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作品に惚れ込め! 映画美学校の公開講座で寺島進が熱弁

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作品に惚れ込め! 映画美学校の公開講座で寺島進が熱弁

2011年12月22日

 映画美学校は20日、アクターズ・コースの公開講座「映画俳優との対話」第4回を開いた。ゲストには寺島進が登場し、同コース受講生をはじめとした俳優志望者を前に熱弁をふるった。

 一連の北野武監督作品をはじめ、映画、テレビドラマなど各方面で圧倒的な存在感を放つ名優は、1986年公開の松田優作監督・主演『ア・ホーマンス』の現場で「のびのびやりながら、集中と緊張感を保つという感覚」を覚え、今でもそれを大事にしているという。

 受講生から「のびのび集中するにはどうしたらいいか?」と聞かれ、「脚本や監督に惚れ込むこと」とアドバイス。「惚れ込むと、もっと強く体感したい!と思うから、どんどん集中していける。惚れ込むって、大事です」と作品にとことん向き合う大切さを強調していた。

 映画美学校は、劇団青年団と共同で今年5月にアクターズ・コースを新設し、映画を中心にしながらもドラマや演劇などオールジャンルで活躍する俳優育成に取り組んでいる。

 公開講座「俳優との対話」は、8月にスタートし月1回ペースで全6回を予定。一般人も2500円で受講できる。次回の第5回は来年1月10日に行われる予定で、黒沢清監督作品や伊丹十三監督作品などで知られる洞口依子を招く。


12月20日に行われた映画美学校「映画俳優との対話」第4回採録
 ・会場は映画美学校試写室(渋谷区円山町)
 ・ゲストは寺島進、ホストは篠崎誠監督(アクターズ・コース講師)
 ・講義前に篠崎監督作で寺島進が出演した「おかえり」(1996年)を上映

篠崎 今日は自分の映画(『おかえり』)を上映したあとのトークなので、若干しゃべりづらかったりもするのですが(笑)。この映画で思い出深いのは、寺島さんにナビしてもらって、犬吠埼の朝日を撮りに行きましたよね。こういった場合、役者さんまで連れていくというのはめったにないことなんですが。

寺島 そこがいいんじゃないですか、篠崎組は。

篠崎 寺島さんと初めてお会いしたのは、実は『あの夏、いちばん静かな海。』(91)の現場を僕が取材させていただいた時なんですよ。僕は北野武監督の映画が大好きでしたから、遠くから寺島さんの姿を見かけて「あ、寺島進がいる!」ってうれしくなって、気付かれないように横顔の写真を撮ったんです(笑)。その後、人づてで知り合って、「実はこんなシナリオを書いているんですが読んでくれませんか」と『おかえり』のシナリオをお渡ししたんですよね。

寺島 あれはうれしい瞬間でしたね! こういう仕事をぜひやりたい、と思いました。

篠崎 それから半年くらいかけて、役柄や作品について徹底的に話し合いをして。

寺島 「惚れた女にこういうことは言わないんじゃない?」とか「ここでこう言うのは、気持よくないな」とか。僕の中の想像と、監督が描いている想像が、アンマッチしたときにこそ話し合いましたね。

篠崎 でも、常に話し続けていたわけではないんですよね。特に言葉を交わさないまま、ふたりでずーっと飲んでたりとか(笑)、そういう時間が大事だった気がする。

寺島 せりふが心に響くヒントみたいなものを、お互いに探り合いながらね。

篠崎 僕も頑固なので、お互いに意見を譲ることなく、膠着しかけた時も実はあったんですよ。でも結局「……もう話しあうのはやめて、とにかくリハーサルを1回やろう!」ということになった。身体を動かしてやってみないと何もわからないよ、と。寺やんも大好きなブルース・リーの名言ですよね。「考えるな、感じろ」。

寺島 大事です、ほんと!

篠崎 そもそも寺島さんは、俳優や演技というものに興味を持ち始めたのはいつ頃なんですか?

寺島 人前に出ること自体は、実は昔から苦手なんです。小さい頃、国語の時間に教科書を読まされるのも好きじゃなかった。でも中学の時、クラスの友だちとピンク・レディーを3曲踊ってウケたんですね(笑)。それが観客の前に出る快感を覚えた最初かもしれないです。

篠崎 でもピンク・レディーからいきなり俳優業へは、つながらないでしょう?

