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【全文掲載】「ヴェンダースにメガホンを預けた2人」柳井康治氏、高崎卓馬氏

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【全文掲載】「ヴェンダースにメガホンを預けた2人」柳井康治氏、高崎卓馬氏

2024年03月08日

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 ヴィム・ヴェンダース監督、役所広司主演により、公共トイレの清掃員・平山の物語を描いた『PERFECT DAYS』。日本では、昨年12月22日より公開されると息の長い興行が続き、10億円を突破。日本のみならず80か国以上の国と地域でも公開され、全世界興収でも、代表作『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』を超えて監督の歴代最高記録を樹立。また、日本代表作品として米アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされており、来る日本時間3月11日、受賞結果が発表される。これらを記念して、当欄では、弊社月刊誌「文化通信ジャーナル1月号」に掲載した、企画・プロデュースの柳井康治氏(前半)と、共同脚本・プロデュースの高崎卓馬氏(後半)へのインタビュー「ヴェンダースにメガホンを預けた2人」の全文をアップする。彼らの話によれば、意外なことに、当初は映画にする予定ですらなかったようだ――。
(取材・文 島村卓弥)



柳井康治氏の話

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柳井康治氏

■公共トイレへの意識に疑問
 
 同作は、柳井康治氏が発案・資金提供し、日本財団をパートナーに世界的な建築家やクリエイターが渋谷区内の公共トイレを再デザインする「THE TOKYO TOILET」(TTT)プロジェクトの一環として製作。㈱ファーストリテイリングの取締役としても知られる柳井康治氏は、プロダクションノートのなかで、東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定した頃、父・正氏と交わした「人は誰でも一人ひとり違う。誰ひとりとして同じ人はいないという意味で平等である」という会話から、「自分なりのおもてなし」として、TTTに着手したことを振り返っている。

 柳井康治 TTTは、2018年頃から動き始めて、第一弾のトイレが完成したのが2020年夏頃、そして現在までに渋谷区内にある17個のトイレを改装しています。活動のなかで、どんなに有名な方々が作ったトイレとは言え、毎日のように汚されてしまうことに歯がゆさを覚えていきました。原則1日3回清掃員の方が入るのですが、それでも、落書きをされたり、壊されたり、ということが日常茶飯事で起こっています。どうすれば、解決するのだろうと悩むと同時に、ある疑問が生じました。たとえば、オフィスやデパートのトイレは、綺麗なことが多く、自宅のトイレもそんなに毎日掃除しなくても綺麗な状態は保たれている。それがひとたび公共トイレとなると、人の意識として「汚してもいいと思うようになるのは、なぜだろう?境界線があるとしたら、どこなのだろう?」という疑問です。境界線の内側か外側か、どちらかは分からないけれど、もしオフィスやデパート、自宅のトイレと同じように、公共トイレが人に認識されれば、大事に使ってもらえる日が来るかもしれない、と思うようになりました。

 そこで柳井氏は、大きな信頼を寄せるクリエイティブ・ディレクター、高崎卓馬氏に相談をもちかける。それまで協業したことはなかったものの、高崎氏がリオ2016オリンピック・パラリンピックにあわせてディレクションしたトヨタのCMに感銘を受けて以来、親交を重ねてきたという。

 高崎さんは、僕に、1個ずつのトイレの魅力をアピールする方法ではなく、このTTTというプロジェクト全体が、チャレンジングであり、人の価値観や考え方を良い方向に変えようとしている社会的に意義深いものである、と認識されることができれば、人の意識も変わるかもしれないと言いました。そして、相談を重ねていたある日、高崎さんは、アートや芸術には、人の意識をがらっと変える力があるという話をしてくださり、アートの力を借りたプロジェクト(のちの『PERFECT DAYS』)を立ち上げ、その軸としてTTTがある、という方向性が見えてきました。

