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インタビュー:野澤宏富士ソフト(株)代表取締役会長

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インタビュー:野澤宏富士ソフト(株)代表取締役会長

2009年03月10日
  

        新たな成長エンジンを確保することが喫緊の課題
         学校の生徒と会社設立、連結年間売上1750億円
        映像事業に本格進出、東京国際(映)のスポンサーに

昨年の東京国際映画祭の公式スポンサーになったコンピュータソフトの開発を手掛ける富士ソフトは、インフラを提供するビジネス展開で映像事業に本格進出し、年間売上を今期の15億円から拡大し、将来的には100億円を目指す。



映画祭のスポンサーに

――昨年の第20回東京国際映画祭の公式スポンサーになられたわけですが、IT事業を本業とする富士ソフト㈱さんは、どういう狙いでスポンサーになられたわけですか。

野澤 私どもはコンピュータソフトの開発会社でありますが、映像事業にもかなり力をいれていまして、本格進出しようとしている時に、たまたま個人的にも親しい依田さん(巽東京国際映画祭チェアマン)から要請があり、こちらとしてもいいチャンスだと思いまして、スポンサーにさせていただきました。

――依田さんとは、個人的にも親しいというお話でしたが、どういうご関係なのですか。

野澤 10年ぐらい前から、経営者の勉強会のようなものがありまして、そこでいろいろと交流していたのですが、それからだんだん個人的なおつき合いになっています。

――それは、依田さんがエイベックスの会長時代ですか。

野澤 ええ、それと家族ぐるみのつき合いと言いますか、奥さん同士がけっこう親しくて、とくにワインが好きですから、依田さん主催のワインの会にも出席したり、とにかく遊ぶことがお互いに好きですからね。

――音楽や映画が好きということではないんですね。

野澤 そうではないのです。昨年、スポンサーになって挨拶をしろと言われたのですが、私はこの10年間で映画はたったの2本しか見ていないのです。それも先の国際映画祭で上映された「レッドクリフ Part1」と「ウォーリー」だけなんです(笑い)。

――オープニングとクロージング作品ですね。

野澤 映画もテレビもあまり見ないのです。テレビはニュースぐらいですね。ただ、映像がこれからデジタル化しますし、テレビもデジタル化します。今までのアナログ・フィルムもすべてデジタル化されますので、これは加工しやすいですし、伸ばすのも縮めるのも自由自在にデジタルならできます。このデジタル化ということでは、コンピュータ技術が必要になってまいりますので、我々の事業分野としては非常に有望な分野が開けているのです。いま映像関係で抱えている問題は、著作権をはじめいろいろありますが、デジタルで配信することによって、著作権保護もできますので、かえって業界関係者の皆さんにとってもデジタル化はいいのではないかと思いますね。そういう意味で私どもは、日本だけではなく世界的レベルで見ても、配信技術にしても圧縮、蓄積、検索技術といったものも、かなりのノウハウを持っていますので、映像分野も我々の有望な市場として、進出しているわけなのです。

学校の生徒と会社設立

――野澤さんは、1970年に現在の富士ソフトの前身の富士ソフトウエア研究所を設立されたわけですが、それまでは学校の講師をされていたそうですね。

野澤 蒲田にある電子工学院というコンピュータの専門学校で、講師をしていました。今の日本工学院専門学校で、一部は東京工科大学にもなっています。

――教え子の生徒と会社を作られたということですが、最初は何人でスタートしたんですか。

野澤 正社員は私を含めて3人(2人は学生)で、あとはアルバイトが7~8人でしたね。

――事務所はどこに作られたんですか。

野澤 私は横浜にある左近山団地という所に住んでいまして、その年の3月31日まで学校に勤めていました。4月1日に会社を設立しましたから探す準備もなく、左近山団地の我が自宅をオフィスにしたんです。団地ですから食事をする店もなくて、女房に昼飯からなにやら全て作ってもらったり、大変な思いをした時期がありました(笑い)。3ヵ月ぐらい自宅にいて、それから東神奈川に新しい事務所を見つけて移転したんですが、どんどん社員が増えていき、ヤドカリみたいにピッタリのスペースでやっていました。それからお客さんの都合で移ったり、「事務所をタダで貸してやるからこっちに来い」と言われると、タダと言われると弱いもので(笑い)、そういったことで転々と10回ぐらい事務所を移しましたね。「あの会社は怪しいんじゃないか? 脱税でもしてるんじゃないか」と思われたところもあるんです(笑い)。

――学校の講師をなさっていて、ご自分で会社を作られた動機はなんですか。

野澤 もともと独立するという意識で学校に勤めていましたので、あとはチャンスときっかけをどう見つけるかだったんですね。うちはもともとラジオ屋さんと言われた商売人の家ですから。当時は終戦直後で、自分の所でラジオを作って売っていましたね。ですから、うちの父親は商売人でもあり、技術者でもあったので、技術を持った経営ということには非常に興味がありましたね。しかし、ラジオ屋に将来性を感じませんでしたから、私はコンピュータの方に行き、生徒と一緒に会社を作ったのです。

