今年は民放60周年。1951年(昭和26年)に日本初の民放ラジオ局が開局した。初の民放テレビ局はその2年後に誕生した。
この60年、一体、何タイトル・何本の番組が生まれたか、なんてデータがあるのかは定かでないが、民放連ではこの60年の「思い出の番組」を募っている。特設サイト(http://minpou60.jp/top.html)を設け、今年8月1日から11月30日までの期間で募集し、応募された番組とそれにまつわるエピソードを随時掲載している。
見ると、この3ヶ月間で3,001件(11月2日時)が投稿、掲載されている。業界的には3千件は少ない印象もあるが、やや地味な募集展開で、知っている人は多くないだろうと思われる。番組の年代別でみると、2000年代は421件、1990年代519件、1980年代735件、1970年代833件、1960年代404件、1950年代89件で、70年代が最も多い。
番組を見れば、いろんなタイトルが上がり、それは様々。懐かしいものから、そんな番組も?と、胸に刺さる番組が一人一人違うことをあらためて実感する。そして思うのは、テレビ番組への投稿が大差で多いのかと想像していたら、ラジオ番組が思った以上に多いことに気づく。数えてみると、テレビ番組は1,900件、ラジオ番組は1,101件だった。投稿数全体の3分の1以上をラジオ番組が占めている。さらに意外なのは、最近の2000年代ではテレビ番組よりラジオ番組への投稿が上回っているのだ。
内訳は、2000年代テレビ165件、ラジオ256件、1990年代テレビ270件、ラジオ249件、1980年代テレビ487件、ラジオ248件、1970年代テレビ568件、ラジオ265件、1960年代テレビ353件、ラジオ51件、1950年代テレビ57件、ラジオ32件、という結果だった。ラジオは古い年代の方が多いかと思ったら、これも違った。
民間放送60周年記念全国大会が11月1日、東京国際フォーラムで開催された。集まった関係者1,300人を前に挨拶した広瀬道貞会長は、3月の東日本大震災時、停電のためにラジオとワンセグが活躍したことを語った。ラジオはそうした非常時によく見直される。だが、単にインフラだけでなく、その魅力は「思い出の番組」の投稿にもあらわれているのではないだろうか。その投稿数がデータとして成立するかは別にして、その数が存在するのは事実。
10月2日に開催された第1回NHK・民放連共同ラジオキャンペーン「はじめまして、ラジオです。」のイベントでは約1万2千人が来場。9月17~19日のTBSラジオ「感謝deサカス」イベントは3日間で9万人が来場したという。ラジオは集客力を持つ。ちなみに、本日(11月3日)は文化放送が地元・浜松町を中心にしたイベント「浜祭」を開催、おそらく賑わうことでしょう。
ラジオが低迷していると云われて久しいが、その媒体価値はもっと見直されてもいいと業界は切に願っている。テレビとラジオを比べて広告売上の規模に大きな開きがある。だが、一般に出回っているテレビ「世帯」視聴率と、ラジオ「個人」聴取率では比較にならないものの、テレビも「個人」視聴率としてラジオと同様の土俵の上で比較すれば、数値的にその差は縮まる。ゆえにラジオの広告売上はもっとあってよいという理論が生まれる。一部業界がこれに注目し、テレビとの比較論でラジオの媒体力をアピールしている。大手スポンサーの中にはラジオの対費用効果に気付き始め、最近、番組枠を奪い合ったという話も聞く。
TBSラジオは有料音声コンテンツ配信のポータルサイト「らじこん」(http://www.radi-con.com/?uiaid=4gg4uocqyo)を昨春開設し、同局のみならず他局のラジオ番組等も集め、安価な料金で有料販売している。これまでに50万ダウンロードを突破した。映像コンテンツのオンデマンドがにわか活気づくが、音声コンテンツも需要は少なくない。まだ認知が低いため、これからさらに拡がることが期待されている。
民放の誕生時足跡は、1951年4月に民放中波ラジオ16社に最初の予備免許が付与され、同年7月民放連が発足、同年9月に民放初のラジオ局、中部日本放送(CBC)と新日本放送(現・毎日放送/MBS)が開局したのが始まり。その後、同年中に民放ラジオ4社が開局。さらに1953年8月に民放初のテレビ局・日本テレビが放送開始し……今日に至る。この間、メディアの主役をテレビに奪われたものの、幾度も非常時の日本を救ったラジオ。その度に頼りにされ、品不足で求められ、脚光を浴びてきた。が、そのあとどう活かすががいつも課題となる。打開した時、多くの人たちを救うことになると言えるかもしれない。