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クリエイターズ★インタビュー:榎本憲男監督

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クリエイターズ★インタビュー:榎本憲男監督

2011年04月30日

メインストリームの作品もやってみたい気持ちは強い

 ―なぜ一作目にこのテーマを選んだのでしょう。

榎本監督
 一つは、自分がこれまでプロデュースしてきた映画とははっきり作風を変えてみたいとうのがありました。コメディはとても好きなんですが、低予算のコメディをマーケットに届けることのハードルの高さは嫌というほど感じていて、演出的にも非常に難しいと感じていたという消極的な理由が一つ。それから社会状況が悪くなった中で、社会や世界への自分の眼差しがずいぶん変わってきました。また、映画でいうと、デヴィッド・フィンチャー監督の『ソーシャル・ネットワーク』、その前の『ファイト・クラブ』、ガス・ヴァン・サント監督の『パラノイドパーク』みたいな作品に対して、僕は非常にヴィヴィッドに反応するタイプなんですね。そういったものを自分なりに作れないかという野望みたいなものがありました。

miesora_04.jpg ただ、具体的な社会問題を盛り込んで社会派映画をつくるというのは僕の趣味ではなかった。現実の社会的な事象にリファレンス(言及)して物語を構築するのはやりたくなかったんですよ。そうすると社会問題に映画が収束されて、社会問題の絵解きとして映画が語られてしまう。今、この時代、この社会、この世界を生きる気分とか感覚みたいなものを映画として表現したかった。さらにそれを映像美ではなく、プロットの中に組み込めないかということを考えたんです。ここが今回の企画のキモです。


 気分だけで映画を作ると、気分はわかるけど、気分だけで1時間半以上映画とお付き合いするのってキツイ。お前の気分に付き合うのは飲み屋だけにしたいなという気持ちがどうしても観客の中に芽生える(笑)。映画としてどう面白くするかというのが今回の課題でしたね。僕は、単にさわやかな青春映画を撮ったつもりはありません、割と毒があるものにしているつもりです。そこは狙った若い人は割と反応してくれているようです。撮影が進み、若い俳優たちが自分達に与えられた台詞を何度も読みこんで、自分の肉体の中に取り込んでいくと、このストーリーがかなりビターなものだとわかる。最後の撮影の日には、森岡くんがリハで演じた後「ひどいなあ」なんて言っていておかしかった。最初読んだ時にはわかんなかったみたいですね。


 ―随所に映画的表現が散りばめられていて、映画に対する深い想いを感じましたけど。

榎本監督
 オマージュというと品がいいんですけど、要するにパクリだらけですね。模倣にもいい模倣と悪い模倣があるんですが、どうでしょうかね。頑張れるところまで頑張ったんだけど、まだ自分で点数をつけられていません。もっとこうやった方がよかったかなという部分はあったりはするんです。芝居はある程度上手くつけられているかなと思いますが、フレーミングとかカメラワークに関しては、これからもっと勉強していきたいですね。


 ―主人公たちの会話のシーンなどはとても“自然”な印象を受けました。

榎本監督
 “不自然な自然”を目指しました。あんな風にパキパキと会話する人たちは実際にいないわけだからそれを不自然と呼ぶことはできるんだけど、それが自然にサウンドするように頑張りました。お芝居って元を正せばそういうものじゃないですか。僕は芝居の発語に関してはかなりコントロールするタイプです。それはまずみんな台本読んだ時に棒読みさせて、強調するんだったらこの単語とか、ここで一回区切るとか、次のセリフは前のセリフのこの単語に重なるようにしゃべってくれとか、そこまで指示しています。

 台本読みの時は、録音機を回しました。自分でも「違うな」と思ってはいるがその「違う」をどのように役者に伝えたらいいかわからずに終わってしまった部分などは、録音したものを家で聞き直して、「どう違うのか」をなんとか言葉にして、次回役者に会った時に伝えました。とにかく僕が許さない限り、役者が勝手に台詞を変更するのは御法度です。役者さんによっては、そこまで芝居を固められたら俺の個性がなくなるという人もいるでしょう。俺はお前のロボットじゃないんだと。しかし、そうやって僕に個性をそぎ落とされても、その人らしさは何か残るはずです。それが役者の本当の個性だろう、なんて説明してどんどん自由を束縛していくわけです(笑)。


 ―終盤の意外な展開もこの作品の見どころの一つですね。

榎本監督
 最初から狙いとしてあったんです。そういった構造みたいなものはストーリーが閃いた時点でありました。途中でわかってもいいんですけど、わからない人も両方楽しめるように作っているつもりです。


 ―どういった層をターゲットにしていますか。

榎本監督
 年齢や世代ではなく人間のタイプでターゲットを考えています。少し意識的な人たち。若い人で言うと、マイケル・サンデル(ハーバード大学教授)の「これからの『正義』の話をしよう」を、ちゃんと読めるかはわからないけども、つい手にとって買ってしまうような人たち。そういった層とか、『ファイト・クラブ』を見て、「なんかわかる気がするなあ」と思っている人達です。


 ―大きなマーケットにつながるインディペンデント映画の可能性を拡げることはできましたか。

P1160697.jpg榎本監督
 スタッフの中には僕も含めてノーギャラの人もいるので、もうちょっと製作費を足してこの規模の作品を連発出来ればいいですよね。山本政志監督の映画も同じくらいの製作費らしく、そういったものが連発して、なんかこのクラスの映画も面白いじゃんっていう風になっていければいいかなとは思っています。続いていくことが大事です。でも、これをやり続けてもまったく食えないので、別の仕事もしなければいけない(笑)。ただ、メジャーでは出来ないものは出来ているかなという気はしています。