寺島 高校の時に知り合いが「三船芸術学院」という養成所のパンフレットを持ってきて。好きな道を自分で選べ、と父親から言われて育ったので、ちょっと興味もあるし行ってみるかなあ、と。中でも、殺陣の授業がすごく楽しかった。その授業の先生の運転手を務めながら、この世界に入りました。初めての役者仕事は『太陽にほえろ』のチンピラB。その後、剣友会の先輩を通じて、松田優作さんの舞台に出演することになって、自分の芝居を褒めていただいて。ああ、自分はこの仕事をやり続けてもいいのかもしれない、とそのとき思ったんですよ。

篠崎 なんて言われたんですか?

寺島 「そのままでいいから」と。これ以上のテンションだとクサくなるし、これより下げてしまったら成立しないから、今のままで行けと。結局、お調子者なんですね。僕は。ほめられると、調子にのってしまう(笑)。その後『ア・ホーマンス』(86/松田優作監督)にも出演させていただいて、その現場で学んだのは、のびのびやりながら、集中と緊張感を保つという感覚。今も、それをキープしたいと常に思っていますね。

篠崎 その後、「この仕事は本当に自分に向いているかもしれない」と思った経験はありますか?

寺島 それが、あんまりないんですよね。向く向かないじゃなくて、「一生やり続けよう」という覚悟みたいなものを感じたことはありますけど。『あの夏~』で北野監督に「役者という商売は、一生やれる商売だから」と言われたんですよ。世の中のどんな仕事も、それからお笑いの世界でさえも、いつか能力が落ちるときがくる。でも役者は一生現役でいられるんだから、死ぬまでに天下をとれば勝ちなんだ、と。僕は芝居が特別うまいわけじゃないけど、そんなふうに、いい出会いに恵まれながら、生かしてもらっているなという思いが強くありますね。

【受講生からの質疑応答】
――先ほどおっしゃった「のびのびと集中する」ためには、どうしたらよいのでしょう?

寺島 ……どうしたらいいんだろうなあ……(長考)……僕も、すべての仕事でそうなれるわけでは、決してないんですけど。でも脚本や監督に惚れ込むと、そうなれるような気がします。惚れ込むと、もっと強く体感したい!と思うから、どんどん集中していける。惚れ込むって、大事ですよ。

――俳優として日々を過ごすにあたって、日常的に気にかけていることはありますか。

寺島 人を見ることかな。それと、自然を感じること。川べりを歩くのが好きなんですよね。空の色も、緑も、季節が変われば全然違うじゃないですか。綺麗なものは綺麗だと感じたいし、嫌なものは嫌だし。そういうようなことじゃないかと思います。……答えになっているのかな(笑)。

――自分がどうしようもなく持っている個性、というものと、どんなふうに向き合ってこられましたか。

寺島 ……あんまり、向き合っていないかなあ(笑)。お客さんの声や感想を聞いたりすると、ああこれでいいんだ、とか、ここは改めなきゃいけないな、と思ったりはするけど。あと、この業界に入った頃の目標というのがひとつ、あって。「チンピラ役をやらせたら日本一、という役者になってやる」。もちろん役者にはいろんなクセがあるけど、監督さんによって何を良しとするかは違うわけだから、その都度、求められるものを出していくというのが自分の仕事だと思っています。

篠崎 それに、相手の役者さんによっても、芝居は大きく変わるものですからね。僕が好きな役者さんは、皆さん、人の話を聞いているときの顔がいいんですよ。自分のせりふのときだけスイッチが入るような役者さんは、僕はどうも苦手。寺やんはちゃんと相手役の目を見て、気持ちを交わしていくうちに、芝居が変わっていくじゃないですか。

寺島 気持ちが入れば、意図的に変えようとしなくても、そうなっちゃうというか。芝居に正解なんてないけど、日常的な会話でも、限りなく普通でありたいと思ってはいますね。……でも、難しいね。こうして改めて考えるとね。

篠崎 僕が忘れもしないのは、話し合いの中で寺やんが「この映画のテーマは何?」って聞いてきたこと。たぶん寺やんはその答えが欲しいのではなくて、僕がちゃんとこの物語の軸を確信的に捉えているかどうかを確認したかったんだと思う。

寺島 今は、そういうふうにみんなで腰を据えて取り組めるような作品には、なかなか出会えないんですよね。どうしても時間やスケジュールに追われてしまう。去年『ふゆの獣』(10年、内田伸輝監督)を観たときに、『おかえり』を強く思い出したんです。少人数で、密にコミュニケーションを取りながら、1シーンずつ撮っていく。そういう作り方って、なくなってほしくないなと思うんですね。お互いに率直な意見を言い合って、ある手作り感の中で1本の映画を作っていく。『おかえり』で味わったあの一体感は、今も忘れられないし、忘れたくない経験ですね。

(了)

 


 

※記事は取材時の情報に基づいて執筆したもので、現在では異なる場合があります。

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