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クリエイターズ★インタビュー:原一男監督/new「CINEMA塾」

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クリエイターズ★インタビュー:原一男監督/new「CINEMA塾」

2014年06月27日
セルフ・ドキュメンタリーの系譜を辿り、変化を探る


 『ゆきゆきて、神軍』(87年)などで知られる原一男監督によるnew「CINEMA塾」2014講座「極私(セルフ)の系譜~映像の中の欲望たち~」が、今年4月26日(土)から毎月1回(第4土曜日)、東京・神田駿河台のアテネ・フランセ4階講堂で開講(来年3月28日まで開講予定)されている。
 本講座は、セルフ・ドキュメンタリストたちが結集する怒涛のドキュメンタリー講座。「セルフ」という手法で描かれた作品を集めて、それらの作家を招き、様々な角度から論じてみようというもの。ゲスト監督(予定)は、河瀨直美、森達也、ヤン・ヨンヒ、平野勝之、松江哲明、砂田麻美、キム・ジナ(韓国)、アヴィ・モグラビ(イスラエル)、ウー・ウェンガン(中国)、ジャン・モンチー(同)ら。近年、ドキュメンタリー作品の秀作が次々と生み出されているが、セルフ・ドキュメンタリー作家の先駆けでもある原監督に、本講座開講の理由などについて聞いた―。

インタビュー/文・構成:和田隆(サイト編集長・映画記者)



和田 「CINEMA塾」ですが、前回は97年に今村昌平、大島渚、新藤兼人、篠田正浩、田原総一朗ら豪華講師で開講し、それから17年ぶりということになります。改めて、今回このタイミングで「CINEMA塾」を新しく開講した理由を説明して頂けますか。

DSCF1031.JPG原監督 一番大きいのは、映画というのは長くやればやるほど「映画ってなんだ?」と、「自分でもよくわからん」ということになると、熊井(啓)さんも言っていましたけれど、私もそんな感じがあります。「ドキュメンタリー」ってなんだろうと。その都度もちろん自分なりの理屈をしゃべったり、書いたりはしていますけれど、本当のところ「いったいドキュメンタリーって、何がドキュメンタリーなんだ?」というようなことは、わりと考えるのですよ。ですから、もう一回こうやって講座をやることで、もう一度ちゃんと考えてみよう、勉強してみようと思ったのが、一番の大きな原動力です。

 それから前回は「ドキュメンタリーとフィクションのボーダーを越える」というテーマを掲げましたけれど、今回は「セルフ・ドキュメンタリー」です。セルフ・ドキュメンタリーの歴史、系譜を辿りながら、どうしても私たちは、そういう作品を作ろうとする時の「〝私〟ってなんだろう?」とやはり考えるのです。セルフといえども、他者がいて、自分がいると。表現したい〝私〟というものの意識の変容は変わっていきます。昭和という時代において、こういうテーマで、こういう人を対象にして、作品を作っていたと。ところが時代が変わると、人々の意識が変わるし、生き方が変わると。

 当然、私たち疾走プロダクションで作品を作ってきた『ゆきゆきて、神軍』などを、「スーパーヒーローシリーズ」と言ってきましたけれども、平成になって「ヒーロー」がいなくなってしまいました。では、なぜ平成になってヒーローがいないのかということを探っていくことを、やはりやらざるを得ないじゃないですか。スーパーヒーローと出会って映画を作ってきた私たちが、そのスーパーヒーローが平成になるといないとしたら、いったい誰を対象に、誰と出会って、どういうテーマを設定して映画を作っていくかというのが、また仕切り直しと言いますか、ゼロから考えなくてはいけないという感じがあります。それは実はわりとしんどい作業なのですよ。つまり自分が昭和という時代に生きて、昭和という時代でこういう映画を自分は作るのだと、自分で確信を持って作ってきた、その方法を変えないと作れない。では、どのように自分が変わればいいのかという問いは、実はなかなかやっかいなのです。

 平成の時代に生まれて、ここからスタートすればまたちょっと違うのでしょうけれど。かつて一度築き上げたものが変わってしまった。で、また改めてというのは前の昭和の時考えていた価値観やらが残っているので、それを壊して新しく作らなくてはいけない。結構作業としてはやっかいだなという感じがあり、未だに私の中でそれが見つけ切れているという感じがしないのです。私が表現したいもの、「そういう風にいろいろ考える私って何なんだろう?」ということをはっきりさせないと、出口が見つからないという焦りのようなものがあって、それでセルフ・ドキュメンタリーを取り上げることで、〝私〟について考えてみよう、〝私〟という意識が昭和から平成になってどんな風に変わったのか、それを探ってみようじゃないかというのが主旨なのです。

何が違うのかということを明快にしなければいけない


和田 昭和から平成への移り変わりが、前回が「ドキュメンタリーとフィクションのボーダーを越える」というテーマだったのが、今回は「セルフ・ドキュメンタリー」というテーマになった、そこの変化ということですね。

