フランス=日本=ドイツ=ベルギー=イタリア合作映画、エレファントハウス配給『ONODA 一万夜を越えて』が8日(金)より全国公開中。カンヌある視点部門にも出品されたこの話題作は、旧陸軍少尉・小野田寛郎(1922‐2014)の孤独な戦争を描く。終戦の事実を知らない小野田は、およそ30年にわたりフィリピン・ルバング島で任務を遂行し続けた。この史実を映画化したフランス人、アルチュール・アラリ監督は、全編日本語による芝居にこだわった。小野田の青年期を遠藤雄弥、成年期を津田寛治、他に仲野太賀、松浦祐也、千葉哲也、カトウシンスケ、井之脇海、イッセー尾形らが脇を固める。特筆すべきは、監督と彼ら日本人俳優たちの間に国境を感じさせないディレクション。彼らの間に立ち通訳を務めた澁谷悠氏(パリ在住/29歳)は、次のように振り返る。
■小野田の30年間、そこにこそ普遍性がある
――『ONODA』に参加した経緯を教えてください。
澁谷 私は日本で生まれ、早稲田の仏文科でフランスの哲学を勉強し、交換留学で一度フランスには来ていました。その後、教育に興味があった私は、研究職に就きたいと思い、修士課程のためにもう一度フランスにわたりました。映画に関する通訳の仕事では、本作の他に、諏訪敦彦監督がフランスで撮った『ライオンは今夜死ぬ』にも参加しました。『ライオン~』にアルチュールが俳優として出演し、知り合い、『ONODA』に参加するに至ります。
――完成した作品をどのように観ましたか。
澁谷 今回私は通訳として脚本段階から現場、ポスプロにも携わり、完成していないかなり早い段階から観ていたので、あまり客観的には…。監督にとってこの作品が子どもだとすれば、私にとって甥っ子のような感覚です。ただ、完成からしばらくして、少し落ち着いた頃にカンヌで観ることができました。外国の監督が日本を題材にした映画を撮るときに感じる、紋切り型で戯画的な感じが全くないことに、やはりすごいなと感じました。
――小野田さんの孤独や戦い、葛藤がしっかりと描かれていましたが、脚本段階からすでに書かれていたのでしょうか。
澁谷 けして悪い意味ではなく、脚本にはある種、それのみが書かれていました。他の仕事で私は、フランス人が日本で撮りたい映画の脚本を翻訳することもありますが、よく、 “ザ・日本人はこういうことをするよね” という要素や描写が書かれています。例えば、お辞儀をすることを異常に強調してみたり…。しかし、アルチュールの脚本にはそういったことは全くありませんでした。人間として、小野田さんがいかに30年間を生き抜いたのか、ということだけに興味の中心がありました。アルチュールが言っていたのは、そこにこそ、普遍性があるということです。人間の葛藤自体は、国や時代を超えるのではないかと。私がカンヌで観た時も、実現されていると感じました。
■脚本を仏語→日本語→仏語に
――脚本の段階で澁谷さんが助言したことを教えてください。
澁谷 私は共同脚本のようにアドバイスする立場にありませんが、今回は脚本がリライトされていくなかで、私の意見も反映されていきました。本作には玉音放送をラジオで流すシーンがありますが、当初の脚本に書かれていたのは人が読み上げるといったシーンでしたので、実際に流してみたらどうかと提案しました。また、俳句が登場しますが、その一句を創作することもミッションとして与えられました。映画を観てもらえば分かりますが、その一句はある種暗号の役割も果たします。5・7・5かつ季語を入れ、さらに暗号にもならなくてはいけない、そんな不思議な仕事もありました(笑)。
――脚本を訳する作業はどのような過程を踏むのでしょう。
澁谷 まず、仏語から日本語に訳してみると、仏語的にはナチュラルでも日本語的にはまらないものが出てきます。次に、日本語訳を受けたアルチュールのなかで、 “この表現や単語をどうしても使いたい・残したい” というこだわりが出てきます。そこで、さきほどの日本語的にはまらないものも含めて擦り合わせます。ちなみに、私が仏語から日本語に訳した時に、アルチュールがどう訳されたか本当の意味で全部把握したいということになり、仏語から日本語に訳したものをもう一度仏語に訳し直し、その上でディスカッションしました。イッセー尾形さんのセリフで “秘密戦の名誉とは忠誠だ” とありますが、これは日本語的には少し変な表現。アルチュールが意図していたのは、勲章も与えらない、世間一般からも認められない(小野田が参加する)秘密戦では忠誠を捧げることだけが、名誉だということです。私が “急なセリフで分かりにくい。なにかステップとなるようなセリフを足した方がいいのでは” と提案すると、アルチュールは “その違和感を大切にしたい” として、結果的にはそのまま生かしました。その逆で、私の意見を反映してもらったり。そうした作業を細かく細かく行い、6か月をかけました。
