創立55周年特別企画【2】:「文化通信ジャーナル」草創期の歩み 1961~71年の誌面より
2006年01月01日
《文化通信社創立55周年記念特別企画 2 》
「文化通信ジャーナル」 草創期の歩み
ジャーナル・ぷれいばっく ~1961~71年の誌面より~文化通信社創立55周年特別企画 2 「文化通信ジャーナル」 草創期の歩み
ジャーナル・ぷれいばっく ~映画・エンターテイメントビジネス、そして文化通信社の足跡を、
1960年代および1970年代初頭の本誌記事で振り返る~
現在のエンターテイメントビジネスの礎を作り上げた時期となったとも言える
1960年代前半から1970年代初頭頃、
文化通信社が発行する月刊誌も草創期にあった。
現在、文化通信社が発行している月刊誌
「文化通信ジャーナル」の前身となっているのは、
●映画専門業界誌として1961年4月に創刊した
月刊
「映画ジャーナル」(1961年4月号~1970年8月号を発行)
および
●時代の流れにいち早く対応して1970年9月に、
映画・放送・音楽を網羅したエンターテイメント業界総合業界誌へと拡充した
月刊
「AVジャーナル」(1970年9月号~2006年5月号を発行)
これら前身月刊誌の草創期誌面では、当時業界最先端で活躍していたキーマンを次々と誌面に登場させ、業界内の最新トピックスを紹介し、業界の進むべき道筋を探りながら、業界の一番近くから将来を展望する形で、各業界の歩みを解きほぐしている。(文化通信社のスタンスは現在も変わっていない)
この「映画ジャーナル」創刊から「AVジャーナル」の初期頃(70年9月~71年6月)というと、既に約40年もの時をさかのぼることになり、現存する本誌面自体も数が少なくなってきている。
その、今や貴重なものとなっている本誌面記事(一部)を、文化通信社の創立55周年記念特別企画として以下で紹介する。
是非、当時の息吹や、各業界の歩み、文化通信社の歩みを感じていただきたい。
※以下、登場する人物の肩書きは、全て当時のものです。
▽61年4月号 (映画専門誌「映画ジャーナル」創刊号)●記念すべき創刊号の表紙には、
デザインとしてもひときわ目立つ形で森岩雄・東宝専務が登場。 もちろん本文内にも、“表紙の人”という形で、森専務のインタビューを掲載。森専務は“映画は斜陽じゃない”と力強く語っている。
●創刊号には、巻頭に時の総理大臣であった“池田勇人首相”インタビューも掲載。 映画に対し深い関心を持っていた池田首相を紹介する内容で、本誌記者が池田首相の私邸へ赴いて取材を行ない、記事化した。
●また創刊号から、文化通信社らしいページとして
“社長室拝見”というコーナーもスタートその第1回では、松竹の大谷博社長を取り上げ、この部屋から生まれる発想などにスポットを当てた。
▽62年10月号●連載シリーズ「これがホントの活動屋だ」コーナー
円谷英二氏 当時、既に特撮技術世界ナンバーワンとして誰しもが認めた存在となっていた円谷英二氏も本誌面に登場。同連載では、業界最先端で活躍する映画人を次々と紹介してきたが、円谷英二氏も同様に映画作りにかける情熱などを赤裸々に語っている。
▽67年6月号●“くたばれ!マカロニウエスタン”非常に目を引くアートワークが印象的。
当時日本映画界を席捲したマカロニウェスタン旋風を
業界的に側面から見た記事構成で、日本映画界にとっての必要性・買付動向などを分析している。