 アートプロジェクトの具体を考えるなかで、柳井氏の頭の中に浮かんだのは、365日1日3回、TTTのトイレを綺麗にする清掃員の存在だった。

 僕には、清掃員の方々が毎日清掃してくださっていることに敬意を表したい気持ちがあり、このアートプロジェクトを通して、清掃員の方々がスポットライトを浴びたり、清掃やメンテナンス活動がとても尊いものであるという風に人が認識してくれたり、そうした結果が得られると良いなと考えました。また、高崎さんは、映像の方なので、なにかしらの映像作品を作れると良いですね、という話もして、当初は3~4本ぐらいのショートムービーから成るオムニバスの映像作品のつもりで進めていたので、映画にすることは考えていませんでした。僕と、高崎さんは、「主人公は清掃員にしたいですね」「じゃあ誰が清掃員を演じるといいですかね」「いや、ドキュメンタリーかもしれませんね」みたいな話し合いを重ねていき、清掃員あるあるじゃないですけれど、彼らが直面する課題や困難を描く、という地点から出発しました。

■リストの最後にあった名前から

 「どんなに良い取り組みでも、まずは人に知ってもらわなければ、広まらないし、伝わらない」ということを、柳井氏はTTTを通して痛感していた。だから、新たに立ち上げたアートプロジェクトでも、「できるだけ多くの人に知ってもらいたい」という願いで進めようとしていた。そして、その願いは、「誰が撮るか」「誰が演じるか」という映像作品として重要な2つのポイントに、大いに影響を与えた。

 単純に、僕は役所広司さんが大好きだから、清掃員役は役所さん、との希望案が結構最初の方からありました。それを聞いて、高崎さんは、「そりゃあ、役所さんが演じてくださったら、良いですよね…。僕だってそう思いますよ」と半分呆れ気味でした(笑)。それから、高崎さんは僕に、「話題になるって、どれぐらいのレベルですか?」と聞かれたので、「とにかくものすごく」と。曖昧なことばかり言う僕に対して、「それは、具体的にはどんな感じ?」と聞かれるので、「たとえば、ブラピが来日すると、テレビでもよく話題になるじゃないですか。あんな感じです」って言うと、「そのレベルですか。結構ですね…」と高崎さん。「じゃあ、監督も、日本人ではない?」と聞かれるので、「全然日本人で考えていないです。たとえば、スピルバーグとか、タランティーノとか、スコセッシとか」と言うと、「康治さん、それは結構難易度高いというか無理筋ですよ…」と。僕も、難易度が高いことは分かっていましたが、同時に断られてもいいので、頼むだけ頼んでみたい気持ちもあり、「とりあえず頼んでみましょう」といった会話を延々繰り返していました。

 ハードルの高さを承知の上で高崎氏は、誰の扉からノックするかを決めるべく、監督リストを作成した。ずらりと並んだ錚々たる監督名。高崎氏はリストの最後に、「ヴィム・ヴェンダース」の名前を書いた。それが柳井氏の目に留まった。

 映画オタクと言えるほど、映画を観てきたわけではない僕でもヴィムのことは知っていましたし、学生時代に『パリ、テキサス』や『ベルリン・天使の詩』を観て、多くの人たちが得るような衝撃と感動を僕も経験していました。なんというか、カッコ良くて、好きだった。「この人が好きです!」と高崎さんにお伝えしたら、高崎さんも「えっ!」と驚かれて、「僕も一番好きなんです。けど、(リストの)一番前の方に持ってくると、好みを押し付けることになりやしないかと思って、あえて最後に書いたんです」と。二人が好きだと思っているならば、ヴィムにオファーをかけてみようと、動き始めました。

 ちなみに、この時点でもまだ映画を作る、という目的ではなかったという。あくまで、ショートムービー。役所広司を含めて、多忙な二人に依頼するからには、なるべく短期間の撮影で済むように思案していたようだ。