――最初はどういう事業から始めたのですか。

野澤 プログラマ、オペレータ、それからSE(システム・エンジニア)といったところから始めたのですが、それが順調にここまで来るとは、夢にも思わなかったですね。

――飛躍する大きな要因は何があったのでしょうか。

野澤 やはりコンピュータ時代が爆発的に拡大してきたことが大きいでしょうね。ただその中で、拡大に躊躇する経営者のみなさんが多かったですね。今の時代で言うと「雇用調整の時期が来たらどうしよう。解雇しなければならなくなったらどうしよう」とみなさん恐れていたのですが、私の方はこのIT業界は拡大に次ぐ拡大であろうという前提で、どんどん人を採用したのです。あとはいかに優秀な技術者を育成して、役に立つエンジニアをいかに多く抱えるかに力点を置いてやってきたものですから、それがうまく当たりまして、今日の富士ソフトがあるわけです。

連結年間売上1750億円

――富士ソフトさんは組織体制として7本部制を敷かれていますが、事業部門でいいますと、まずIT事業本部というのは具体的にどういう仕事をされているのですか。

野澤 こちらは、いわゆる業務システムを開発する部門です。銀行のシステムですとか、放送関係の事務の合理化のためのシステムですとか、一般事業会社の業務システムの効率化などですね。そういうシステム開発を担当しているのがIT事業本部です。システム事業本部というのは、組み込み系と呼ばれる機械に組み込む開発を指します。いわゆるマイクロ・コンピュータはいろいろな物に内蔵されているのですが、これは全てソフトでコントロールするわけです。そういう組み込まれたコンピュータのソフトを開発しているのが、システム事業本部です。主力は携帯電話ですね。携帯電話はここ10年で爆発的に伸びましたが、うちはシェアの7割ぐらいを占めています。次いでデジタル・テレビを始めとしたデジタル家電の分野も、非常にソフト量が増えて来ています。チューナーの部分は非常に重要な技術が集結しています。国際的にも販売できるように努力しています。そして自動車分野。今の自動車は、ハンドルが直接タイヤを制御しているわけではないのです。ハンドルを回すとセンサーがそれに応じて調節しているわけで、あの先はタイヤにつながっていないのです。みなさん、つながっていると思っていらっしゃいますが(笑い)。ブレーキを踏んでも、直接ブレーキ・シューを動かしているとお思いになりますが、あれはスイッチです。いまは単なるボリュームですから、強く踏むとボリュームを上げた状態で、ギューッとなるだけです。こういうことをコンピュータがコントロールしていますし、我々のコンピュータ技術、ソフト開発のシステム技術が利用されています。

――ソリューション事業本部はどういう業務内容ですか。

野澤 これはハードウェアとソフトを組み合わせてお客さまの問題を解決してさし上げている所で、今は特に医療関係ですね。

石田正樹取締役(右写真) 病院が今非常に経営的にも厳しい状態になっていますので、それを支えるITのサポートの技術であるとか、経営の効率化のシステムであったり、電子カルテであったり、いろいろな分野があります。フィルムで焼いたCTスキャンやレントゲン映像をデジタル処理したり、医療に関係するあらゆることを扱っています。

野澤 ソリューションですから、いろいろな分野があるのです。それから監視カメラが今ソリューションとして非常に売れてる部門です。

石田 最近、あるバス会社さんに1000台納入しました。大型バスは年何回か巻き込み事故や車内で運転手さんとお客さんのトラブルがあるのです。

野澤 全部監視カメラで映して、衝突したり事故を起こしても、何カ所かカメラがありますから、それを見れば事故の解決も非常に早いですし、問題解決するにも時間短縮がはかれます。それに、銀行のATMの監視カメラも古いものは画像がぼけて輪郭がわかりにくいのですが、当社製品はすごくはっきりしているんです。それが売れています。アウトソーシング事業本部は、お客さまが持っているサーバーやコンピュータを自社のデータセンターで保管管理しています。映像事業に関してはいつでも必要な時に出せるような、検索できるようなデータセンターを目指してやっているわけなのです。

石田 今まで蓄積した技術を活かしていきたいですね。

野澤 となると、どうしても映像分野に我々は必然的にシフトしていかなければならないのです。先程の著作権管理も、今は手作業で鉛筆と電卓、パソコンでもエクセルなどで管理している状態でしょう。それに当社は配信もやりますし、課金の細かい計算│何十円という権利者の比率で配分したりという、細かい計算も自動的に行うサービスもしています。すでに1、2社やらせていただいています。そういう意味で、映像事業といいましても映画を撮るといったことではなくて、インフラを提供するビジネス展開というもくろみで、我々は映像事業の方に進出して行くということなのです。

(全文は月刊誌「文化通信ジャーナル」09年2月号に掲載)

野澤宏 富士ソフト(株) 代表取締役会長 プロフィール
昭和17年5月17日、東京都世田谷区生まれ。昭和43年3月 東京電機大学工学科卒業。昭和41年4月 大明電話工業株式会社(現・大明株式会社)入社。昭和42年10月 学校法人日本電子工学院電子計算機部に講師として勤務。昭和45年5月 株式会社富士ソフトウエア研究所(現・富士ソフト株式会社)設立、取締役就任。昭和48年5月 代表取締役社長。平成13年4月 代表取締役会長。平成16年6月 代表取締役会長兼社長。平成20年6月 代表取締役会長。

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