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ボンズ南、J.C.松倉、CWF川口の各氏が新潟でトーク

【FREE】ボンズ南、J.C.松倉、CWF川口の各氏が新潟でトーク

2025年03月20日
左から司会の鳩岡、松倉、南、川口の各氏 左から司会の鳩岡、松倉、南、川口の各氏

 第3回新潟国際アニメーション映画祭期間中の16日に、「アニメスタジオと映画の半世紀」と題したトークイベントが日報ホールで開催され、ボンズの南雅彦代表取締役、J.C.STAFFの松倉友二執行役員制作本部長が登壇。また、当初登壇予定だったプロダクション・アイジーの石川光久氏が体調不良のため欠席となり、客として来場していたコミックス・ウェーブ・フィルムの川口典孝代表取締役会長が急遽代役として参加した。

 「半世紀」という大きな題目のトークとなったが、南氏が業界入りした1980年代から話がスタート。その頃のアニメは、グッズやプラモデルを売るためのコマーシャルメディアとして存在し、映像そのものがビジネスになるのは劇場映画ぐらいだったという。その数年後に松倉氏が業界入りした頃にはOVAのアニメブームが到来しており、OVAでオリジナル作品を制作していたという。

 放送の1~2年前から企画が始動し現場が動く現在とは異なり、昔のTVシリーズは「3~4か月前から現場が動く」(南氏)と振り返り、4月放送開始の場合は「仕込んでいてもGOが出なくて、年末から動く」(松倉氏)といった状況だったという。「人数が合わない。今だと絶対にできない…」と川口氏が驚きの声を上げると、「今より大らかだった。私が入った時は年間で(業界全体で)30タイトルぐらい。人手不足はずっと変わらないが、(人の)数の投下はできたりした」(松倉氏)と現在との違いを語った。

 南氏や松倉氏と出自の異なる川口氏は、自主制作時代の新海誠監督と二人三脚でキャリアを積んできた経歴を持つが、「『ほしのこえ』を自分たちでビデオにして売ったのがデビュー。先輩たちが(OVAの)文脈を作ってきてくれたから入口ができた。そしてだんだん映画に移行し、『君の名は。』がドンと当たってくれたのが一直線につながっている」と、アニメ業界の先人が整えたルートに乗った成功であるとの考えを示した。

 トークは近年の海外市場の話題にもおよび、松倉氏が「海外に向けた企画をやらなきゃいけないといった時期もあったが、それはあっという間に終わり、やっぱり国内向けに作って、ちょっと海外も意識するぐらいになった。現場は意外と変わらない」と話すと、川口氏も「日本で当たったものを(海外の人も)見たいという時代に突入したので、自信を持って、日本のファンが喜ぶものを精一杯作るのが第一だと思う」と同調した。中国への販売が最優先だった時期もあったものの、「最近はそこまで(製作委員会から)中国と言われない」(松倉氏)、「(検閲を気にしても結局は)通らない。一生懸命に放送の3か月前に納品したのに通らないケースもあり、その時は泣くしかない。だから昔ほどは強く言われなくなった」(南氏)といった変化についても語った。

※記事は取材時の情報に基づいて執筆したもので、現在では異なる場合があります。