【大高宏雄の興行戦線異状なし〈特別編〉Vol.146】
「清須会議」「かぐや姫~」、結果がすべてではない
2013年11月27日
今年の掉尾を飾るべく公開された東宝配給の2本の作品が、意外な成績になっている。「清須会議」と「かぐや姫の物語」である。個人的には両作品とも、各々の監督をはじめとする製作者たちが、渾身の力を発揮して、見どころ十分の映画になっていたと思う。この点を、まずは確認しておこう。
なぜ、そうしたことを指摘しておくかというと、最近ネット中心に、いたずらに興行成績“のみ”をあげつらう傾向が垣間見られるからである。そうではないのだ。興行結果は、映画の大きな要素だが、もちろんのこと、それがすべてではない。それを踏まえた冷静な分析が重要なのである。とともに、興行に関する記述は、映画へ“いざなう”道しるべにならないと、全く意味がない。
さて「清須会議」は、11月9日から公開されて、11月24日時点では、全国動員149万5946人・興収18億1638万4850円を記録(430スクリーン)。11月23日から公開された「かぐや姫~」は、23.24日の2日間で、22万2822人・2億8425万2550円であった(456スクリーン)。どちらも、普通の作品であるなら、堂々たるヒットと言っていいこの数字を、さあどう読むかである。
「清須会議」は、三谷幸喜監督の前3作である「THE 有頂天ホテル」「ザ・マジック・アワー」「ステキな金縛り」の興行実績を踏まえる必要がある(数字は、いちいち記さないが)。結果的には、前3作の成績には及ばないと、現時点では推測される。その理由は単純に言って、「清須会議」が、これまでの三谷映画ではないからである。
笑えない三谷“喜劇”。否、今回、小規模ながらないことはない喜劇的要素は、時代劇的物語設定のあとに、かろうじて、くっついていると言うべきか。だから、当然失望もあったろう。若い人には、とっつきにくい題材だった面もあろう。ただ、これはどのようなヒットメーカーであれ、表現者であるなら、誰もが通る道筋なのである。
表現者が、一つの枠、イメージに収まらない表現活動を意図するのは、当然過ぎるほど当然だと、私は考える。その枠を超える試みが、三谷監督にとっては、「清須会議」だったと思う。ただ、ここにねじれが生じる。観客は、三谷本人の“内面的な”表現活動への意欲に、それほど関心をもつわけではない。概して、大多数の保守的な観客は、イメージを後生大事にする。
イメージと作品のズレ。ねじれとは、これである。宣伝面での露出、監督本人のパフォーマンスは、これまで以上だったのではないか。これは、三谷監督本人が、そのねじれを一番気にしていたからだろう。その効果は抜群で、ねじれは大ダメージにはならない程度に収まったのである。
「清須会議」は、題材や内容が、興行の決定的な大ダメージにはならなかったことを、もっと取り上げるべきだと思う。結果のみが、すべてではない。これは、ダメージ云々は別にして、「かぐや姫の物語」も同様なのであるが、その“分析”は、また後日としよう。
(大高宏雄)