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【大高宏雄の興行戦線異状なし Vol.140】
「許されざる者」、娯楽テイストの微妙な感覚

特別編集委員コラム

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【大高宏雄の興行戦線異状なし Vol.140】
「許されざる者」、娯楽テイストの微妙な感覚

2013年09月19日

 遅い夏休みのため、1回お休みしたことをお許し願いたい。ただ、連休の最後、9月16日には新宿ピカデリーに赴いて、「許されざる者」を見てきた。台風が収まった夕方の時間帯ではあったが、いつもの賑わいがなかったのには、少し驚いた。台風を差し置いても、新作の興行は、全体に鈍いのかもしれない。

 「許されざる者」は、まずもって、イーストウッドの「許されざる者」を、明治初頭の北海道の未開の荒野に舞台を移し替えた “アイデア” が、抜群だと思った。ここで、元幕府の人斬り侍が、亡くなったアイヌの女房の間にできた子ども2人と、百姓をして生活している。

 彼の前にやってきたのが、かつて行動を共にした老人だ。懸賞金が出ている。一緒に稼がないか。女房の影響により、真人間になった男は誘いを拒否するが、貧困はいかんともしがたく、去って行った老人を追いかけるのである。素晴らしい導入部分だと言っていい。

 珍しく、長々と映画の中身のことを書いたが、実は本作は、その抜群のアイデア(設定)が、なかなか話のダイナミズムにつながっていかないのである。描写と話の進行過程に、徐々に茫洋とした霞みのようなものがかかっていく。

 いわく言い難い、淀んだ霞みがかかったような感じ。それが、微妙に興行に影響しているのではないか。それは、いわゆる普通にイメージされる娯楽映画からの逸脱とも言えるのである。

 話の進行につれ、アイヌをからめた “差別” の話が、本作の重要な意味をもってくる。もちろん、初っ端から女郎たちの怒りの話も出てきており、差別の話であるのは明白であるが、それが全体に強調の度合いを増す印象があるため、次第に懸賞金を狙う主人公の位置づけが曖昧になっていくようにみえる。

 娯楽のテイストが、一般の観客が考えているものと、微妙なそごをきたしていく。これが、興行に微妙な影を投げかけている “正体” ではないだろうか。ただそれが、本作の一つの狙いであった気もするのである。

 さて、興行成績である。9月13日から16日までの4日間で、全国動員22万1119人・興収2億4541万0700円であった。今一つ、物足りないと言っていい。全体に年配者が多い展開であるが、これからこの層にどこまで口コミが広がっていくか。興味をもって、見ていこうと思う。

(大高宏雄)

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