原監督 違いですよね。「ドキュメンタリーとフィクションのボーダーを越える」というテーマではあっても、結局昭和という時代に先輩の監督たちが作品を作ってきたわけですから、私もその時代の中で先輩から学びたいと思ったわけです。昭和という時代についてあれこれ考えていくという作業だったのだろうと思うのです。ところが今やまったく昭和と平成というのは違うのだと。では、何が違うのかということを明快にしなければいけないわけですけれど、セルフ・ドキュメンタリーを通して、今の時代というのはどういう時代なのだということを探ることと、ほとんど同じなのですよ。そういう風には思っています。理屈っぽい話になりますけれど、やはり理屈なのです。理屈がないと、人間は自信を持って動けないじゃないですか。ですから、今でも自分の中で必死に理屈を探し求めて、あがいている感じがします。


和田 原監督の中で答えを見つけたいということと、もう一つはこれからの映画界、ドキュメンタリー作家を育てたい、見つけたいというところもあるのでしょうか。

原監督 少しはあります。ただ、私は若い人を育てるという目的で、例えば山口県の萩とかOSAKA「CINEMA塾」とかいう所でやってはいるのですよ。今回は人を育てるというよりも、勉強しようという意識の方が強いので、この講座形式になっています。


和田 今回の講師、登壇者の監督、予定の上映作品の選定理由は、どういうセレクションなのですか。

原監督 私たちが作った『極私的エロス・恋歌1974』は1974年ですから、それが一番古いと言いますか。私たちの映画がセルフ・ドキュメンタリーの映画史的に一番最初というわけではなく、厳密に言えばもっといろいろな作品があるのですが、一般性を持った、知名度が上がったと言いますか、認知されたという作品では『極私的エロス』というのが一つのきっかけにはなったのではないでしょうか。その作品に影響を受けて、「そういう作り方があるんだ!?」ということが定着していった歴史があります。

 ただ、順調にいったわけではなくて、例えば日本映画学校の卒業製作作品が一時、評価される作品は「またセルフ・ドキュメンタリーか…」というようなことで、ちょっと飽きられてしまった時期がありました。それで廃れていくかと思ったらそうではなくて、まったく違うニュアンスが込められて、また息を吹き返してきた。セルフ・ドキュメンタリーというのは非常に特徴を持った一つの領域、セルフというジャンルというような感じがあったのが、今は基本的にある作品を作ろうとする時のベーシックな意識のように、血肉化してきたような感じがあって、私たちがセルフにこだわって作ってきた内容と、ずいぶん変わってきたような感じがするのです。

 作風なども、ヤン・ヨンヒ監督の『ディア・ピョンヤン』(05年)とか、砂田麻美さんの『エンディングノート』(11年)などを見ますと、日本映画学校の学生のセルフというのは、みんな「家族の病」のようなものを抱えていて、自分自身が立ち直るために、どちらかというとカウンセリングを受けるような形で作品が成立していたのが、今はかなり違うのではないですか。最初からエンターテインメント、自分自身を前面に押し出す形でエンターテインメントを作る時の基本的な方法がセルフであるというような感じで、随分質が変わってきたように思います。
 それは私どもから見るとすごく面白いのです。ですからその違いのようなもの、何がどう変わったかということを、ヤンさんや砂田さんといろいろ話してみようというのが第3回目でした。そういうことも含めて河瀬(直美)くんであるとか、映画学校の学生たちの作品を取り上げながら、当時論争が起きたのですよね、「もうセルフって嫌だ」「こんなもん、見たくない」という声と、「いや、学生にとっては、どうしてもセルフという手法抜きには表現の道へ進んで行けない」「通過儀礼みたいなもんや」という論争があったのです。それもきちんと取り上げることで、セルフから“私”の意識というものを探りたいというようなことになります。それを探るために、一応歴史的、興行的に評判になった作品は取り上げてみようということで、結構網羅していると思います。

映画はエンターテインメント、面白くなくてはいけない!?


和田 そうですね、今の若い監督は最初からある程度興行面、エンターテインメント性も考えた上でセルフを撮っているのではないかという気がします。原監督が『極私的エロス』『ゆきゆきて、神軍』(87年)を撮った時、エンターテインメント性や興行面というのは、頭の中にあったのですか。

原監督 観念的にはあるのですよ。ただそれは、あると言ってもそのあり方が、なんと言うかちょっと違う感じがするのです。私たちの場合は、必死に生き方を探るという意識の方がむしろ強くて、『さようならCP』(72年)とか『極私的エロス』を作った頃はやはり若かったですから、自分たちの考えていることとか、やろうとしていることを、もちろん他者に向かってわかって欲しい、伝えたいという気持ちが、なくはないですよ。それはありますよ。

 しかし、「わかってたまるか!」「わかってもらわなくていいんだ!」という意識も、あったはずなのですよね。そう簡単に自分たちがやろうとしたことを、「わかる」なんて言われたくないといいますか、自分がやりたいことだけをやろうという意識もまたかなり強くあったと思うのです。今ではもう歳を取ったものですから、そういうことは言いません(笑)。どこか心の奥の方に仕舞い込んで、やはりエンターテインメント、映画は面白くなくてはいけない。どんなに深刻で、シリアスなテーマを扱ったとしても、観客にとってはエンターテインメントとして提出するのであるということの方を、むしろ声を大にして言うような変化はあります。やはり変わったのではないでしょうか。