 高崎さんが企画書を書き、僕の手紙を添えて、メールを送りました。ヴィムが好きだということ、プロジェクトの話、自分が感じている課題、ショートムービーを4本ほど撮っていただきたいこと、そしてメインアクターは役所さんで考えていることなどを書きました。2021年12月のクリスマスの少し前に、ヴィムから「やります」と返事が来て、高崎さんと二人で飛び上がって喜んだことを覚えています。その前段で、役所さんにもコンタクトをとっていて、「ヴェンダース監督が撮るなら断る俳優はいませんよ」とおっしゃってくださっていました。最近、役所さんにお話を伺ったら、「まさか本当にヴェンダース監督が撮るとは思っていませんでした」とおっしゃっていました(笑)。役所さんにとっても嬉しい驚きだったと思います。

■「ロングショートムービーかも」

カンヌの地を踏む、ヴェンダース監督ら.jpg
カンヌの地を踏むヴェンダース監督ら

 2022年2月頃、柳井氏は、ヴェネチアに滞在中だったヴェンダースに会いに行き、同年5月、日本に招き入れて会見を開く。この会見で柳井氏は、「清掃という行為の尊さ、建物を維持・管理することに清掃員の方の多大な協力があることを、東京を舞台に伝えたいと思った時に、それを実現できるのはヴェンダース監督しかいないと思いました」と述べ、ヴェンダースも、「社会的に意義があるものを、自由な発想で何章かに分けて作り上げたい」と意気込みを語っている。この時点でもまだ映画とは、決まっていなかった。ちなみに、ヴェンダースは、今年5月に行われたカンヌの記者会見において、オファー当初は表現手段として「写真」の可能性さえあったことを明かしている。

 記者会見を開く頃、ヴィムとのやり取りのなかで、僕は何となく1章15分ぐらいで考えていて、その希望を伝えたら、ヴィムは、「いや、15分なんて撮れるかどうか分からないよ。短ければ、2分の可能性もあるよ」と言われたことがあり、「せめて4~5分ぐらいに…」と返した覚えがあります。それでも3~4話ですから、全体で長くても20分程度ですね(笑)。一つの作品を観た、という感覚を観客に与えるためには、固まりで1時間はほしいな、と思っていました。ただ、当時はそんなやり取りをしていたぐらいですから、結果的に124分尺の長編映画になるとは全く思っていませんでした。

 柳井氏と高崎氏が始めたアートプロジェクトが、映画の輪郭を帯び始めたのは、ヴェンダースらが記者会見の直後から行った、東京でのシナリオハンティングがきっかけだという。1週間ほどかけて、完成しているTTTのトイレをはじめとし、東京中を周った。シナハンの前には、高崎氏が設定を書き留めて共有。これをもとにヴェンダースは、「この清掃員の男はどこに住んでいるだろう」「年収はいくらぐらいなのか」「家にテレビはあるのか、ないのか」「音楽は聴くだろうか」「どこでご飯を食べているだろうか」「酒は飲むか」「休みの日は何をしているか」と高崎氏を質問攻めにしていった。

 高崎さんとヴィムがコミュニケーションを綿密に取り合い、清掃員の男のイメージを作り上げていました。主人公の男は、渋谷区内のトイレを清掃しているけれど、住まいはちょっと離れた、浅草ぐらいかな、じゃあ浅草に行ってみよう、彼はどこで飲むだろうか、大衆居酒屋じゃないな、地下にそれっぽいところがあるらしいから、行ってみよう、地下の飲み屋の近くには古DVD屋があって、彼はこういうものを観るのかな、いやレコードを聴いているんじゃないだろうか、といった感じでシナハンが進んでいきました。

