――最初はFlashアニメのスタジオではなかったのですね。
椎木 最初はコンサルティングの会社でした。まずはエイベックスのアニメ事業の海外展開をお手伝いしたり、米カートゥーンネットワークの「パワーパフガールズ」の日本展開におけるプロデューサーもしました。米ハズブロの「トランスフォーマー」や「G.I.ジョー」といったアニメのプロデュースも手掛けました。それが02~03年頃ですね。ただ、当時は僕1人でやっていたのです。あまりに忙しく、睡眠時間も削って仕事をしていました。そこで、「今はいいけど、10年後20年後もこのまま続けることはできない」と思ったのです。さらに、エンターテイメント業界で生きるためには何が1番美味しいのかと考えると、「印税生活」という結論に至りました。そこで、ハズブロから出資してもらい増資しました。その資金で「動く企画書」を作る企業を作ったのです。
――動く企画書ですか。
椎木 企画書は、言語の違いや、人によって想像する画が違うので、こっちの思いが伝わりにくいことがあります。でも「動く企画書」なら、そうした誤解が減るのではないかと考え、動く企画書を作る企画集団になりたいと思いました。その時にFlashアニメの存在を知り、スタッフ数人でFlashアニメのスタジオを持ったのが05年です。その最初の仕事で、東映アニメーションと一緒に動く企画書を作って、共同出資もして製作した作品があったのですが、残念ながら泣かず飛ばずの結果に終わりました。この時、「僕のアイデアを動かすのはインパクトが足りないな」と思いました。もっとクリエイティブな、エッジを立たせないとダメだなと。僕の企画力と、作家性を掛け算しないと突破できない壁を感じました。
――なるほど。
椎木 そこで、その作家性を求めて色々探ってみたところ、Flashアニメの世界では漫画家のように、作家さんがたくさんいることがわかりました。特にFROGMANという面白いクリエイターがいることを知り、05年の8月、彼らが集まる大阪のイベントに参加したのです。そこで何人かに声をかけ、FROGMANとも出会いました。彼と話す中で、彼のプロフェッショナリズムやスピードに対するこだわりに共感し、パートナーとして一緒にやっていきたいと考え、説得してDLEと一緒にやることを決めてもらいました。彼は当時まだ島根県に在住していたので、ネットのテレビ電話でずっとやりとりを続け、紆余曲折を経てようやく「鷹の爪」が誕生しました。
TOHOシネマズで展開――DLEと一緒に制作した初めての作品が「鷹の爪」ですか。いきなりヒット作ですね。
椎木 ハズブロの社員が出張で日本に来た時に、試しに「鷹の爪」を見せたんです。全員、ものすごく笑ってくれて、出張中は乾杯の代わりにみんなで「た~か~の~つ~め~」ってやっていたくらい気に入ってもらえて、「よし!これは世界にいける!」となりました(笑)。当時「鷹の爪」は、世界に向けたコンテンツとして生み出しており、世界デビューを目論み、ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパンに作品を持ち込みました。ここを経由して世界に発信してもらおうと思ったのですが、意外にも「いや、これ世界もいいですが、まず日本でいけますよ。日本での成功を引っさげてアメリカに持っていきましょう」と逆提案を受けて、「それもそうだ」と考え直し、まずは日本で展開していくことに決めました。
――06年4月にテレビで放送開始しましたね。
椎木 テレビ局の人に作品を評価頂き、夜中の2時40分の枠を買い取り、放送できることになりました。放送期間は3ヵ月しかないので、いかにこの間にメディアに取り上げられるかが勝負だと思っていました。ただ、この時僕には勝算があったのです。FROGMANには、ユニークなプロフィールがあります。東京出身の彼は、高校卒業後に映画業界に飛び込んだものの、思った仕事ができずに業界から身を引き、島根に移り住みました。その頃まで彼はドン底だったんです。しかし僕と出会って、コンピュータ1台で島根から東京に逆襲をかけ、起死回生の一打を放つ。そんなエピソードを持っているので、新聞やテレビに声をかけたところ、やはり面白がって色々取り上げてもらえてもらえました。これにより認知が広まったと思います。
――作品の評価はどうだったのでしょうか。
椎木 これは今でもよく覚えています。当時ネットでは、「Flashアニメをテレビで放送するなんてけしからん!」という風潮があったのです。あんな紙芝居みたいな、たいして動かない画をテレビで流すなんて「とんでもない!」と。まあ総ブーイングで、日本で初めてFlashアニメがテレビで放映されることが、逆の意味で注目されたのです。放送開始直前も案の定2ちゃんねるでは悪口ばかりが書き込まれていました。ただ、放送がスタートすると、「ププッ」とか、「あれっ?」とか、少しずつ好意的な書き込みが出てきて、真っ黒だったオセロが1枚ずつ白に変わっていきました。そして番組が終わる頃には絶賛の書き込みが相次ぎ、わずか30分の放送でオセロが全部ひっくり返ったような感じになりました。あの時は鳥肌が立つくらい凄かったですね。たちまち、全てのTV番組の中、2chのスレッド数が1~2位の番組になり、僕たちも「鷹の爪、きたんじゃないか!?」と思いました。
――劇的な展開…熱狂的なファンを獲得できたのですね。