 ものすごい低予算で映画を作るタイプとしては2つあると思うんです。商業映画への足がかりとしてインディペンデントで映画を作っている人。プロ野球に対して甲子園野球ですね。もうひとつは、メジャーに行くつもりはなくて、インディだからこそ出来る表現をインディの中で培っていきたい人たち。僕の資質はその中間です。映画の好みは地味にエンタテインメント寄りの人間なので、メインストリームの作品もやってみたいという気持ちは強くあります。でも、どメジャーではないと思いますね。小ぶりなメジャー。フォックス・サーチライトみたいな……(笑)。ただ、今そこがいちばん成立し難いのでどうしていったらいいのか悩むところです。極端に小さいのと、がーんとでかい企画しか成立しない。けれど、その真中はやはり再生しなければいけないという気はしています。


 ―最後に、日本映画界の現状と今後について。

榎本監督
 どうしていければいいのかはわからない、一つは映画ジャーナリズム、映画評論の立て直しは大事だと思っています。いい書き手も沢山いると思うし、いい映画の見方される方もいると思うんですけど(不勉強で書いている人もいて腹が立つこともしばしばありますが)映画を見る言葉が広がっていく仕組みができたらいいなと思います。さっき言ったように、デジタルカメラの普及によって。映画の作り手は増えていますが、「じゃあ俺の映画に観客がいるのか」という問題も同時にあるんです。それは変えていかないといけない。その為には評論の力はとても大切だと僕は思っているんです。

 低予算の作り手の連帯というのが、昔のフランスのヌーヴェルヴァーグのようにはなってないな、とは思います。なぜなんだろうか、ちょっとバラバラのような気がしますね。みんな自分のことだけでいっぱいなのと、それから連帯するほどツブが揃っていないのかもしれない。若手が育つ土壌もないし、若手の作品を見ると、世界観が非常に小さくはなっているのを感じます。そして若手は若手でその小ささを「それが自分たちのリアリティなんだ」と居直っているような気がしますが、東日本大震災や原発事故があって、今まで通りの世界の見方ではやってられないだろうという気が僕にはするんです。だから、強烈なパースペクティブを持った作家が出てこないとは限らない。まだその気配はないけど、可能性はありますよね。若い世代の監督たちには頑張って欲しいし、自分ももっと頑張りたい。

 国内の不況が続くと、作品の重心が海外に移るものも出てくると思います。それはいいことだと思いますが、いま自分が生きている日本に向かって映画を作り、そこできちんと観客の反応を獲得するということは大事ではないかと思います。僕はまず日本の観客に見てもらいたい。アート系の作品は日本と海外の評価のギャップがあることはこれはもう一般論ですが、もうちょっと日本の観客が注目するような土壌を作らなければならないと考えています。


 東京テアトルでの劇場支配人、番組編成、プロデューサー、脚本家というキャリアを経て、いち新人として映画監督に挑戦した榎本監督。そのキャリアをもってしても超低予算で撮らなければならなかったというのは、単館系公開作品の厳しい現状の中で、いかに製作資金が集めにくくなっているかを物語っている。

 だが、そんな限られた製作予算の中で、なんとか映画表現の新たな可能性を拡げようと試みている。自主映画ではない低予算の商業映画と、ビッグバジェットのメジャー映画の真中で作られる映画、ミドル・マーケットの再生はあるのか―。その先に作家性を持った映画作りの希望の光はあるのか―。そのひとつの答えが、この「見えないほどの遠くの空を」の興行結果で見えてくるかもしれない。
(了)

miesora_01.jpg


■CAST
森岡龍 岡本奈月 渡辺大知
橋本一郎 佐藤貴広 前野朋哉 中村無何有 桝木亜子

■STAFF
脚本・監督:榎本憲男
企画:狩野善則、榎本憲男/製作:岩井博紀、関浩太郎、高森厚太郎、下田淳行、田中久美、木村立哉/プロデューサー:狩野善則、内藤諭、四宮隆史、崎本志穂/撮影監督:古屋幸一/照明:福長弘章/録音:那須信也/整音:臼井勝/編集:石川真吾/衣装:高橋靖子、坪井文美、木下しづ子/ヘアメイク:渡邉茜/音楽:安田芙充央/制作プロダクション:ドゥールー、クジラノイズ/配給:ドゥールー、コミュニティアド/製作:「見えないほどの遠くの空を」製作委員会

■仕様
2011年/日本/カラー/99分/ステレオ/HD

■コピーライト
(C)2010「見えないほどの遠くの空を」製作委員会

■公式サイトURL
http://www.miesora.com/

■劇場情報
6月11日(土)ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー予定
※特別鑑賞券¥1,200/当日一般¥1,500

※榎本監督への連絡先
Tel:080-5520-8163
Eメール:chimumu59@gmail.com
Skype:chimumu59

■原作小説
『見えないほどの遠くの空を』(小学館文庫 刊)
榎本憲男 著
2011年3月4日発売
定価: \480(税込)

■配給・宣伝の問い合わせ先
コミュニティアド
 (宮武:090-3729-2632)
MAIL:blueblind555@gmail.com
TEL:03-3373-3961/FAX:03-3373-0042
〒151-0073渋谷区笹塚2-18-3エルカクエイ笹塚ビル7F



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