特集:松山千春の自伝的小説『足寄より』異色の朗読CDドラマ
2006年12月27日
ぼくはCDドラマのプロデューサーに、締切りの延長を申し出た。やがて、雨降る6月の夜半過ぎ、光明は舞い降りた。
「メシ、食えてるか? 電車代、持っているか?」
1977年8月、松山千春のデビューを見届け、36歳の若さで夭折したSTVラジオ・ディレクター、竹田健二の声だった。
「千春、おれはもういない、これからお前は1人で歩いていくんだ」
庭に咲く芙蓉の花が、雨上がりの陽光にまぶしく映える朝、ドラマ脚本は完成した。
松山千春と竹田健二の、男と男の絆が結ばれたラストシーンを書きながら、ぼくは涙をこらえきれなかった。
原稿を渡し、その話をすると、CDのプロデューサーは笑った。
「自分で書いて自分で泣くなんて、珍しい人だね」
その後の展開は、さすがプロデューサーと言うべきものだった。松山千春役に塚本高史、竹田健二役に田口トモロヲを配して、収録は始まった。
SE(効果音)を依頼したスワラプロの伊藤克己氏は、一流のサウンドデザイナーだ。こちらが黙っていても最高のSEを作り上げてくれる。その彼がぽつりと言った。
「うちも創業30周年なんだ」
その言葉の意味を、ぼくは出来上がってきたSEを聴いて、知ることになる。
千春と竹田が歩く帯広市街の背景音には、30年前にそこを走っていた市外電車が入っている。千春が駆け込むコンテスト会場への足音は、当時の若者がはいていた月星ゴムのスニーカー。STVラジオ制作室の電話のベル、コンサート会場における観客の声援、すべてが30年前の本物だ。
当代随一のフォークシンガー松山千春のドラマCDに、一流の配役、そして一流のSEとくれば、ぼくだって全力を尽くさなければならない。脇役、ガヤ(エキストラ)、劇中のラジオで流れるCMに至る細部まで台本を起こし、一流の俳優と劇団員総出で収録にあたった。
収録中に、スタッフから、一流の俳優はその他の俳優とどこが違うのか、と尋ねられた。
「一流の俳優は、はい、と返事をするだけでわかりますね」
と、ぼくは答えた。
二流三流は、一流ではない負い目がある。だから自分ができない理由を探し、できなかったことの言い訳をしてしまう。
「もっと悲しくやればいいんですね」
「語尾をあげればいいんですね」
などと一言で説明できるなら、演出家などという職業は存在する必要がない。演出家の度重なるダメ出しにも「はい」とだけ答えて挑戦し続ける俳優は、一流になれる。塚本高史も、田口トモロヲも、一流だった。
8月下旬、ミックスを終え、CDドラマ『足寄より~旅立ち編~』は完成した。
(全文は「月刊文化通信ジャーナル」2006年11月号に掲載)