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開局前の大混乱を思い出す……BSデジタル放送10周年

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開局前の大混乱を思い出す……BSデジタル放送10周年

2010年11月25日
 まもなく12月1日、放送10周年を迎える「BSデジタル放送」。地上波に飽き足らない大人の視聴者を惹きつけ、普及9千万台、視聴世帯3千万を超えるメディアに成長、いま順調に業績を伸ばしている。2000年12月の開局後、普及に苦しんだ事は記憶されているでしょう。でも実は、開局前から混迷極めていた。とくにハード面、受信機の問題。放送局も呆れるほど、これでもかと相次いでトラブルが発生したのだ。開局前から不安を募らせる、慌ただしい大混乱の日々だったのではないだろうか。

 2000年3月に実験放送(受信機器テスト用実験電波の送出)開始、半年後の9月1日試験放送を開始した。合わせてメーカーの大半が9月1日に受信機を一斉販売した。当初はその夏に発売を予定していたが、遅れての急ピッチ作業だった。そのため9月15日開幕の「シドニー五輪」の試験放送が絶好のPRチャンスにありながら、2週間前ぎりぎりの販売となった。

 予想に反してか、すぐに品不足状態に陥った。10万円前後のチューナーが人気だが、生産が追い付かない。要因は半導体チップの不足。入荷のメドが立たず、予約販売を中止する販売店もあった。そのためチューナー内蔵型テレビの販売に注力するものの、価格は40万円前後と高額。せっかくの普及チャンスを阻害するようで放送局も頭を抱えた。メーカーが増産体制に入ったのはいよいよ開局という12月からで、出足を大きく挫かれた。結局、開局時は120万でスタートしたが、その内訳は、約100万がCATVのアナログ変換放送で、受信機は約20万台だった。

 開局まであと1ヵ月という頃、受信機の不具合が続出した。松下電器(現パナソニック)の受信機では衛星ダウンロード機能のソフトに不具合が判明。11月9日に視聴者に告知し無償でソフト交換する羽目になった。その数はOEM分(三菱電機、日立、パイオニア、マスプロ電工)も含め約5万6千台に上った。

 さらにデータ放送機能ではメーカーによって正常に画面に映らなかったり、表示される色合いがまちまちだったりしたことが判る。原因はデータ放送機能を備える上での規格定義が曖昧なため各メーカーの解釈が異なったのと、やはり製品化まで時間がなかったためだ。そのためデータ放送機能を盛り込まずに販売した三洋電機のようなケースもあった。

 加えて、既存のBSアナログ放送の視聴者はチューナーを買い替えるだけで、既存のアンテナはそのまま使えるというフレコミだったが、一部のアンテナは正常に受信できず、モザイク画面になったりするということも判明した。小型のアンテナにそうした支障が出る傾向にあるということで、メーカーは、直径40センチ以上のアンテナをお客に勧めるよう販売店に要請した。

 そんなこんなでメーカーに対する不安は高まる一方だった。そのため、関係者は〝BSデジタル放送課題連絡会〟なるものを開局1ヵ月前の11月に急遽設置した。BS放送局と受信機メーカー、B‐SAT、B‐CAS、当時のBSデジタル放送推進協会(BPA=2000年12月1日発足/現Dpa)がメンバー。下部組織に、受信機委員会と受信機調査グループを設けた。

 受信機に問題を発見した社は、「受信機調査グループ」に報告し、「受信機委員会」がJEITAを通してメーカーに対応を要請、また放送局設備に問題があれば、同委員会はそれをBPAを通して放送局に周知する。そして、通知を受けたメーカーや放送局は対策を実施した結果を同委員会に報告し、同委員会はこれをBPAを通してBS各局の視聴者対応窓口に周知するという、メーカーと放送局の大連携プレーが図られた。こうすることで、放送局に直接寄せられる視聴者からの苦情や問い合せに対応した。