 高崎氏は7月、ヴェンダースの居るベルリンに渡る。日本に居た柳井氏のもとに、高崎氏から朗報が届く。

 ベルリンで設定を膨らませ、詰めるなかで、ヴィムが、「これはショートムービーではないかもしれないね…、ロングショートムービーになるかもしれない」と言い出したらしいんですね(笑)。さらに高崎さんから「もしかしたら長編映画になりそうですけれど、大丈夫でしょうか」と相談を受けて、僕にしてみれば、尺が長くなる分にはとても嬉しいことだったので、「もちろん大丈夫です」と応えました。余談ですが、高崎さんはヴィムの前で、映画になることへの喜びを我慢していたらしく、それを見たヴィムが、高崎さんが映画になることを心配していると思ってか、場を和ますためか、「卓馬、大丈夫だ。僕は映画の作り方を知っているから」と言ったらしいんですね(笑)。ヴィムは、そうしたユーモアに溢れていて、チャーミングなところがあるんです。

■「ヴィム専属プロデューサーなら」

 かくしてTTTから派生したアートプロジェクトは、映画製作で進む方針が固まった。それからおよそ2ヶ月、高崎氏が思いつく限りのエピソードを提案し、ヴェンダースと共同脚本の作業を進めていった。その過程では、清掃員の男の名前が「平山」に決まった。そして10月、16日間の限られた時間で一気呵成に撮影が行われた。

 チームで共有していたのは、フィクションだけれども、なるべくリアルな清掃員の姿を、ドキュメンタリーのように見える形で撮ろうということでした。完成版を観たのは、今年の2月のことです。ヴィムが居るベルリンに行き、観ました。映画が終わって、本当に数分間、何も喋れませんでした。ヴィムが、「まずは康治がコメントしなければいけないよ」と言うので、何か言おうとするけれども、幸せな気持ちや嬉しい気持ちが混ざり合って、本当に言葉が続きませんでした。ただ、ある時、僕は役所さんに、「どんな映画になると思いますか?」と聞いたことがあります。役所さんは、「どうだろうね。でも、すごく美しい物語になると思いますよ」とおっしゃりました。それで僕は、「美しい物語を観終わったら、人は平山さんに会いに行きたくなると思いますよ」と、そんなお話をしたことを覚えています。本当にそのような映画になったと思います。

 映画製作者として柳井氏は、どのような未来を思い描いているだろうか。

 僕は映画プロデューサーでもなんでもなく、ユニクロで働いていて、これからもきっとユニクロで働いていきます。ただもし、ヴィムが何かまたやらないか、と言ってくださるなら、専属プロデューサーとして機能したいと思います。



高崎卓馬氏の話

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高崎卓馬氏

■清掃の仕事から一本の木を想う

 『PERFECT DAYS』について、アメリカの映画業界紙「ヴァラエティ」は、「ヴィム・ヴェンダース監督の心優しい日本人のキャラクター描写は、彼の数十年の物語のなかで最高傑作だ」と賛辞の言葉を贈っている。まず、高崎氏には、「脚本上で清掃員・平山の人物設計を手掛けるなかで、軸となったのはどこだろうか」と尋ねた。

 高崎卓馬 脚本を書く前、もっと言えば、どんな映像にするかを考えるよりも前に、純粋に取材という形でトイレ清掃を1日やらせてもらいました。普段からトイレ清掃員として働いている江田さんという方に、朝から晩まで、1日の仕事を教えていただき、清掃の手順や普段どういう問題があるのか、というのを、一通り経験させていただきました。

 トイレ清掃によって得た気付きについて、高崎氏は、「マイナスをゼロにする仕事」という切り口から語る。

 清掃の仕事は、汚れていると「掃除が足りない」と気づかれるけれど、きれいな状態だと「それが当たり前」と思われてしまってその存在をあまり人は意識しなかったりします。そこに365日間、毎日向き合い続けるというのは、途方もないことで。江田さんにはその仕事に対するプライドと責任感がすごくあって、手順のすべてに理由があって、完璧な仕事がそこにはあったんです。掃除道具も自分で改良を重ねていて、僕に教える言葉のひとつひとつが的確で無駄がなくて。プロフェッショナルでした。その背中をみているときふと、悟りに向かう僧侶のようだと思ったんです。マイナスをゼロにもどす。そして使われてまたマイナスになる。それをまたゼロにもどす。その繰り返しという仕事の凄みというか。仕事のほとんどは個人作業だから必然的に会話は少なくなる。会話が少ないから自分と向き合う時間も増えていく。清掃の体験はたった1日で、それで何かをわかったようなことを語ることはできないけれど、その途方もなさとそれに向き合いつづけている人たちの凄さはわかりました。その凄さを体験したから、自分のなかにこの仕事に対する尊敬の念が生まれて、蓄積されていって、この映画の原点になった気がします。

