先週の11日(金曜日)、映画界恒例の映画ジャーナリストと、各配給会社宣伝部との合同年賀の会が、銀座東武ホテルで開催された。昨年もこの欄で、そのときの模様を少しお伝えし、そのころ公開されたばかりの「ヒミズ」の話題でもちきりだったと記したが、今年は、その会で毎年関係者に手渡されるキネマ旬報のベストテンと個人賞が話題となった。
話題はとくに邦画のほうが多く、ベストワンの「かぞくのくに」に驚き、逆に「あなたへ」「北のカナリアたち」「この空の花 長岡花火物語」「僕達急行 A列車で行こう」など、本来なら入りそうな作品が、ベストテンはおろか、個人賞でも全くかすりもしなかったことに、意外な声が続出したのである。
「日プロ(の結果)みたい」との声が、当日の夜、私の耳に届いたのがこそばゆかったが、それはともかく、選考過程に何らかの変化があったことを、私は強く思わざるをえなかった。若手中心に、新しい選考委員が加わったか。これまでのベテラン選考委員が参加しなくなったか。
というのも、近年のキネマ旬報ベストテンでは、何人ものベテラン選考委員が抜けてきており、編集部側に、かなり本気モードでベストテン選考の“改革”を行おうとの意識が高くなっている気が、私にはしていたからである。
確かに今回、新しい人が加わっているようだった。ただ、その新参の人たちが、ベストテンに何らかの変化をもたらしたかどうかは不明で、これは決算号を見てみないことには、判断のしようがない。
映画賞などのベストテンと個人賞は、映画を映す鏡である。もちろん全的にではなく、一つの指針であり、それは映画の見方、映画の評価、ひいては広く、映画の興行にまで派生する意味をもつ。その中心に、国内でもっとも多くの映画評論家、映画ジャーナリストが参加するキネマ旬報のベストテンが位置する。
個人的な思いを言おう。映画賞、ベストテンは、変わっていく必要がある。それは、映画の側が、そのように要請してきているからである。映画が変わっているのに、その評価のあり方もまた、変わるのは当然だろう。普遍的な要素もある映画の価値観を重々承知しながら、映画にはそういった側面もあるのだと、私はあえてそのように言いたい。
そんなものに評価されてたまるかと、無視する向きがあっても全く構わない。だが、指針はその時代時代に、厳然と存在する。その存在まで、否定はできない。その指針とは、ではいったい何なのか。それが非情にも、あからさまになるのが映画賞だと、私は思っている。
(大高宏雄)