 開局後もしばらくはトラブルに見舞われた。東芝の受信機で、一部のBSデータ放送局やBSラジオ局で一部サービスが画面に映らなかったりした。結局、受信機の回収・無償修理で対応した。BSジャパンのデータ放送連動番組が1時間ほどラジオ放送に切り替わってしまうなんてトラブルもあった。

 ちなみに開局時はBSデータ放送局が7局あった。そのデータ放送だが、郵政省(当時)から放送各社に割り与えられた伝送容量が少ないあまり、十分なサービスが出来なかった。細分化し過ぎとの批判は否めず、束ねればサービス拡充できるので、開局前から早くも事業者の統合が囁かれたほどだ。データ放送専用のプログラム言語「BML」の規格は2000年3月に決定したばかりのため、これを使いこなせる人材もごくわずかしかいなかった。制作会社はトマデジ、PDN(パナソニック・デジタル・ネットワーク)、ソニーネットワークコンテンツ、富士通、電通テック、凸版印刷、大日本印刷などに限られ、発注の取り合いになり、十分なサービスに時間も要した。

 開局の1週間前には、CMになるとテレビ画面に何かチラつくものが発見され、スポンサーはじめ関係者は慌てた。実は12月から運用開始するCM共通コードの記号だった。CM映像にCM共通コードを付けることで、CMが放送されたことを自動的に確認できるようにしCM不正取引を防止するものだ。地上波CMをアップコンバートしてBS放送で流すので、4:3のテレビ受像機の場合、上下黒幕によるフルサイズ画面になって最上部にあるCMコード記号が見えてしまった。このCMコードの技術と放送確認作業はビデオリサーチともう1社がそれぞれ独自にサービスを提供していたが、ビデオリサーチの場合にこの現象が起きた。このためビデオリサーチは11月27日関係者に文書等で理解を求め、急ぎ技術・システム開発に入るが、BS放送のCM放送確認については当面、目視で判別することになる。

 これら全てはテスト期間が短かったため、予期できぬ事態が発生しトラブルに繋がったと言えよう。

 開局後まもなく、BSジャパンは地上波のサイマル放送で大晦日夜の歌番組や年明け10時間時代劇など年末年始特番3本を予定していたが、急遽中止となった。権利者側から「待った」がかかったのだ。同様に文化放送のBSラジオでもクラシック演奏番組(再放送)が中止になったりした。NHK紅白などのサイマル放送等はOKだったが、この頃からBS放送における権利問題、2次利用問題がクローズアップされるようになる。一方、BS‐i(現BS‐TBS)の歌番組を視聴者が録画して不正にビデオ販売したことが発覚し大問題になった。米メジャーとの間でWOWOWの映画ハイビジョン放送の録画規制問題も浮上した。高画質・デジタル放送ゆえの問題が相次いだ。こうしてコピー制御のルール作りへと発展していく。その意味で、今日のデジタル放送の環境ルール基盤はBSデジタル放送から始まった。

 あれから10年。民放系BS5社の設立(98年11月~12月)から数えれば12年になる。その間、トップの顔ぶれも変わった。BS日本は漆戸靖治、小林昂、不破孝一、BS‐TBSは引田惣彌、生井俊重、平本和生、BSフジは白川文造、浪久圭司、北林由孝、BS朝日は小田久栄門、岡正和、神村謙二、風間建治、BSジャパンは木本舜造、池内正人、上田克己、山田登の各氏へと引き継がれ、現在に至る。キー局の支援もあり、3年連続あるいは4年連続の単年度黒字にもなった。今年度の業績は大幅な伸びで推移して好調だ。数年前までは、やむを得ず穴埋め的な編成作業もしていたが、いまは違う。制作費の課題はあるものの、番組の充実と差別化を最大テーマに士気が高まっている。

 今回、弊社の月刊「文化通信ジャーナル」12月号で、各局編成担当者に今後の編成方針を聞いた。11月末発行。ご一読頂ければ幸いです。

(戎正治)

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