 江田氏から得た蓄積のイメージは、脚本づくりで大きな核となったとともに、やがて高崎氏のなかで「一本の木」へのイメージに結びついていった。

 江田さんに付いて学んだことプラス、監督とのシナハンでの出来事も相まって、清掃員の男の人生を「一本の木」のようだと感じるようになっていきました。ふりかえると東京でシナリオハンティングしているとき監督はいつも道端に生えている木をみていました。それはよく考えると複製できない、そこにしかないもので、生きてきた結果が美しくみえるもので、そういうものを大切にしているのだと気がついたんです。美しさとは、今そこにしかないものに宿るものかもしれないと。そして主人公の人生をひとつ木だと見たてると、僕たちが考えていたいろんなパーツが見事に整理できる気がしたんです。まるですべての断片がそのために考えていたかのように。町の片隅に生えている立派な木。そこに風が吹いたら、ちょっと葉が揺れて、光が踊る。この光の踊りを映画にできるのではないかと考えました。

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 劇中で、日本語特有の表現としての「KOMOREBI 木漏れ日」という言葉が登場する。シナハンの最終日、シナリオが完成していないなか、高崎氏がヴェンダースに教えた言葉だ。それは、観客が覗き見る平山の人生をも言い表している。脚本上では、どのように、平山の人生が扱われてきたのか、深掘りしていこう。

■「人間って、そうだよな」

 高崎氏によれば、脚本上で平山の行動は、ト書きを中心に書き表したという。役所広司が演じた平山の毎日のルーティンは決まっている。朝起きて、植物に水をやり、身支度をして、家を出る。玄関の目の前には自販機があって、缶コーヒーを買って、そのまま車に乗る。車のなかでは、カセットテープに入っている80年代の音楽を聴きながら出勤。車から自前の清掃道具を出して、渋谷区内のトイレの清掃をこなしていく。昼食は、大きな木がある小高い場所にある広場で、コンビニで買ったサンドイッチと牛乳ですませる。食後、木の写真を撮る。仕事終わりには、車を置いたら自転車で銭湯に行き、地下鉄の改札前にあるお気に入りの飲み屋で一杯引っかける。帰宅後、ちょっと本を読み、就寝して夢を見る。朝起きて、植物に水をやり、身支度をして…という風に、続く。続くが、映画のなかで、ちょっとずつ変化が生じていく。一見、時間に閉じ込められたかのような男の人生が、実は常に新しく切り拓かれていて、豊かに広がっていく様を覗かせてくれる。

 ルーティンを丁寧に描くと、逆に小さな変化を大きく見せることになります。映画だからこそできる方法だと思います。この映画の場合は、平山さんのルーティンをしっかり理解してしまうと、彼の日々365日が基本的にこういう感じなんだと思えると思います。この映画で描いているのは彼の人生のなかの12日間ですが、でも365日を想像できる。そういう構成になっています。これはフィクションの存在である彼が、生きている存在になるために必要なプロセスでした。映画はあらすじを決めて、そこから脚本が生まれて、それを設計図としてつくられるのが普通だと思いますが、この映画はまったくそういう定石的なことはやりませんでした。(劇中の)平山が泣くシーンはとても印象的でいろんな解釈が生まれる場所だと思いますが、脚本ではただ「泣く」とだけ書きました。現実の世界の話をすると、人間には、悲しいとかよりも前、つまり先に泣くことってあると思うんですね。夕陽を見て泣く、とか理由はよく分からないけれど、自然と涙がこぼれている。泣いた理由もひとつではなく、悲しいことがトリガーにはなっているけれど、たぶん、それだけではないということも現実の世界で起こる。その人のなかでは色んなことが混ざり合って泣いているだろうし、本人にも自覚はできないかもしれない。でも、なんか、人間って、そうだよな、というのが表現したいこととしてありました。

