宮崎駿監督の引退記者会見が9月6日、東京の吉祥寺第一ホテルで行われ、宮崎監督、スタジオジブリの鈴木敏夫代表取締役プロデューサー、星野康二代表取締役社長が登壇。会場には、TVカメラ70台、海外から韓国、台湾、中国、ロシア、イタリア、フランスなど13の国と地域、記者260人、合わせて約700人のマスコミが詰めかけた。
会見は約1時間半にわたって行われ、宮崎監督たちはマスコミからの質問に丁寧に、じっくりと、時にユーモアを織り交ぜながら答えた。この歴史的会見の模様を連載し、宮崎監督の言葉を噛み締めていく。
構成・文:和田隆
ぼくは自由です。
宮崎(写真右) 「公式引退の辞」というのをコピーして皆さんにお渡ししてありますので、質問をして頂ければ何でも答えるという形で、ご挨拶にしたいと思うのですが、僕は何度も辞めると言って騒ぎを起こしてきた人間なのでまたかと思われているんですけど、今回は本気です。(笑)
鈴木 始まったものは必ず終りが来ると、そういうものだと思います。僕の立場でいうと、なんと言うんですか、落ちぶれて引退をするのは格好悪いと思っていますので、ちょうど今『風立ちぬ』という映画が公開されていて、それがいろんな方に支持されている時にこういうことを決めたのは良かったのではないかなと、そんな風に思っております。
皆さんもう一つ、今後ジブリはどうなっていくんだろうと、当然そのことに疑問を持たれると思います。現在、11月23日(土)に公開の高畑勲監督の『かぐや姫の物語』、これは皆さんにご心配をかけましたけども、鋭意制作中で目処も見えてきましたので、11月23日に必ず公開することをお伝えしたいと思います。引き続きまして、企画その他はまだ発表出来ないんですけど、来年の夏を目指して現在もう一本映画を制作中。この二つを皆さんにお伝えしたいと思いました。
Q.引退するに当たり、子供たちへのメッセージは?
宮崎 そんなに格好いいことは言えません。何かの機会があったら私たちが作って来た映画を観てもらえれば、何か伝わるかもしれません。それに留めさしてください。
Q.長編監督からの引退なのでしょうか? それから、これからやっていきたいことを具体的に教えて欲しいのですが。
宮崎 ここに(引退の辞)、我ながらよく書いたなと思うんですけど、「ぼくは自由です」とありますが、やらない「自由」もあるんです。ただ、車が運転できる限りは毎日アトリエに行こうと思っています。それでやりたくなったものや、やれるものはやろうと思っています。まだ、休息を取らなければいけない時期なので、休んでいるうちにいろいろとわかってくると思うのですが、ここで約束すると大概破ることになると思いますので、ご理解ください。
Q.1984年に公開された『風の谷のナウシカ』ですが、こちらの続編はこの先作られる予定はあるのでしょうか?
宮崎 それはありません。
Q.(韓国のメディア)韓国にも監督のファンがいっぱいいます。韓国のファンにひと言お願いします。また、韓国で話題になっているゼロ戦についてもどう考えているのか教えて下さい。
宮崎 映画を観ていただければわかると思っていますので、いろいろな言葉に騙されないで、今度の映画も観て頂けたらいいなと思います。いろんな国の方々が私たちの作品を観て下さっていることは非常に嬉しいと思っています。それと同時に、『風立ちぬ』の作品のモチーフそのものが、日本の軍国主義が破滅へ向かっていく時代を舞台にしていますので、いろいろな疑問が、私の家族からも自分自身からも出まして、それにどういう風に応えるのかということで映画を作りました。ですから映画を観て頂ければわかると思います。映画を観ないで話しても始まらない、是非お金を払って観てくれたら嬉しいなと思います。
Q.今後、ジブリの若手監督の作品に、監修とかアドバイアザーとか、アイデアを提供したり脚本を書くなど関与する考えはあるのですか。
宮崎 ありません。
Q.「今回は本気です」ということですが、今回と今までは何が一番違うのでしょうか。
宮崎 「公式引退の辞」に書いてありますけども、『風立ちぬ』は『崖の上のポニョ』から5年かかっているんです。もちろんその間、映画を作り続けたわけではなくて、シナリオを書いたり、自分の道楽の漫画を描いていたりとか、或いは美術館を手伝うとか、いろんなことをやっていますが、やはり5年かかるんです。いま次の作品を考え始めますと、たぶん5年じゃ済まないでしょうね、この年齢ですから。そうするとここにも書いてありますけど、次は6年かかるか7年かかるか、あと3ヵ月もすれば私は73歳になりますから、それから7年かかると80歳になってしまうんです。
僕はこの前お会いした元「文藝春秋」の編集長だった半藤一利さんとお話をして、その方は83歳でしたが、その方は本当に背筋が伸びて頭もはっきりしていてですね、本当にいい先輩がいる、僕も80歳になってこうなっていたらいいなと思って、あと10年は仕事を続けますと言っているだけで、続けられたらいいなと思いますが、アニメの延長線上には自分の仕事はないなと思っています。そういうことで、僕の長編アニメーションの時代は終わったんだという風に。もしもやりたいと思っても年寄りの世迷言であると片付けようと決めています。
Q.引退を鈴木プロデューサーと正式に決めたタイミングはいつで、どのような対応だったのですか?