自分を確立したいという「あがき」のようなものが、今の若い人


和田 私が学生時代に『極私的エロス』『さようならPC』『ゆきゆきて、神軍』と原監督の作品を観た時、今まで観たことがない「日本映画」を観て、目を開かされたわけです。作品によっては観ているのも辛い、ここまで撮るべきなのかというところもあったと思うのですけれど、観終わってみるとそれがある種の何かを超えて、「エンターテインメント」になっていたと言いますか、そこが原監督の作品の凄いところだと個人的には思っています。
 それはそれであの時代にそういう作り方をして、ああいう描き方があったと。それが時代を経てみると、今の若い監督たちは「個人」「自分」というものを描きたいのかもしれませんけれど、ある種“家族”というテーマで自分をあぶり出そうとしているのかなと思うのですが、この辺の「個人」と「家族」ということについてはどうお考えですか。

原監督 これは小川紳介さん(ドキュメンタリー映画監督)が言っていましたけれど、失われていくもの、壊れていく、消えていくようなものに、これは大変であると、価値があると、なんで今まで気がつかなかったのだろうと、今撮っておかなければなくなってしまうという危機感があって、ドキュメンタリーというのはどうもそういうものだというようなことを仰っていたことがあるのです。
 つまり日本の「家族」というものが崩壊しつつあると、もうすでに崩壊してしまったかもしれないと。かつて日本の家族が持っていた美しいところとか質は、項目的に挙げればいくつかありますよね。家族の中で自分が癒される、もちろん自分を育んでくれる、教育的側面がある、家族の中だと安らぐ、そこでエネルギーを再生産する、いろいろなことがあります。

 しかし、今やその一つ一つが全部危うくなってしまって、家族という中で傷ついて、その中で満たされないままに世の中へ放り出されてしまう若い人たちというのは、何か欠陥、欠如感を持って世の中に出て来る。その中で、せめて家族の中にいる間に、家族にカメラを向けることで、なんとか必死に自分を見つけたい、自分を確立したいという「あがき」のようなものが、今の若い人ですよね。

 私たちが『極私的エロス』を作った時は70年代、全共闘運動というものに結構大きな影響を与えています。あの時はまだ家族が崩壊するのではなくて、もっといい家族にしようと。昔の家族は全部良かったわけではなくて、家族が持っている閉鎖性とか、男が中心の男性社会というものとか、お父さんがいばっていてお母さんは黙ってついて行くような、そういう封建主義的なことを、もっと開かれた家族にしようという意識が、70年代にちらっとあったはずだと私は思うのです。そういうものにするために、あの時はコミューンという運動があってその影響もありましたし、もうちょっと違う家族像を求めようという風に思っていたのですが、それからすぐ家族が壊れていくという方向になってしまって、それは映画学校に来る学生たちを見ているとわかるのですよ。20人ぐらいのクラスで、この中で両親が離婚をして片親という人は手を挙げてみなさいと言うと、半数ぐらいが手を挙げていましたからね。尚かつそのことによって家庭内暴力をしたことがある、引きこもりをしたことがある人は「ちょっと手を挙げてごらん」と言うと、結構みんな挙げるので、「え? こんなにいるのか!?」と思って驚いたことがありますが、今やもっとその状況が酷くなっています。

 ですから、一番身近に通過してきたそこの課題を、それぞれが何らかの形でトラウマのように持っている感じがあるものですから、そこにまず目を向けて、そこから取り組むと。それを作品化することで、そのことを乗り越える課題として目を向けるというその感じ、家族という親とか兄弟にカメラを向けるということは、つまりリトマス試験紙とかフィルター、鏡と言いますか、それを通して自分を確立する、自分自身を探していくという作業なのではないですかね。そういうことをやらないと、いきなり対社会とか対他人といっても、実感としてピンとこないという感じがあるのではないでしょうか。私たちが70年代に家族に対してのイメージを持っていた頃よりも、今の方がもっとシリアスな状況になっているような感じがします。(つづく




プロフィール

原一男(はら・かずお)

 1945年山口県生まれ。東京綜合写真専門学校中退。71年、田原総一朗作品『日本の花嫁』に制作アシスタント兼 リポーター役で出演。72年、小林佐智子(現夫人)と共に疾走プロダクションを設立。同年ドキュメンタリー映画『さようならCP』で監督デビュー。74年、『極私的エロス・恋歌1974』発表後、撮影助手、助監督を経て、87年、『ゆきゆきて、神軍』を発表。日本映画監督協会新人賞、ベルリン映画祭カリガリ賞、パリ国際ドキュメンタリー映画祭グランプリ受賞。94年『全身小説家』キネマ旬報ベストテン日本映画第1位。06年より大阪芸術大学映像学科教授。




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