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タイキブリザードは「マル外」の代表格 (vol.198)

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タイキブリザードは「マル外」の代表格 (vol.198)

2014年08月20日

97年の安田記念を勝ったタイキブリザードが、19日けい養先で死にました。23歳だったということです。もうそんな歳になるんですね。

私のタイキブリザードのイメージは、外国産馬(通称マル外)の代表的な1頭ということ。今でこそディープインパクト産駒などの内国産が活躍していますが、90年代は「マル外」が猛威を振るった時代。いかにも米国産馬という巨体で、マル外の活躍馬を多く輩出していた「タイキ」の馬でした。藤沢厩舎が「マル外の一流マイラー育成場」というイメージが強くなったのも、タイキブリザードの活躍が大きかったと思います。ヒシアマゾン、エイシンワシントン、タイキシャトル、シーキングザパール、グラスワンダー、エルコンドルパサーらと並んで、「ザ・マル外」馬だったと思います。

安田記念を勝ちましたが、芝・ダート、距離を問わないオールラウンダーでもありました。4歳時(当時の5歳)にジャパンカップで4着した後、藤沢調教師が「小回りの有馬記念の方が距離は持つ」という趣旨の話をしていたのが印象的で、その通り2着に健闘。マイルでも2400m以上でも力を発揮できる稀有な存在でした。

G1で上位争いをする力がありながら、ちょっと勝ちみに遅かったのもこの馬の特徴です。ネームバリューの割に重賞は3勝に留まりました。初めて勝ったのは5歳の大阪杯。ようやく悲願のG1達成を果たしたのはその翌年の安田記念ですからね。今思えば、晩成タイプだったのかもしれません。

2年連続で米のブリーダーズカップに挑戦したことも思い出深いです。結局は2回とも大敗。タイキブリザードでも全く歯が立たない状況に「アメリカのダート戦線はレベルが高い」という思いを強くしたのでした。あと、2年目の遠征では当初予定していたレースを使わなかったなどのゴタゴタがあったことも記憶に残っています。

種牡馬入りした後はパッとした成績を上げられなかったですが、けい養先の担当者さんの話では、ファンの多い馬だったとのこと。幸せな余生だったことでしょう。お疲れ様と言いたいです。

ちなみに、個人的にタイキブリザードのベストレースは6歳時の京王杯スプリングカップ。前年秋にアメリカで大敗して以来の競馬だったので、「どうかな?」という感じでしたが、レコードタイムでの完勝。穴狙いの私が観念して、次走の安田記念では本命にしたのでした。


平池アイコン(サイト用).gif平池由典(ひらいけ・よしのり) 映画部記者 兼 サイト事業部所属
 映画・DVDの取材を担当しています。“宇宙人が攻めてくる系”映画が大好物。趣味は競馬と映画鑑賞。当コーナーでは、競馬と映画を中心に自由につぶやいていきますので、良かったらご覧ください。

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