宮崎 よく覚えていないんですけど、「鈴木さんもう駄目だ!」と言ったことは覚えています。鈴木さんは「そうですか」と。何度もやってきたことなので、その時に鈴木さんが信用したかはわかりませんが、ジブリを立ち上げた時にこんなに長く続ける気はなかったことは確かです。ですから何度ももう引き時なのではないかとか、辞めようという話は二人でやってきましたので、今回は、次は7年かかるかもしれないというところに鈴木さんもリアリティを感じたのだと思います。
鈴木(写真左) 僕もそんなに正確に覚えているわけではないんですけど、『風立ちぬ』の初号があったのが6月19日なんですよ。多分その直後だったんじゃないかと思うんですよね。宮さんの方からそういう話があった時に、確かにこれまでもいろんな作品でこれが最後だと思ってやっているという話し方があったんです。その時の具体的な話し方は忘れましたけど、今回はちょっと本気だなと僕も感じざるを得ませんでした。というのは、僕自身が『ナウシカ』の制作を始めてから数えると、今年が30年目に当たるんですけどね、その間いろいろありました。ジブリを続けていくうちに、宮さんも言ったように、これ以上やるとよくないんじゃないか、やめようかやめまいかとか、いろんな話があったんですけど、今回は僕もこれまでずっと30年間、言ってみれば緊張の糸があったと思うんですよ。その緊張の糸が宮さんにそう言われた時、少し揺れたんですよね。
僕自身が、変な言い方すると少しホッとするみたいなところがあったんですよ。だから、僕は若い時だったらそれを止めようとか、いろんな頭が働いたと思うんですけど、自分の気持ちの中でなんかカッコつきなんですけど、「本当にご苦労様でした」という気分があったという気もするんですよね。
ただ、僕自身はなにしろ引き続いて映画を公開しなければいけないので、その途切れかかった糸をもう一回縛ったりしてね、現在仕事をしている最中なんですけど。それで実は細かいことまで話しますと、それを皆さんにお伝えする前に、いつ発表しようかということは話し合いました。その中で、皆さんにお伝えする前にまずスタジオで働くスタッフに対して持ったんですよ。それをいつやって、皆さんにいつ伝えるか。ちょうど『風立ちぬ』の公開というのがありましたから、僕としては映画の公開前に、映画が出来てすぐに引退だなんて発表したら、これはややこしくなると思ったんですよ。だから、映画を公開して、ある落ち着いた時期、実は社内では8月5日にそのことを伝えました。そして、映画の公開がひと段落した時期、その時に皆さんに発表できるかなと。いろいろ考えたんですけど、時期としては9月の頭ですよね。そんな風に考えたのは確かです。
Q.(台湾のメディア)台湾の観光客は日本に旅行すると、ジブリ美術館は外せない観光名所になりましたから、台湾のファンからも残念がる声が沢山あります。引退後は時間がたっぷりありますので、海外への旅行を兼ねて海外のファンと交流する予定はありますか?
