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トップ・インタビュー:岡田裕介東映(株)代表取締役社長

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トップ・インタビュー:岡田裕介東映(株)代表取締役社長

2008年08月26日
執行役員は本人が決定

 ――今後、東映ではラインの部長は大体執行役員になるという方向ですか。

 岡田 そうだね。60歳の定年を前に会社をやめて執行役員になる場合と、執行役員にならないで60を越えて残った場合とでは、条件的に少し悪くなってくるわけです。だから、僕は「誰それを執行役員に命じます」とは一回も言っていません。「執行役員になりますか。推挙しますが、決めるのは本人だ」と常に言っています。なぜかと言うと、一回会社をやめなければならないからね。例えば、いまからこういうことが起きるかもわからないが、50で僕が特定の人をやめさせたいなと思ったら、逆に執行役員にして、次の年にやめてもらうということも考えてできなくはないわけでしょう。だから東映の執行役員制度というのは、本人が決めていかなければならないことだと思っているんです。ですから他の企業とはちょっと違っています。他社で執行役員に任命されたら「ありがとうございます」という話だと思うんだけど、東映では「ありがとう」かどうかは本人が努力すればよくなるという、ある種の成果主義を取り入れたつもりなんです。


顧問もこれまでと違う

 ――今回、顧問に付いた萩原、首藤、宮林の3氏は、それぞれ担当していた部署の営業に関する業務を委嘱ということですが、従来の顧問よりも仕事をしていくということですか。

 岡田 そうです。従来の顧問のように任期期間中じっとしててもいいというものではなくて、ある意味で常勤だと思っています。今後、65歳と70歳を一つの目途に区切りをつけていかなければならないと思っていて、そのために両支社長は退任したわけですが、新任の大西幸記くん(執行役員関西支社長)も麻生裕一くん(九州支社長)も前任の2人がいないと駄目だと僕が判断して、顧問に付いてもらったわけです。

 ――麻生九州支社長は若い方なのですね。

 岡田 麻生くんは、まだまだ若いのですが、しばらく前から後任は麻生くんと言われており、彼も一生懸命頑張っていました。11月1日公開の「まぼろしの邪馬台国」(監督堤幸彦/吉永小百合主演)は九州が舞台であり、支社長としてどう実績をあげられるのか見ていこうということです。

 ――今回の人事のポイントになるのでしょうが、大西さんが関西支社長になり、関西支社長代理だった村松秀信さんが本社の映画営業部長に昇進したわけですね。

 岡田 これは村松くんにとっても本社に出てくることはいいだろうし、大西くんにとっても関西に行って、一回全てを見てみるのが一番いいのではないのか。ご存知の通り、大西くんは角川ヘラルド映画(現・角川映画)を退社して3年前に途中入社したわけで、やはりどうしてもまだ門外漢の感じがどこかであります。関西支社というのは、よくも悪くも東映で一番東映らしいんだよ。昔の東映らしさやなごりが一番残っているんです。東京本社はどんどん東映らしさがなくなってきているんですからね。

 ――関西には京都撮影所もありますしね。

 岡田 そうそう。関西支社と京都撮影所というのは最も東映らしい所で、それを一回彼の中に皮膚感として仕事をしていく中で考えてもらえると思ったし、洋画会社と違って邦画会社にとって関西支社は大変重要な場所なわけです。配給から興行、宣伝もしなければいけない。トータル的に小さな宇宙ができあがっている所ですから、大西くんにとっては一回いろいろな立場からものを見るには、すごくいいと思っています。村松くんも広島東映から始まってずっと関西にいたわけで、やはり東京本社に一回出て来て、どこで何をやっているのか見きわめることも大事だと思ったわけです。彼は現場からのたたき上げみたいなところもあるし、配給をどこまでやっていけるのかいまからの楽しみでもあるし、僕も含めてバックアップしてやることだと思っています。

 ――しばらく前まで、村松さんは宮林さんの後任になると見られていたようですね。

 岡田 みんなそう言っていた。宮林くんも「はぁ!?」と言っていましたね。大西くんも村松くんも、本当の意味での映画人になるためには一回代わってもらって、それぞれの立場を変えていく方が、東映にとっていいことではないかと感じて、今回の人事を決めたわけです。


社長が当面、直接指揮

 ――7月1日付で有川さん(俊 映画企画管理部長)と中曽根さん(千治 映画企画製作部長)が正式に部長に昇進しました。坂上さんが退任して、今後の東映の映画製作は中曽根さんを中心にしていくという方向性を打ち出したということですか。

 岡田 いや、違う。組織上はそうなんだけど、今年の1月1日付で発令した緊急宣言をいつ解くかわからないが、当面僕が直接指揮していくつもりです。管理面は有川くん、僕の助手的な立場で中曽根くんがその間をやっていく形になると思います。ただ、中曽根くん自身も、自分の作品を抱えたりするわけで、その時は自分の作品をどうやって当てていくかに全力投入しなさいと言っています。それぞれの作品の責任者を決め、部長が全体の責任を取って決めていくという体制にはしないつもりです。全体については僕が統括しているわけで、徐々に徐々にそういう体制に移行していくはずです。


他社より早く番組決め

 ――社長が直接指揮を取ることになって半年が経過したわけですが、ある種の成果は出て来たのでしょうか。

 岡田 基本的にこれまでは番組が決まるのが後手を踏んでギリギリになっていたことがあります。だからとにかく来年の番組をどうやって早く決めて他社と同じに、むしろ他社よりも早くどんどん決めていけるのかだと思っています。おかげさまで来年の秋までは決まってきています。

 ――7月に入って東映系は「釣りキチ三平」(監督滝田洋二郎)「Baby Baby Baby!(仮)」(監督両沢和幸)、α系は「劇場版エリートヤンキー三郎」(監督山口雄大)、「鑑識・米沢守の事件簿」(監督長谷部安春)と立て続けて新聞に新作を発表しましたが、社長が直接指揮することになってから何作品決められたんですか。

 岡田 現時点(7月中旬)で10作品以上を決めました。

 ――先程、映画制作部門を指揮するのは当面というお話しでしたが、今後製作担当重役は内部昇格になるわけですか、それとも外部からスカウトするわけですか。

 岡田 はっきり言って外部からの招へいはないと思いますね。やはり若手が出て来ないといけないと思っていますけどもね…。群雄割拠と言いますか、増田久雄くんの様な、フリーのプロデューサーと契約していくとはあると思います。

 ――増田さんの場合、年間東映系2作品の製作という契約でしたが、具体的な作品はあるのですか。

 岡田 うん、やっています。いま極秘に動いている作品が1本あります。年間2本なんて、本人が言っているんだろうけれど、僕は年間1本ぐらいのつもりなんだけどね。そんなに何本も作品ないよ(笑い)。真面目にやるとそんなにできるものではないんだけどね(笑い)、

 ――ミュージシャンの矢沢永吉のドキュメンタリーを準備していると聞いています。

 岡田 それとは別。それはそれでやっているんだろうけども、だから年間2本と言っているのかな。

 ――2本とも09年の公開になりますか。

 岡田 そうですね。先程も話しましたが、少しでも先行して番組を決めていかなければならないわけですが、かなり面白い、いろいろな企画が回って来ているように思います。

































(全文は月刊誌「文化通信ジャーナル」08年8月号に掲載)

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