 「人間って、そうだよな」。高崎氏や柳井氏をはじめ、『PERFECT DAYS』チームが平山に対して、「本当に存在している人を描く」という覚悟で向き合ったことから来る言葉なのだろう。

 平山さんが実在しているのと同じぐらいの気持ちで扱い、脚本を書く時もその点は本当に気をつけました。さきほども少し触れましたが、だからこそ平山さんの全部は描いていません。スクリーン外のことへの想像が膨らむように、ちょっとずつ(平山を知るための)ヒントを散りばめていきました。そこには、当たり前の話ですが、脚本に書いていないことの方が人生大きいよね、という想いがあります。僕たちはたまたまのその一部を見ているだけ。僕は脚本を書いているけれど、平山さんの人生については映画の尺分である124分間のことしか知る由はなく、平山さんの全部を知っていない、という立場で書きました。今までは完全に全部を把握して、それに起承転結をつくり、時間の軸をデザインするような感じで書いてきたのですが、今回はまったく違いました。つくりかたからつくろう、という監督の姿勢に導かれました。

■ブラックからカフェオレ飲む人物に

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 トイレ清掃をしている時は、清掃作業に没頭し、余暇を過ごす時も、写真整理をしたり、レコードを聴いたり、読書を好む平山。酒を飲むときは、酒の味を楽しんでいるように飲んでいる。一見、無口なキャラクターに見える平山だが、とくに車中に一人で居る時は、感情の動きを観客に見せてくれる、そんな一面がある。

 それはもしかすると、平山さんが車中でいつも音楽を聴いているから、彼のなかで心の変化が起きやすい時間なのかもしれません。また、ひとつ思うのは、平山さんは、無口を気取って、無口なわけではないということです。たまたま喋る仕事をしていないから、一人で過ごす時間が長いため、喋っていない時間が多く撮られているだけです。もし、平山さんが喫茶店で働いていたら、たぶん喋っていると思います。車中では、音楽、という相手がいるから、感情が少し見えるのだと思います。

 「平山さんは、決してネガティブな意味での孤独な人間ではありません」と高崎氏は続ける。平山のルーティンのなかで、決まって夕方に入る飲み屋がある。平山が席に座るなり、甲本雅裕演じる店員は何を聞かれなくとも平山に「おつかれさん♪」と一日を労う挨拶とともに、酒を卓に置く。

 平山さんには、彼なりのコミュニティがちゃんとあります。もし、甲本さんが、「来週釣りに行こうぜ」と言ったら、行くかもしれません。あ、でも「俺はいいや」と言って断るかもしれませんね(笑)。何にせよ、誘われるぐらいの距離感にはいると思うんですよね。裕福な家で育った平山さんは、選択して、今の暮らしをしている訳ですが、決して、誰とも口を利かず、身分を隠し、ひっそりと暮らしているような男ではありません。仕方なく、ではなく、選び取って、今の生活をしているのです。

 とくに、映画の中盤から後半にかけて、平山は子どもっぽい表情を見せる。三浦友和演じるある男と、影踏みをして遊ぶ場面では、子どもそのものにさえ見える。実際にヴェンダースがメガホンをとり、役所広司が平山を演じて、具現化されていくなかで、平山は高崎氏の想像をいかに超えていったのだろうか。

 監督が平山さんの感情の起伏を大きく撮ったことで、僕が思っていたよりも、平山さんが彼自身の人生を楽しんでいる感じがします。僕は平山さんを缶コーヒーのブラックを飲むような人物だと考えていたのですが、カフェオレを飲むような人物になっていた、とでも表現しましょうか。脚本には書いていない部分で、ポジティブな選択をして楽しんでいる、という部分が結構出ました。たとえば、さきほども触れた、甲本さんが演じる店員から「おつかれさん♪」と言われる箇所では、平山さんがニヤっと少し笑います。そうした積み重ねによって、平山さんの人柄が出ています。人柄もまた、脚本には書いていないので、やはり演出から出てきたものだと思います。