宮崎 ジブリ美術館の展示その他については、私は関わらせてもらいたいと思っています。ボランティアという形になるかもしれませんが、自分も展示品になってしまうかもしれませんので(笑)、是非美術館の方にお越しいただいた方がいいです。
Q.鈴木さんに、『風立ちぬ』を進めた段階で最後になることを予感するようなことはあったのでしょうか?『ポニョ』で宮崎監督を終わらせたくないという思いはあったのでしょうか?宮崎監督には、この映画を最後にするということで、引き際に関する監督なりの美学などがありましたら、お話しいただきたい。
鈴木 僕は宮崎監督と付き合って来て、彼の性格からして一つ思っていたことは、ずっと作り続けるんじゃないかなと、そう思っていました。どういうことかと言ったら、たぶん死んでしまうまで、その間際まで作り続けるのではないかと。すべてをやることは不可能かもしれないですけど、何らかの形で映画を作り続けるという予感の一方で、宮さんという人は、僕は35年付き合って来て常々感心していたんですけど、別のことをやろうという時に自分で決めて、それをみんなに宣言する人なんですよ。もしかしたら、これを最後に宣言して別のことに取り掛かっていくのかのどっちかだろうと正直思っていました。
それで『風立ちぬ』という作品を作っていって、それが完成し、その直後にさっき言ったようなお話が出てきたんですけど、僕の予想の中には入っていました。だから、素直に受け止めることが出来たのではないでしょうか。
宮崎 映画を作るのに死に物狂いで、その後どうするか考えるよりも、映画が出来るのか、これは映画になるのかとか、作るに値するものなのかということの方が自分にとっては重圧でした。
Q.(ロシアのメディア)以前のインタビューで、外国のいろんなアニメーション作家から影響を受けたと教えてもらいましたが、ロシアにもユーリ・ノルシュテインという監督がいますが、その影響についてもう少し教えて下さい。
宮崎 ノルシュテイン監督にどういう影響を受けたかというのは、ノルシュテインは友人です。負けてたまるかという相手でありまして、彼はずっと作っていますね。今日実はここに高畑監督も一緒に出ないかと誘ったんですけど、冗談ではないという顔して断られまして、彼はずっとやる気だなと思っています(笑)。
Q.最も思い入れのある作品があれば教えて下さい。すべての作品でこういうメッセージを入れようと意識してきたことがあれば教えて下さい。
宮崎 一番自分の中にトゲのように残っているのは『ハウルの動く城』です。ゲームの世界なんです。でも、それをゲームの世界ではなく映画にしようとした結果、本当に格闘しましたね。スタートが間違っていたんだと思いますけど、自分が立てた企画だから仕方ありません。僕があの児童文学の多くの作品に影響を受けてこの世界に入った人間です。今は児童文学はいろいろありますけども、基本的に子供たちに「この世は生きるに値する」んだということは、今も自分たちの仕事の根幹でなければいけないと思っていました。それは今も変わっていません。
Q.(イタリアのメディア)イタリアを舞台にした作品をよく作っていますが、それはイタリアが好きなのかどうか。それから感想として、半藤さんは83歳でご立派だけども、もっと年上の方を目標にされた方がいいと思います。あと、ジブリの美術館では館長として働くと訪問者は喜ぶと思います。
宮崎 僕はイタリアは好きです。まとまっていないところも含めて好きです。それから友人もいるし、食べ物は美味しいし、女性は綺麗だし、でもちょっとおっかないかなと気もしますが。半藤さんのところに10年すれば辿り着くのか、その間仕事を続けられたらいいなあと思っているだけです。それ以上を望むのは、半藤さんがあと何年頑張ってくれるか分かりませんが、半藤さんは僕よりも10年前先を歩いているので、半藤さんにはずっと歩いていて欲しいと思います。
館長にということですが、展示されているものがもう10年前に描いたものなので、色あせていたり、書き直さなければならないものが随分ありまして、それを僕はやりたいと思っているんです。これは僕が筆やペンで描いたりしなければならないものなので、それはずっとやらなければならないと思っていたこと。美術館の展示品は、毎日掃除しているはずなのに、いつの間にか色あせていくんですね。その部屋に入った時に、全体がくすんで見えるんです。そのくすんで見えるところを一か所キラキラさせると、そのコーナーがパッと甦って、不思議なことにたちまちそこに子供たちが群がるようになることが分かったんです。ですから、美術館を生き生きさせていくには、手間をかけ続けなければいけないというのがわかったので、それを出来るだけやっていきたいとは思っています。
