松竹出身の映画監督・井上和男氏、脚本家・馬場当氏が相次いで死去
2011年07月01日
去る6月下旬、松竹出身の二人の映画人が相次いで亡くなった。一人は映画監督・井上和男(いのうえ かずお)氏、26日(日)午前11時46分肺気腫のため死去した、86歳。もう一人は脚本家・馬場 当(ばば まさる)氏、29日(水)午後10時57分、悪性リンパ腫のため逝った、享年84だった。
二人は共に昭和23年に松竹大船撮影所脚本部に入り、井上氏はその後助監督から監督へ、馬場氏は32年フリーとなり数々の名作を残した。二人は大島渚や篠田正浩らに代表される“松竹ヌーベルバーグ”の先駆け的映画人であり、松竹大船で同世代であった故・今村昌平氏(2006年5月31日死去、79歳)と親交が深く、1979年公開の今村昌平監督「復讐するは我にあり」(松竹=今村プロ)では、井上氏が「製作」を馬場氏が「脚本」を手掛け、カンヌ国際映画祭や日本アカデミー賞など、数々の映画賞を獲得している。
また、井上氏は“蛮(バン)”の愛称で親しまれ、今村氏と共に小津安二郎監督に師事していたことでも知られ、1971年松竹を退社、「蛮友社」を設立し、編著「小津安二郎・人と仕事」を刊行すると共に1983年、岸恵子、有馬稲子、岡田茉莉子、杉村春子、笠智衆、木下恵介、今村昌平、新藤兼人、中井貴恵らにインタビューしてドキュメンタリー映画「生きてはみたけれど 小津安二郎物語」を監督、小津監督の没後20年作品として同年10月松竹配給で公開した。遺作は小林旭が監督した「春来る鬼」(’89)の製作を手掛けた。
一方、馬場氏は今村作品の他、「乾いた花」(’64/松竹)、「卍」(’83/東映)「ひとりね」(’02/フィルム・ボイス)の映画や「下町診療所女医日記」(’90/TBS)「二階の女」(’94/日本テレビ)などTVドラマのシナリオも手掛け、「復習するのは我にあり」や新藤兼人作品に俳優としても出演し話題となった
(代表取締役社長:指田 洋)