定期的に話をさせてもらい、日本映画学校校舎も手狭になってきたと相談したところ、川崎市麻生区の川崎市立白山小学校跡地を活用してはどうかとの話を頂き、であるならば大学設置に踏み切ろうとなったわけです。現在、日本映画大学開学に向け、日本映画学校のある新百合ヶ丘キャンパスに加え、白山キャンパスを川崎市麻生区に建設しております。
―日本初の映画大学ということで、最初にどのような人材に入学してもらいたいですか。
佐々木理事長 本を読んで学ぶだけでなく、実際にフィルム撮影カメラや編集機材などを扱いながら時間をかけて映画製作を学べる学校をやりたいと思っていましたので、定員140名の少人数制です。来春に高校を卒業する方はもちろんですが、大学生や社会人、留学生など、“映画”について改めて学びたいと思っている方々にも是非来て頂きたいですね。以前、映画会社が持っていた撮影所の“スタジオシステム”(映画製作のシステム)のような形態をこの大学の中で実現していきたいと思っています。
―大学の施設や設備はさらに充実されるのですか。
佐々木理事長 小学校の建物をまるまる使用しているのでスペース的には、今の日本映画学校の4倍以上となると思います。建物の中を全て改装し、少人数制に合わせた教室に作り直しました。さらに、小学校用地の一部を活用した約110坪の今村昌平記念スタジオも建設中で、間もなく完成予定です。プロフェッショナルユースなスタジオで、某都内スタジオを参考にした遜色ないものとなっており、カメラ機材や編集室も、フィルムからデジタルまで対応しています。
日本大学芸術学部や東京藝術大学、立命館大学と教育方針は似通ったところがありますが、このスタジオで撮影を実習出来ると言うのが大きな違い。また、我々の教員は本当の意味で現場の第一線に携わっている人間ばかりなので、本格派の映画大学と言えると思います。さらに、当大学は学費の中に実習費も含まれているのも他の大学とは違うところでしょうね。
―教員の選定はどのように行われたのでしょうか。
佐々木理事長 先ほど申しましたように、制作現場の第一線に携わっている「創作系」と、映画・映像に関する研究を行い、著作なども出版しながら、紙の上だけでなく実際に行動もしている「研究系」の方々に集まってもらいました。学生に近い若い教員が数名いてバランスもとれており、「創作系」と「研究系」が混じり合ってどのような化学反応を起こしてくれるか期待しています。また、教員が撮影現場に出てしまった時のサポート教員も充実していて、全部で70人ほどになります。やはり“現役”であることが、学生にとっては大きな魅力であり、刺激になるようです。
―改めてお聞きしますが、専門学校と大学の違いは。
佐々木理事長 3年間(専門学校)と4年間(大学)のこの1年間の違いは大きいですね。専門学校でも充分制作技術は学ぶことは出来るのでが、大学ではまず最初の1年間で「人間観察力」をつけたいと思っています。「総合人間研究」ですね。例えば、いきなり街に出て行って、街のどなたかにお願いし、その生活を追う実習を課します。そうすることで、世の中がどうなっているのかを否応なく考えるようになり、すると社会の見方が変わりますね。こういう体験をさせた後にシナリオを書いてもらいます。
学生によっては、この体験で自分に合った別の表現の形を見つけるかもしれません。いい意味でのモラトリアムです。街に出て、人と触れ合って体験した事を学問で裏付けられるようにしていきたい。ですから、2年目の後期には理論コースというのを設けています。日本映画学校OBには、小説家や漫画家として活躍している人もいますからね。自分が本当に何をやりたいのかを見極める1年目になると思います。