Q.美術館では短編アニメも監督されていますが、これも展示の一環と考えると短編アニメには関わることがあるのかどうか。鈴木さんには、高畑監督も『かぐや姫の物語』を最後の傑作と言っているようですが、ジブリの今後について教えて下さい。
宮崎 僕はやってもやらなくても「自由」なので、今はそちらに頭を使うことはしません。前からやりたかったことをやろうと思っています。それはアニメーションではないです。
鈴木 僕は現在『かぐや姫の物語』の後、来年公開作品に取り掛かっています。僕も実は宮さんより若いんですけど65歳になります。ジブリにいったいどこまで関わるのかという問題はありますが、今後のジブリの問題というのは、いまジブリにいる人たちの問題でもあると思うんですよ。その人たちはどう考えるのか。そのことによって決まるんだと僕は思っています。
宮崎 ジブリの今後については、やっと上の重しがなくなるんだから、こういうものをやらせろという声が若い人からいろいろ鈴木さんに届くことを願っていますけどね、本当に。それがない時は駄目ですよね、鈴木さんが何やっても。僕らは30歳の時にも40歳の時にも、やっていいんだったらなんでもやるぞという覚悟でいろんな企画を考えましたけど、それを持っているかどうかにかかっていると思います。これは門前払いをするような人ではありません、鈴木さんは。今後のことは、いろんな人間の意欲や能力にかかっているんだと思います。
Q.他にこれをやってみたかったという長編作品があったら教えて下さい。
宮崎 それは本当に山ほどあるんですけど、やっぱりやってはいけない理由があったからやらなかったんだと思いますので、ここで述べようもない。それほどの形になっていないものばかりです。辞めると言いながらこういうのはどうなんだろうとしょっちゅう頭の中には出たり入ったりしますが、それも人に語るものではありませんので、ご勘弁ください。
Q.具体的にどんなことをやりたいのかもう少し詳しく教えて下さい。世界へも発信をされてきましたが、これからも違った形で発信をしていくつもりなのでしょうか?
宮崎 やりたいことはあるんですけども、やれなかったらみっともないからまだ言いません。僕は文化人になりたくないんです。僕は町工場のオヤジでして、それは貫きたいと思っています。だから発信しようとか、あまりそういうことは考えません。文化人ではありません。
Q.当面は休息を優先するということなのでしょうか? 『風立ちぬ』に際しては東日本大震災や原発事故に関して発言していますが、それで感じたことが『風立ちぬ』に与えた影響をもう少し教えて頂きたい。
宮崎 『風立ちぬ』の構想が震災や原発事故には影響はされていません。時代に追いつかれて追い抜かれたという感じを作りながら覚えました。それから休息ということはですね、僕の休息は他人から見ると休息に見えないような休息でして、仕事を好き勝手やっていると大変でもそれが休息になることもあるので、ただ寝っころがっていると疲れるだけ。夢として出来ないかもしれませんが、京都まで歩けたらいいなと思いますけど、途中で行き倒れになる可能性もありますが、それは時々夢見ますが、それは実現不可能だと思います。
(つづく)
【宮崎監督の公式引退の辞】
ぼくは、あと10年は仕事をしたいと考えています。自宅と仕事場を自分で運転して往復できる間は、仕事をつづけたいのです。その目安を一応〝あと10年〟としました。 もっと短くなるかもしれませんが、それは寿命が決めることなので、あくまでも目安の10年です。
ぼくは長編アニメーションを作りたいと願い、作って来た人間ですが、作品と作品の間がずんずん開いていくのをどうすることもできませんでした。要するにノロマになっていくばかりでした。
〝風立ちぬ〟は前作から5年かかっています。次は6年か、7年か……それではスタジオがもちませんし、ぼくの70代は、というより持ち時間は使い果たされてしまいます。
長編アニメーションではなくとも、やってみたいことや試したいことがいろいろあります。やらなければと思っていること―例えばジブリ美術館の展示―も課題は山ほどあります。
これ等は、ほとんどがやってもやらなくてもスタジオに迷惑のかかることではないのです。ただ家族には今までと同じような迷惑をかけることになりますが。
それで、スタジオジブリのプログラムから、ぼくをはずしてもらうことにしました。
ぼくは自由です。といって、日常の生活は少しも変わらず、毎日同じ道をかようでしょう。土曜日を休めるようになるのが夢ですが、そうなるかどうかは、まぁ、やってみないと判りません。
ありがとうございました。
『風立ちぬ』(C)2013 二馬力・GNDHDDTK