10月16日公開の映画『桜田門外ノ変』は茨城県内の市町村、企業、団体、市民などが地域発案型の映画として製作した。資金調達から企画開発、ロケ地探しやエキストラ協力など、いまだかつてここまで地域が映画製作に深く関わることはなかった。佐藤監督、企画の橘川氏が、理想の地域発の映画づくり、まちづくりの未来を語った。
(左より関口氏、佐藤監督、橘川氏)
●企画の意図
橘川
「地域発の映画を作ることで、観光誘客、地域振興につなげたいというのが大きな狙い。ゼロから出発したが、茨城県出身の陶芸家・板谷波山を描いた映画『HAZAN』で、製作に協力した経験が生きた。最初に準備会を作って、映画作りの“夢”を語らった。メンバーは30代、40代を中心に、まちづくりに興味がある人、映画が好きな人、地域のボランティア活動のキーパーソンなど様々。やがて毎週土曜日に茶室を借りて、会合を定例化して、意見を出し合った」
「水戸藩をテーマにした映画を作る時に、最初は水戸黄門の映画を作れないかと考えた。しかし、残念ながら水戸光圀にまつわる名所は残っておらず、観光誘客にはつながらない。観光誘客の視点に立つと、“幕末”を舞台にするしかなく、いまだ一度も映画化されたことのない“桜田門外ノ変”を描くことを決めた。2008年8月、準備会を母体にした『「桜田門外ノ変」映画化支援の会』設立総会を行った」
「映画を通じた地域振興の旗を掲げても、我々は映画についてはアマチュア。やはり、映画作りはプロに任せ、我々は県内で資金集めを行い、観光拠点作りを並行して行った。オープンロケセット・記念展示館の入場者数は16万人をのぼる」
●監督としての決意
佐藤
「監督を受ける以上は、橘川さんらに伝えなければならないことがあった。桜田門外ノ変は、地域に限った話ではなく、日本全体と大きく関係のある事件。歴史の1ページとして重要であり、歴史的にある必然があって起きた。井伊直弼襲撃は政治的テロリズムであり、この場面を通常の映画のように、クライマックスに持ってくることはできない。水戸藩を讃えることはしないと伝えた。世界的な大きな流れの中で起きた事件として描き、それでいて、エンタテインメントとして楽しんでもらえるような映画を目指した。茨城県サイドからの口出しは一切なく、全てを任せてもらった」
●県内に大きなうねり
橘川
「『映画化支援の会』の活動には80以上の団体が参加し、その全ての会報誌で、支援の会の活動を掲載した。県も全ての広報媒体を使って宣伝をしたので、県民みんなが映画のことを知り、官民一体となって協力しようという機運が生まれた。炊き出し、深夜のエキストラ出演など、一般の人がどんどん集まってきて応援をする。参加した人は感動し、映画スタッフも県民に感謝する。何より、県民の中には大きな達成感があった。茨城に対する自信、誇りのようなものを植え付けることができたのではないか。最初は2、3人で始めた活動が、地域の大きなうねりとなった。」
佐藤
「これまで50年近く、40本の映画を作ってきて、こんなに地域の人々が協力してくれた作品はなかった」
●フィルムコミッションへの警鐘
橘川
「フィルムコミッション(FC)の今の在り方は危険であり、このままではFCに明日はない。映画はビジネスであり、お金が動くもの。何もプラスにならないものは、長くは続かない。誰かが損をするような構造ではいけない。関連グッズを作るとか、映画会社と交渉をして二次使用の収入を得るとか、FCもきちんとお金を受け取る仕組みにする必要がある。ボランティアがTシャツ1枚だけで、朝から晩まで撮影をサポートするのは難しい。私は民間のFCを作りたい。映画の作り手とFCが互いにビジネスの関係を築かないと、FCは潰れてしまうと思う」
●3つのコツ
橘川
「地域発の映画作りのコツは、3つある。(1)大義。やはり理屈がないと。(2)お金はカンパの形が望ましい。出資ではなく、協賛という形にできれば理想的。企業側には資金を出すことで、メリットがあることをアピールできれば可能。『桜田門外ノ変』では、クランクインの1ヶ月前に製作資金がショートし、撮影延期の危機もあったが、私は覚悟を決めて資金集めに奔走した。友人6人が、会社としてではなく個人として、4億円を出してくれた。彼らは“お金は返ってこなくていい”と言ってくれた。『桜田門外ノ変』製作の過程を全部知っているからだった。映画にはそういうパワーがある。(3)やはり人。折れず、やり遂げる覚悟のあるキーパーソンが、周りに広げていくしかない。但し、金儲けだと思われてしまったらダメ。私の場合は、公務員という立場だったから、周りが付いてきてくれた」
(次ページで第三部を掲載)