皐月賞馬ジェニュインが19日に死にました。報道によると、功労馬として余生を送っていたところ、右脚を負傷して立ち上がれなくなったということです。最近、90年代に活躍した馬が次々と死んでいる印象で寂しい限りです。
「サンデーサイレンス産駒のG1馬を全部挙げてください」と言われて1頭の抜けもなく正確に答えられる人は少ないでしょう。いったい何頭いるのかわかりません。しかし、多くの競馬ファンはかなり早めにジェニュインの名は挙げるんじゃないでしょうか。
94年に産駒がデビューして以来、日本競馬の歴史を塗り替えてしまったスーパー種牡馬・サンデーサイレンス。その初年度産駒を代表する1頭がジェニュインです。サンデー時代の幕開けを飾った代表格として、タヤスツヨシやフジキセキ、ダンスパートナーらと共に記憶している人が多いことでしょう。
雄大な漆黒の馬体に、ナリタブライアンを彷彿させる白いシャドーロール。ピンクのバンテージに社台の黄色い勝負服で、なかなか派手なビジュアルでした。しかしその外見とは裏腹に、レースぶりは先行抜け出しの堅実なもので、特に3~4歳戦(現2~3歳戦)は抜群の安定感を誇っていました。
皐月賞を勝ち、ダービーでは2着。タヤスツヨシとともにクラシックの主役を張ったわけですが、秋は(当時としては)珍しく天皇賞に駒を進めて2着に頑張りました。まさに一流馬。サンデーの名をグングン引き上げた立役者でした。
その一方で、古馬になってからの成績は物足りないものでした。サクラローレル、マヤノトップガン、マーベラスサンデーの3強や、後輩のバブルガムフェロー、エアグルーヴには歯が立たず。マイルチャンピオンシップは勝ちましたが、あとは善戦止まり。4歳時の輝きは薄れていたと思います。当時、サンデーサイレンス産駒が早熟タイプだと言われていたのは、4歳春に燃え尽きたタヤスツヨシと、ジェニュインの印象が強かったからかもしれません。
「ジェニュイン」という、何とも言いにくい馬名もインパクトがありました(今はそんな馬名ばかりですが)。松山調教師が「この馬は!」と思う馬が現われるまで温存していたという特別な馬名で、アメリカの名馬ジェニュインリスクから借りたようです。いかに陣営の期待が大きかったかがわかりますね。種牡馬としては、ダートで活躍したドンクールを輩出した程度で、成功とは言い難いものでした。ただ、一族から菊花賞馬アサクサキングスが出るなど、活躍馬の多い由緒正しい血統でもありました。
個人的には馬券の相性が悪く、良い思いをした記憶がありません(ホッカイルソーを応援していたので…)。しかし、非常に印象に残る馬でした。記事を読むと、いつの間にか23歳になっていたんですね。残念な事故ですが、ゆっくりと休んでほしいです。