トップインタビュー:高井英幸東宝社長
2007年07月31日
順風満帆の中、今改めて想うこととは やれるときにやってしまう
株主価値、企業価値を高める
東宝の好調な業績には、長い間に培った人間関係が脈々と息づいている。これを今後も維持し、さらに社是の「朗らかに~」を今改めてかみしめ、社内の引き締めを図る。やれるときにやってしまう本誌 社長に就任されて今年が6年目となりますが、ちょうど就任されて1年目(03年)で本誌がインタビューをしています。そのとき、高井社長は、社長業はスケジュールが組まれているので、自発的に動くことが減った。同じ仕事でも、自分で動き回るほうが好きだと言うような話をされていました。それは、今でも変わりありませんか。高井 そんなことを言ってたんですね。そういった気持ちは基本的には変わりませんが、守備範囲が広くなった分、そう細かく動き回ることは無いし出来ませんね。まあ時代の流れとか、業界全体の風向きとか、当社自体のバイオリズムとか、総合的に見ながら、今何をしておかなければいけないのかの優先順位を考えたとき、当時は、まずはシネコン戦略をどうするかと、老朽化が始まった既存館、既存ビルをどうするかという時期でしたね。
本誌 ちょうど、いろいろな局面が境目のころでしたね。ヴァージン・シネマズ・ジャパンの買収が、03年の4月でしたから。この買収によって、シネコン事業が加速化する。高井 ヴァージン・シネマを買収したことで、シネコンに関してはダッシュがかかった。既存館はシネコンの普及で収支がしんどくなるということもあるけれども、それ以前に築年数が40年を過ぎてくると耐震的にも辛くなる。それが全国ほとんどのビルに当てはまるということで、さあ一挙にいけるかどうか思案のしどころでしたが、山田専務率いる不動産経営部はエンジンがかかってきている。幸いというか、シネコンの普及のお陰で、千田専務率いる映画営業部の業績が上がってきましたし、安定もしつつあった。ではやれる時に一挙にやってしまおうということになった。横浜東宝会館から始まり、名古屋、札幌、熊本、東京では上野、目黒があり、砧のスタジオもある。大阪の南街会館と東京の本社を再開発の最初の山場と位置付けていたので、今年の11月シアタークリエビルの竣工をもって、とりあえず最初の山を越えるということです。
本誌 映画事業の好調さが、順調な開発につながったのは、間違いないですね。株主価値、企業価値を高める高井 再開発はかなりの設備投資ですから、基本的にこれまでの蓄えがあればこそ決断出来たわけですが。と同時に、ここ数年の邦画の健闘が数字上の支えにもなり、精神的な支えにもなったことも確かです。一方で、会社があまり蓄えを持ってもいけない時代になったということもありますけど(笑)。むしろ将来に布石を打つという点では、会社の資産の有効活用からみて、今意欲的に設備投資を進めることが、株主価値、企業価値を高める上でより正しいと思ってもらえるようになったことも、精神的な追い風としてあると思います。
本誌 東宝の不動産開発を大きく支えた映画事業について、聞いてみたいと思います。最初に、現在の東宝の邦画配給の意志決定機関が、映像本部会にあるわけですが、この形は今までどおりですか。高井 原則的には第一、第三の月曜日に開いています。私が議長役をやり、映画調整部からあらかじめ提案されていた企画について、営業、宣伝、映像事業、映像製作、興行を受けるTOHOシネマズの各代表役員と部長クラスが、配給をさせてもらうか、製作もさせてもらうか、意見を出し合い決めていきます。決めるまでは立会いますが、いったん決まったらあとの具体的な営業戦略、宣伝戦略、興行戦略および実務は各担当の責任でまとめていきます。あとは私は余程のことがない限り何も言いません。
本誌 少し、社長業について聞きますが、社長として、阪急阪神の方々とはどういった関係を保っているわけですか。高井 今度は「阪急阪神東宝グループ」となりましたが、阪急グループと東宝グループとで以前から年に一回、役員から部長クラスまで、親睦を深める会があります。阪神グループとはまだこれからですね。
本誌 社長同士で、会うことはないんですか。高井 社長同士で、ひんぱんに会うことはないですね。ただ私の場合は、阪急百貨店の監査役をやっているので、取締役会と監査役会があるときには、毎月1回、役員たちとの交流はありますね。
本誌 高井社長は、関係会社の役員が多いですね。これも、大変ではないですか。高井 基本的には非常勤ですから、実務的に大変ということはありませんが、総会時期は全国行脚がありますので、このときだけバタバタします。まあ本格的に連結決算時代に入りましたので、グループ戦略はこれからますます気が抜けなくなります。内部統制課題もありますし、グループ経営企画部は役割が大きくなっています。
本誌 松岡功会長は、グループ全体を見るわけですね。高井 そうですね。グループ全体の案件、東宝の経営全体に係わる案件に関しての最終決定は、会長に必ず立ち会っていただき判断を仰ぐ。やはりいろいろな事項の過去の成り立ちや、これまでのさまざまな経緯は、私たちも知らないことがあるので、会長の話を聞いてなるほどと思うことが多い。私が立場上なるべく俯瞰でものを見るようにしているつもりでも、会長はさらにもっと俯瞰で見ているのがわかって、冷や汗をかきますよ(笑)。別に話し合いで決めたわけではないが、会社経営の運営実務の責任は私が持ち、総合的な経営判断は会長に見ていただくといった格好ですね。
本誌 これは非常に気になることなんですが。会長とは、毎日話しをされたりしているんですか。高井 毎日は、無いですよ(笑)。5月は子会社の総会が多く、そのあとの懇親会が続いて、一週間ぐらい一緒でしたかねえ。懇親会ではほとんど仕事の話をされませんから、どの場合もまずは楽しい懇親会になります。
本誌 ここ数年の東宝を見ていると、とにかく映画事業部門が好調ですね。その理由を高井社長の口から直接、今日は聞きたいと思います。「踊る大捜査線」の1作目が、1998年でした。興収103億円のメガヒットとなり、「南極物語」に次いで実写映画の歴代2位の成績。さらに2001年に「千と千尋の神隠し」が300億円を超え、今に至る邦画の歴代トップの成績になります。東宝の怒涛の快進撃の始まりです。高井 そうそう。
本誌 私は、東宝の快進撃は、高井社長が長く所属されていた映画調整部の存在が、何といっても大きかったと考えています。これは私だけではなく、衆目の一致するところだと思います。この部署は、1970年代に設立されました。歴史や苦心ぶりを聞くと長くなりますので聞きませんが、その長きにわたる活動が、今の映画事業の好調さを作っているという認識で、間違いはないでしょうか。