トップインタビュー:井上泰一角川映画(株)代表取締役社長
2009年10月29日
原作の全てを映画化 ――長大な原作なのですが、脚本化するにあたって、どこにポイントを絞って脚本にしたのですか。 井上 先生としては基本的には、1本の映画としては長い時間になりますが、全部入れて欲しいということでしたので、当初は300ページ弱の本になっていました。
――原作は5冊ですからね。
井上 当初は1本2時間の2部作にしようという考えもありました。1部と2部を若干ずらして公開するという案もあったのですが、先生の「感動の涙は1回しかでないんだよ」ということで、1本にしたんです。
――脚本が西岡さんに決まったのはどういう理由ですか。
井上 やはり先生の意向が強かったのです。プロットの段階で先生の「カミソリみたいのじゃなくて、私のは鉈のようにドンと切り込まないとできないのよ」ということで、彼が書いたものが採用されて、継続して脚本をやってもらったのです。
――同時進行で監督の人選もしていたと思います。いろいろな人の名前が当時聞こえて来ましたが、TVディレクターの若松節朗さんに決まったのはどういう経緯ですか。
井上 すでに主演には渡辺謙さんが決まっていて、その渡辺さんの推薦もありました。
――渡辺さんと若松さんはどういう関係なのですか。
井上 昔、テレビドラマを一緒にやったらしいんですが、基本的にはあまり仕事はしていないはずです。ただ若松さんは今年還暦を迎えたベテランで、渡辺さんは組んでみたい監督の一人という希望があったようです。今回の“「沈まぬ太陽」は渡辺謙さんありき”の企画で、僕が社長に就いた(07・3)時にはすでに決まっていました。先程のラインナップを発表(06・5)した後に、渡辺謙さんは“恩地の役をぜひ演じたい”と山崎先生にお手紙を出していたと7月8日の記者会見で語っていました。
――角川映画が出演オファーする前にですか。
井上 そういうことです。すごい思いが込められていて、彼自身も昨年この撮影に入る前に、みずからアフリカに飛んでいますから、その風景を感じたいと言って……。
――昨年秋ですか。
井上 テレビの「刑事一代」の撮影が終わったあと、アメリカに住んでいる奥さまと合流して、11月でした。
――それでクランクインしたのは年明けでしたね。
井上 当初は昨年12月ごろ入りたかったのですが、時代設定の衣装だったり、海外の準備があったりで、2月イランロケから撮入し、3月から6月にかけて国内での撮影を行いました。
――クランクイン前から日本航空をはじめとしていろんな障害がありましたね。業界でもこの作品に関してはいろんな噂がありました。実現しないのじゃないか、等々……。
井上 いろんな噂が飛びかっていたことは事実です。スタッフも「本当に間に合うのか?」「本当にやるのか?」等々、音を上げたことがあったのです。
――そういう様々な困難がある中で、今回完成できたというのは、やはり角川歴彦会長がもうどうしても作るんだということだったのですか。 井上 そうですね。7月8日の製作報告会見では、「オールラッシュを見て非常に感動した。98年の『タイタニック』を超える3時間22分の超大作。私は映画会社だからこそできる仕事。映画会社がしなければいけない仕事。そういうことを、この作品を見てつくづく思った。日本映画の伝統とも言える“社会派作品”の王道を貫いている作品。総製作費は23億円で、角川グループ全力を挙げてこの映画のために頑張りたい」と製作メッセージで語ってもらっていますように製作に入る時から我々としては動きやすかったということはありますね。
(全文は月刊誌「文化通信ジャーナル」09年10月号に掲載)