椎木 ただ、あくまでネットでの人気だったので、リアルではどこまで人気があるのかわかりませんでした。そんな時、「鷹の爪」のDVD発売を記念して、TOHOシネマズ六本木ヒルズで徹夜イベントをやらせてもらうことになりました。TOHOシネマズの方に「どれくらいのキャパのスクリーンでやりたんですか?」と聞かれ、「1番大きいスクリーンはどれですか?」と聞くと、「700人ぐらい入ります」と言われ、「じゃあそこでお願いします」と言ったんです。すると「ちょっと待ってください。有料のイベントで700人埋めるのは相当難しいので、200人ぐらいのスクリーンでどうですか? 徹夜イベントはこれまでに70~80回やりましたが、チケットが売り切れたのは『スター・ウォーズ』と『踊る大捜査線』の2回だけなんです。それぐらい難しいんです」と釘を刺されました。確かにそれは厳しいなと思いつつ、2ちゃんねるであれだけ盛り上がっているので、無理やりお願いしました。そして前売券を発売したところ、なんと即日完売だったんです。これにはTOHOシネマズの方もビックリして、「『スター・ウォーズ』も『踊る大捜査線』も売り切れたのはイベント開催の当日です。チケット発売日に即完売したのは『鷹の爪』が初めてです。これはどういうコンテンツなんですか?」と、初めて作品に興味を持ってもらいました。
そしてイベントも見に来てくださったのですが、「鷹の爪」Tシャツを着た軍団が六本木ヒルズを歩いてくる光景を目の当たりにして、「これは凄いことが起き始めている」と衝撃を受けたそうなんです。そして「一緒に何かできませんか? マナームービーを作ってもらえれば上映しますよ」と提案してもらい、「すぐ作ります!」と答え、それから2週間で納品しました。そうすると、支配人の方を中心に作品の面白さや徹夜イベントの凄さが口コミで広がり、TOHOシネマズ全体で「鷹の爪」を応援しようという機運が高まっていき、それから長い間マナームービーを上映して頂くことができました。
――私も初めて観た時は衝撃的でした。マナームービーで笑ったのは初めてでした。
椎木 TV放送は先ほど申し上げた通り3ヵ月で終了し、次に放送したのは2~3年後でした。ただ、その間もずっとTOHOシネマズでマナームービーが上映されていたので、オワコン(終わってるコンテンツ)感が出ず、ジワジワと人気が広まっていくのを感じました。この時に、映画館を使ったブランディングの大切を知りました。今後も映画館を活用したキャラクターのブランディングは意識してやっていきたいと思います。今はユニークなマナームービーが数多くありますが、その先駆け的な作品となり、映画業界に貢献できたかなと思っています。
小さく産んで大きく育てる――現在、DLEの売上の主要部分はどこですか。
椎木 企業とのコラボレーションと、デジタル展開ですね。デジタル展開はLINEやアプリ、ゲームからの売上などです。あとは、地方局とのキャラクタービジネスも大きいです。ライツ収入がメインとなります。
――「企業とのコラボ」というのは。
椎木 企業のCMやWEB動画プロモーションに採用されるのが1つの例ですね。「かよえ!チュー学」や「パンパカパンツ」といった作品が実際に使われています。
――地方局とも一緒に取り組んでいるのですか。
椎木 Flashアニメで何百話も制作し、それを地方のメディアパワーを使って売り出していきます。そこで人気が出た作品を全国展開する時は、映画館でシネアドなどで上映してもらうのです。新しいコンテンツを全国放送で売るのはリスクが高すぎます。地方で小さく産んで、映画館を活用し、できるだけコストをかけずに全国に広げる。これはすごく良いビジネスモデルだと思います。
――「パンパカパンツ」は静岡で人気になった作品ですね。
椎木 いまや静岡を飛び越えて、全国10局が放送されています。そして、それを面白がってくれたのがLINEで、LINEでスタンプを発売したところ人気ランキング1位を獲得しました。この1位を見て驚いた台湾のTV局が放送を始めてくれて、タイやアメリカでも放送しようという話をしています。静岡発でコストをかけずに放送したアニメが、いまや世界で放送されているわけです。小さく産んで大きく育てるのが僕らのスタイルです。
「DLEアニメまつり」も検討――今年は映画「ガラスの仮面ですが THE MOVIE」を公開されました。映画化も意識しているのですか。
椎木 すごく重要なポイントだと思っています。映画化すれば一気に認知が広がり、ダイナミズムや、世界観が広がります。そして作品の格を上げるという意味でも、すごく映画化は意識しています。今後も地方で仕掛けたものを映画化していきたいなと思っていますし、僕の中では、「東映まんがまつり」ならぬ「DLEアニメまつり」のようなものを定期的にやりたいなと思っています。DLEのキャラクター映画を10本くらい詰め込んで一挙上映する。他の地方で放映されているキャラは知らないけど、「パンパカパンツ」と「鷹の爪」と一緒に観られるなら観に行こうかな、と思ってもらえるような形で、全国に認知を広げていきたいと考えています。先ほど申し上げた「映画館でのブランディング」は、映画化という形でも意識していきます。この企画はまだ影も形もありませんが、僕の中では間違いなくやるつもりですし、プロデューサーにも指示は出しています。
――では、もう数年のうちに…。
椎木 確実にやります。1年以内にやりたいと思っているぐらいです。当初は「3月の春休みに」と言っていましたが、現場から「それはちょっと無理では…」と声が挙がり、「じゃあゴールデンウィーク」と言っても、「それもきついです」と(笑)。ですから1年以内と思っています。TOHOシネマズの「鷹の爪」をはじめ、各キャラクターが色々な興行会社にお世話になっているので、当然各社の理解が必要になると思っていますが、何とかお願いしていきたいと考えています。 (了)
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インタビュー/文・構成:平池 由典