■「掃除をしている背中が大事だった」

 役所広司は、TIFFの壇上で、「他の人たちとは違う、ゆったりとした時間と、森の中で静かに呼吸しているような人物だなと思いました」と平山像を表現した。これを目の当たりにした観客は何を想うのだろうか。高崎氏は、そこに何を期待しているのだろうか。

 平山さんに会ったときに、みなさんがどう思うかな、というのは、すごく気になっています。映画館を通して、平山さんを一度紹介したい、会ってください、という感じですね。「みなさん、僕は結構好きですけど、平山さんのことどう思います?」という感覚でいます。そして、現に今、平山さんの人格に、世界中で色んな人が触れ合っていますが、これからどんな変化を起こすだろうか、と楽しみにしています。実際に観た方々の多くが、平山さんを尊敬してくれています。役所さんが演じてくださったお蔭であるのと同時に、たくさんのチームの利他の気持ちが集まって完成した映画でもあるからだと思います。そういう気持ちってずいぶん美しいものだとも思うんです。この映画を観て、自分には関係ないなと思う人もいるかもしれないし、現実にはそうは生きられないよ、きついなと思う人もいるかもしれません。でも、そうは生きられないけれど、そう生きられればいいよね、と思ってもらえたら幸せです。一回会っておくと、一週間後とか、一ヶ月後とか、一年後とかに、平山さんを思い出すかもしれない。あんな人いたな、と。それで世界が少しでも変わるかもしれない、ということに期待しています。

 映画『PERFECT DAYS』は、トイレを題材にした映画であるけれど、直接的に汚物を見せない。

 本作は、汚物を見せることで、問題提起したい映画ではありません。汚物を見せて、綺麗にしなきゃという気持ちになってもらう物語ならば、別の方法でできると思うんですね。つまり、描く必要がなかった、というのが汚物を出さなかった最大の理由です。本作では、それよりも、平山さんがトイレ掃除をしている背中の方が大事でした。トイレ清掃の過酷さをそのまま見せるよりも、ウォシュレットのあるトイレをあんな見事な手順で清掃する男がいる。その存在を見せることのほうが重要でした。

 映画脚本家として高崎氏は、どのような未来を思い描いているのだろうか。

 もちろん映画は大好きですし、これからも何かしたいとは思います。ただ映画をつくることが自分の目標ではなくて、何かを伝えたい、何かを生み出したい、何か変化をつくりたい、という気持ちのほうが大事で、それを自分にできる方法でどうするのがいいか?と考えていく人生のような気がします。だから結果的に映画つくっていたね、という今回のような感じがこれからもずっと続く予感がします。

『PERFECT DAYS』4.jpg



・柳井康治
㈱ファーストリテイリング取締役
㈲MASTER MIND代表取締役
2012年に㈱ファーストリテイリング入社。以降ユニクロのグローバルマーケティング・PR担当役員として従事。2018年より同社取締役。2020年よりグループ上席執行役員をつとめる。個人プロジェクトとして、THE TOKYO TOILETを発案、実現する。

・高崎卓馬
クリエイティブディレクター、小説家
㈱電通グループ グロースオフィサー
JR東日本「行くぜ、東北」など数々の広告キャンペーンを手掛け、2度のクリエイターオブザイヤーなど国内外の受賞多数。その活動領域は広く、著書に小説「オートリバース」(中央公論新社)や、海外でも評価の高い絵本「まっくろ」(講談社)、「表現の技術」(中公文庫)などがある。映画の脚本・プロデュースは、2009年『ホノカアボーイ』ぶり2度目。

配給:ビターズ・エンド
Ⓒ 2023 MASTER MIND Ltd.


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