「日本再建のルーツがこの物語にある」
ハリウッドが壮大なスケール描く歴史サスペンス大作
『終戦のエンペラー』が、7月27日に劇場公開される。本作のメガホンをとったのは『真珠の耳飾りの少女』(04年)などを手掛けたイギリス人監督のピーター・ウェーバー。日本にも造詣が深い彼が、戦後の日本の運命を決定づけた衝撃の事実をどのように描いたのか。本作への思いや制作秘話を語ってくれた。
希望にあふれる話
――監督に決まった経緯を伺えますか。P・ウェーバー プロデューサーの(奈良橋)陽子からオファーを頂き、喜んで引き受けました。日本文化と歴史、食べ物が好きで、日本映画も15歳の時から見ています。特に小津(安二郎)さんや鈴木(清順)さん、三池(崇史)さんの作品が好きなんです。
――日本で実際にあったこのドラマについて、どのような印象をお持ちですか。P・ウェーバー 終戦の頃の一般的な知識はありますが、このエピソードは知らなかったので興味深かったです。日本は戦争で完膚なきまでに破壊され、大きな被害を受けたにも関わらず、またこうやって再建することができました。そこには、アメリカと日本という大国が戦ったあとに、お互いにある理解に達したという事実があり、希望にあふれる話だと思うのです。当時のアメリカは、今のイラン、アフガニスタンで行っている過ちとは全く違う、優れた決断を下したわけです。これは、現在にも通じるものがあると思います。
――撮影前に日本を訪れたそうですが、何を調べて、それをどう撮影に生かしましたか。P・ウェーバー 実際に何度か来て、マッカーサーのオフィスがある第一生命ビルや、天皇陛下とマッカーサーが対面したアメリカ大使館、皇居、古文書館にも行きました。ただ、一番大切なのはその場所に行って、その雰囲気を吸収することだと思います。当時とは時代は違いますが、日本人の精神や感性を感じることができます。
――史実に基づく重厚な作品の一方で、サスペンスあり、ロマンスありと、エンターテイメント性にも優れた作品です。P・ウェーバー 脚本の段階でそういった要素が取り入れられていたわけですが、無味乾燥な歴史映画ではなく、やはりそこにはエンターテイメント性を入れる必要があると思っていました。それが出来たことを嬉しく思います。今、西洋ではスーパーヒーローが活躍するような映画ばかりで、あまりインテリ的な映画がないのですが、こういう映画を撮る機会に恵まれて光栄です。
――撮影はどこで行われましたか。P・ウェーバー 日本とニュージーランドですが、日本は皇居周辺で撮影した2日間だけです。
――皇居で映画を撮影することは珍しいと思いますが。P・ウェーバー 陽子によれば、皇居で正式に映画を撮ったのはこれが初めてのケースだそうです。すごく厳しくて、朝6時から午後2時までという撮影制限があり、ほかの場所でリハーサルを重ねて、色々準備万端で撮影に臨みました。
――1つ1つのセットに非常にリアリティがありました。P・ウェーバー 『ロード・オブ・ザ・リング』も手掛けた美術のグラント・メイジャーをはじめ、才能のあるスタッフに恵まれました。最も印象的だったのは、戦後の廃墟を再現したものです。あのリアルな風景を見た時は感動しました。皇居の中も再現しましたが、写真資料が残っていたため、それに基づいてできるだけ忠実にセットを組んだつもりです。
マッカーサーの飛行機も忠実に再現――主人公ボナー・フェラーズを演じたマシュー・フォックスさんはどのように役作りをしていましたか。P・ウェーバー 彼は撮影の3週間前からニュージーランドに入りました。なにせほとんど全てのシーンに登場するので、各シーンについて入念に話し合いましたね。あと、軍人を演じるにあたって軍隊生活も体験し、かなり準備には時間をかけていましたね。
――マッカーサーは、トミー・リー・ジョーンズさんが演じました。P・ウェーバー 大御所ですから気をつけて接しました(笑)。まずは電話でお話しして役について話し合いましたが、彼は脚本も語れるし監督も経験がある、ハーバード大出の学者さんでもあり、何より有名なベテランの俳優ですから、怖かったし勇気がいりましたよ(笑)。でも、非常に有意義な経験になりましたね。
