先日、タイキブリザードの訃報に接し、当時の思い出などを書きました。今日は、96年の日本ダービー馬フサイチコンコルドについて書きます。報道によると、青森の牧場で余生を送っていたところ、放牧中の事故で死んでしまったとのこと。21歳でした。
フサイチコンコルドと言えば、たった2戦のキャリアでダービーを勝ってしまったスーパーホースということに尽きると思います。ディープインパクトだってダービーまで4戦を費やしています。まさに「常識破り」の馬でした。名匠・小林稔厩舎で早くから素質を高く評価されていて、デビュー戦で単勝1倍台の支持を受けていたほど。アッサリと新馬、すみれSを勝ち、クラシック最有力と謳われたバブルガムフェロー、ダンスインザダークを負かすならこの馬だと言われました。
ダンスインザダークとの対決は、ダービー前哨戦のプリンシパルSで早くも実現…のはずでしたが、熱発で回避。フサイチコンコルドは体質が弱く、ダービーにぶっつけ本番で挑むことになってしまいました。能力だけならダービーの有力馬たちにも劣らない、けど休み明け、しかもたった2戦のキャリア…。常識的には厳しい状況だったため、当日は人気薄。というより、全馬がダンスインザダークの、そして初ダービー制覇を狙う武豊騎手の引き立て役という感じだったと思います。
最後の直線でも、手応えたっぷりで伸びてくるダンス。とうとう武豊がダービー優勝か…と思いきや、外から強襲したのがフサイチコンコルドでした。競馬の七不思議とまで言われた「豊はダービーを勝てない」ジンクスは、またも継続されることとなったのです(2年後に悲願は達成されるわけですが)。
その後の戦績は、あまり記憶にありません。菊花賞の前哨戦として挑んだオープン特別では、メジロの逃げ馬に簡単に逃げ切られて2着。本番の菊花賞はダンスインザダークのラスト3ハロン33秒台(当時は凄かった)の末脚に屈して地味に3着。そのまま引退…という幕切れでした。種牡馬としても、バランスオブゲームやブルーコンコルドなどを輩出し、優秀なイメージでしたが、さほど印象には残らず。馬主・関口房朗氏の豪快なイメージや、藤田騎手の初ダービー制覇という冠もありますが、やはり、何と言っても「3戦3勝のダービー馬」に尽きると思います。
最期は骨折で立ち上がれなくなり、息を引きとったとのこと。痛かったでしょう。安らかに眠ってほしいです。
ちなみに、ダービーは馬連をとらせてもらいました。馬券の本命はサクラスピードオーでしたが、内心「やっぱダンスは外せないよな…」という思いがあり、ちょこっとだけ、ダンスからでも配当の良いフサイチに流したのでした。良い思い出です。