インタビュー:崔洋一監督「カムイ外伝」
2009年09月14日
“今、これを作らなくてはならない”
1960年代から70年代にかけ大学生の間で大ヒットした白土三平の原作戯画「カムイ外伝」が、崔洋一監督、松山ケンイチ主演で初めて松竹が実写映画化した。17世紀、忍者の掟を破り自由を求めて組織を抜けた主人公・カムイ(松山ケンイチ)の孤独な戦いを描く時代劇アクション大作だ。原作は、この9月にも新作が発売されたが、今回はカムイより先に抜け忍となったスガル(小雪)がヒロインとして登場する「スガルの島」の章を映像化している。9月19日公開を控えた崔監督に映画化の動機等について聞いた。
榎望Pが企画を提案
――監督は以前、ひょんなことから「カムイ外伝」の映画化を思い立ったと話されていました。崔(左写真) 前作「血と骨」(作家ヤン・ソギルの自伝的小説をビートたけし主演で映画化。04年公開)の後、松竹の榎望プロデューサーと次回作についていろいろ侃々諤々話し合いましたが、なかなかこれという企画が出なかったのです。例えば「血と骨」の後だから、全く方向の違うある種の柔らかさを持った国民的な企画として大庭秀雄先生の「君の名は」の再映画化とか、逆に「血と骨」以降をさらに進化させる企画とかいろいろ出たのですが、なかなか決まりませんでした。そんな時、榎プロデューサーから「『カムイ外伝』はそそられますかね」という提案があったのです。僕はもうすぐ反応して、「やる!いや、やらねばならない!」と、その場で決まりました。
――崔監督は、大島渚監督の助監督をされていました。大島監督は、白土三平の原作の戯画をそのまま映画化した「忍者武芸帳」('67)を撮られています。崔 見ています。
――今回の作品は、プロローグに白土さんの画をそのまま使って状況説明をされています。やはり「忍者武芸帳」を意識されたわけですか。崔 正確に言うと、意識しなかったといえば、どこかで意識していたと思うのですが、それは映画監督・崔洋一というよりも、少年期と青年期の間にいる崔洋一が、大島渚の「忍者武芸帳」を見てインスパイアされたということです。常に国家権力と向き合ってきた大島渚が、白土さんの「忍者武芸帳 影丸伝」を一つの物語のベースに置きながら、大島ワールドというのか非常にシビアな影丸像を作り上げたんです。子供の頃に見て、わりと素直に受け止めて、民衆の力はすごい、しかし滅びていくという世界観。そこにインスパイアされたことはあります。でも「カムイ外伝」の冒頭のアバンが、イコール、オマージュであるか否かは、企業秘密としたいのです。企業秘密というのは変ですけども、2009年に「カムイ外伝」を作る、見ていただくものとして、ちょっと複雑な僕の中の変わらない部分と変わってきた部分、それが相混ざり合って今度の「カムイ外伝」になったのかなと思っています。
カムイが時代を体現
「カムイ外伝」1シーン |
――いま2009年における「カムイ外伝」というお話でした。もともと原作は「週刊少年サンデー」に63年からスタートしたものですが、今回時代背景を含めて映画化したのは、どういう狙いなのでしょうか。崔 やはり“カムイ的”な生き方に惹かれる部分が強かったですね。確かに、歴史はくり返されるという社会の変化はあるかもしれません。ある種、社会性、時代性が「カムイ外伝」を要求したんだ、という言い方ができると思うんです。だけども僕はカムイだと思うんです。孤独な逃亡者。みずからの意志で逃げ、自らの意志で戦う。でも、当然ながら、そのむなしさの中に自分をまた発見してしまう、そういう心のうつろいに正直な男だと思うんです。それが今の僕のある現代性につながって来るんです。“今、これを作らなくてはならない”という非常に強い意志を持った理由はそこなのです。カムイは強いだけではない、弱い部分も描いています。だけど背中を向けない。とりあえず生き抜く。とりあえず生きると言ったら、もっと強い苦しみに出会うかもしれないわけです。でも、そこから逃げない。逃げるわけにはいかなくなってきたという、がんじがらめの中での自己保持性。それこそが、今、老いも若きもどこかでこの何十年間、避けてきた。「わかってるよ、そんなことは――。わかってるけど、それなりのやり方もあるしさ」という。なんちゃって、なんちゃっての積み重ねの今があるのではないか。でも、もうなんちゃってはもういいんだよ。ちょっと向き合ってみるか――という。そんな気分だったんです。僕の時代に対する気分というのは。それを名実共にカムイが体現してくれたことが、映画化の強い動機でした。