インタビュー:森岡利行監督「女の子ものがたり」
2009年08月19日
―監督のこだわりのシーンというのはありますか。森岡 最後に取っ組み合いのケンカをするシーンがありますよね。あれは原作にはありません。口で相手を説き伏せたりすることが不器用な子たちなので、体でぶつかっていく手段をとりました。結局、口では説明できないんですよ。あの場面は自分のこだわりと言えます。あと、編集者の財前(福士誠治)と菜都美(深津)の会話にも自分のテイストを入れ込んでいます。「良いものを書いたら売れますよ」と財前が言ったら、菜都美が「プッ」と笑うところは、自分の中にもある考えですね。例え良い映画を作っても、必ずしもヒットするわけではないというもどかしさは常にあります。でも、良い映画を作ってきたからこそ、深津さんはじめ良い俳優さんやスタッフと出会うことができたという自負もあります。そこは難しいところですね(笑)。
ロケの中心は愛媛県―キャスティングには苦労されましたか。
(C) 2009西原理恵子・小学館/「女の子ものがたり」製作委員会 |
森岡 まずは深津さんにオファーを受けて頂きました。あの年代の女優さんの中でもナンバーワンだと思いますし、繊細さの中に力強さがあって、優しさとか色んなものを秘めていてぜひ出演してほしかったんです。小学生時代の女の子3人、高校生時代の女の子3人は、大後(寿々花)さん以外は全員オーディションで決定しました。同じキャラクターの小学生時代、高校生時代を別の役者さんが演じるわけですから、同じ雰囲気を出すのはなかなか難しいだろうなと思っていたのですが、演出が同じなのでだんだん似てきましたよね(笑)。違和感なく仕上がったと思います。
―映画の中では、舞台の設定が明らかにされていませんよね。登場人物の方言から関西地方と想像できますが。森岡 原作の舞台は高知なんですが、高知弁は地元の人以外には少しわかりづらいので、もっと標準語に近い方言が使われている関西を舞台にしました。たまたまキャストにも関西出身の人が多くて、自然に撮影を進めることができましたよ。ちなみに、菜都美は普段は標準語なのに、地元に帰ると関西弁になりましたよね。あれは深津さんのアイデアです。深津さんは大分出身で、故郷に戻ると言葉も戻るという話をされていて、それを映画にも取り込みました。
―ロケ地は愛媛県が中心だったそうですが、そこを選んだのはなぜですか。森岡 制作部が西日本をずっとロケハンで回ってくれていたのですが、映画の最後のキーポイントとなるひまわり畑に最適な場所を見つけてきてくれたんです。そこが愛媛の大洲市の肱川沿いでした。愛媛はオレンジの景色がすごく多くて、明るくて良いなと思いました。菜都美の服装がオレンジや黄色が中心なのも、そこからヒントを得ています。映画のワンシーンで出てくる小屋の屋根も、オレンジ色に塗り替えましたからね(笑)。
好きな仕事ができて幸せ―監督はこの作品をどんな人に見てもらいたいですか。森岡 今ちょっと立ち止まっている人とか、スランプ気味の人にはぜひ観てもらいたいですね。そして観終わった後に、優しい気持ちになれたり、もう一回原点に戻ってその時の嬉しさを思い出して元気になってもらいたいです。
―幸せには、人それぞれ色々な形があるというメッセージが映画の中に込められています。監督自身にとっての幸せは何ですか。森岡 僕の場合、やはり好きな仕事をやれていることですね。若い時は、夢を持ってガムシャラに進んでいる姿が幸せだったのですが、最近は、自分が大好きな映画作りに関わっていることに幸せを感じています。
森岡利行(もりおか・としゆき) 1960年生まれ。大阪出身。劇団ストレイドッグ主宰。
95年石橋凌主演、映画『新・悲しきヒットマン』で脚本家としてのキャリアをスタート。その後、望月六郎、三池崇史、青山真治、工藤栄一監督などの映画脚本やテレビドラマの脚本を手掛け、00年『クラヤミノレクイエム』で映画監督デビューを果たした。
主な脚本作品に原田芳雄主演、映画『鬼火』(97年/監督:望月六郎)、谷原章介主演、映画『極道戦国志 不動』(96年/監督:三池崇史)、中森明菜主演、連続テレビドラマNTV『ボーダー』、石橋凌主演、NHK『ビタミンF』、薬師丸ひろ子主演、NHK『コウノトリなぜ紅い』他多数。
監督作品に黒川芽以、沢尻エリカ主演、04年『問題のない私たち』(アジア太平洋映画祭出品作品)、武田真治、広末涼子主演、08年『子猫の涙』(第20回東京国際映画祭「日本映画・ある視点」で特別賞受賞。
最新作は藤原紀香、原田泰造主演、NHK連続ドラマ『ツレがうつになりまして。』(脚本)、塚本高史主演、TBS連続ドラマ『帝王』(脚本・演出)。