――ジョーンズさんの印象的なエピソードはありますか。P・ウェーバー 彼が初日にセットに来ると、「わかったわかった、マッカーサーだな」と言って、机に置いてあったサングラス、パイプ、帽子をひょいひょいと身につけて「簡単だな(笑)」と話したんです。その一連の動きが良かったので、劇中でマッカーサーが飛行機から降りる前のシーンに反映しているんです。
――ちなみに、マッカッサーの飛行機はどのように撮ったのですか。CGですか。P・ウェーバー CGです。同じ型の飛行機は世界に2機現存していて、1つはアメリカ、もう1つは南アフリカにあります。ただ、それをニュージーランドまで持って来るわけにはいかないですからね。それでも、わざわざ南アフリカまで行って飛行機の実際の音を録音したりと、できるだけ忠実に再現したつもりです。これはかなり頑張りました。
――5月に夏八木勲さんが亡くなりましたが、劇中では重要な役どころでした。何か印象的なエピソードはありますか。P・ウェーバー 非常に優しく勤勉な役者でした。短歌をお詠みになるシーンのリハーサルでは自分も心を打たれましたし、ずっと記憶に残る、尊敬すべき役者です。一緒に仕事ができたことを名誉に思いますし、彼の逝去を悲しく思っています。
日本人の強さ自覚して――撮影で最も苦労した点はどこですか。P・ウェーバー 苦労ではないですが、クライマックスで天皇陛下とマッカーサーが対談するシーンは印象的でした。初めてマッカーサーが天皇陛下にお会いする、ここが映画のピークに達しないといけないし、堅苦しい中でもいかに情感が出るように演出するかがプレッシャーでした。うまくできたとは思っていますが。
――クライマックスに相応しいシーンでした。撮影中、何か心に残ったことはありますか。P・ウェーバー トミーと片岡(孝太郎)さんの2人の間で起こっていることが、見ていても非常に嬉しかったです。特にトミーが、片岡さんがいかに素晴らしい役者であるかを、わざわざ僕に言いにきたんです。トミーは歌舞伎がお好きで、彼にとっても(歌舞伎役者の片岡さんとの共演は)単なる映画の1シーンではなかったようです。
――ジョーンズさんは歌舞伎がお好きなんですね。P・ウェーバー 僕も撮影が始まるまでは知らなかったです。彼は缶コーヒーのCMの撮影で年に3回くらい日本に来ているそうなんです。
――アメリカ映画では、日本について違和感のある描写が多いのですが、この作品は全くなかったです。P・ウェーバー もちろん、主に日本の観客のために作っている映画ですからね。歴史的にも文化的にも正確さを期すことはとても大切でした。プロデューサーの陽子と(野村)祐人としっかり組んで映画を作ってきたので、そういった描写はないと思います。バカな外人と思われないように気をつけました(笑)
――監督は過去に映画『ハンニバル・ライジング』のメガホンもとられました。あの作品も日本の要素がありましたが、日本に縁がありますね。P・ウェーバー 日本映画はたくさん観ましたからね。まあ、『ハンニバル・ライジング』はファンタジーの世界ですから。日本人の役も中国人の俳優が演じています。だから、ある意味この『終戦のエンペラー』をもって、「『ハンニバル・ライジング』で勝手なことやってすいませんでした」という、謝りたい気持ちもあります(笑)。実は僕の夢は日本で現代劇を撮ることなんです。『終戦のエンペラー』で、日本のプロデューサーの目に留まればいいなと思っています。
――最後に、これからこの映画を観る人へメッセージをお願いします。P・ウェーバー 若い人にも観てもらいたいです。それほど遠くない過去に、日本人がガレキの中から再建し、大国を復活させた、そのルーツがこの物語にあることをご覧頂き、東日本大震災での被害を乗り越え、また再建している日本人の強さを自覚してもらいたいです。歴史の事実に光を当てると同時に、エンターテイメントとしても楽しんでもらえる要素も入っているので、ぜひ楽しんでください。(了)
インタビュー/文・構成:平池 由典
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