■いち早く理解し、日本語の最短ルートを探して伝える
――現場の雰囲気はいかがでしたか。
澁谷 雰囲気はかなり良かったです。私はフランスで通訳の仕事を始めましたから、日本の現場の経験はあまりありませんが、日本の俳優の方々がフランスの現場の豊かさにとても驚いていた印象です。1週間のうち稼働時間は5日間で撮休が2日間、そして1日8時間。残業したら残業代も出ます。カンヌの会見で津田寛治さんが仰った言葉で印象的だったのは、 “日本では努力して映画に携わることが美談のように語られるが、フランスでの映画撮影はプライベートを犠牲しながら頑張るのではなく、生活と地続きになっている” というニュアンスのことを仰っていたことです。カンボジアで撮った『ONODA』の現場には、スタッフたちが家族をロケ地に呼びよせて、撮休は家族と過ごしたり、撮影がある日でも家族とご飯を食べにいったり。 “だからこそクリエティブな仕事ができる” “日本の現場も少しでもそういう方向に” と津田さんは仰っていました。
――監督と俳優の距離感について、通訳の立場からどのように感じましたか。また、澁谷さんと俳優の距離感についても、教えてください。
澁谷 アルチュールと俳優さんたちの絆はとても強く、お互いに信頼し合っていました。俳優さんたちは私をものすごく可愛がってくださり、 “澁谷君がいたからこの映画ができた” と色々なところで言ってくださっています。ただ、現場の初めの頃は、俳優さんたちは “よく知らないが、この澁谷という人が言っていることを信じないと” 演技できないという複雑な気持ちだっただろうなと想像しています。本来は監督の話を直接聞きたいのに、私が間に入ってきてしまうので、必ずしも居心地が良いものではなかったはずです。それでも “アルチュールが信頼しているこの通訳のことを信じて懸けよう” という俳優さんたちの気持ちをものすごく感じました。そして、撮影が進むと、私が訳し終わる前から、アルチュールの反応を見た俳優さんたちが阿吽の呼吸のように理解するという現象も起こりました。その時には、仮に通訳が私でなくとも成立するぐらいの、言葉をこえた共通認識と絆が、アルチュールと俳優の間にはあったと思います。
――現場で通訳する上で、心掛けているポイントは。
澁谷 例えば、皆さんが想像するような国連などの通訳の仕事は一言一句漏らさないように訳すスキルが求められますが、映画の現場はそうではありません。そのまま伝えることは逆に混乱を招きかねません。また、私にできるのは、同時通訳ではなく、逐次通訳です。アルチュールの言葉の先にあるものをいち早く理解して、日本語の最短ルートを探して伝えることを大切にしました。もっと言えば、俳優さんによって、言葉の響き方は異なります。アルチュールの言葉をよく聞いて表現する人、聞きすぎずに表現する人など。テイクを重ねるなかでアルチュールの言葉のなかにある種の矛盾が生じる局面もありますので、そうした時のフォローも行いました。時に、ここは訳さなくて良いと思う局面があれば、ある程度の主観的な取捨選択もしました。
■想像力の世界に、同じステージから
――言葉や文化の壁をものすごく感じる局面はありましたか。完成した作品を観ると、そのようには想像できないので、逆に伺いたく。
澁谷 うーん…、ないんですよね。物理的な大変さは勿論あります。通訳を介すれば、通常より1・5倍から2倍の撮影時間になりますので、1日の撮影時間に制限がかかります。しかし、文化的な違いで、アルチュールと俳優さんたちの間で意思疎通ができていないとか、作品の方向性の認識がずれてしまっているとか、そういったことは本当にありませんでした。
――なぜだと思いますか。
澁谷 監督がアルチュールだったからだと思います。先ほども申し上げましたが、彼が描きたいのは小野田さんの30年間でした。それを描くことは、誰にとっても同じ条件です。年長者のイッセー尾形さん(69歳)にとってですら、知らない世界。つまり、現場のみんなにとって、想像力の世界なのです。それは勿論私にとってもですが、みんなが小野田さんに何があったか、何を想ったか、その30年間は何だったのか、同じステージに立ち、同じように想像力を働かせた、そんな現場でした。アルチュールにとっても勇気が必要だったと思いますが、通訳を私に任せて素晴らしい映画の冒険に参加させてもらったことや、何の保証もないのに私を信じてくださった日本の俳優さんたちの熱意に感謝しています。
――最後に、今後の御活動を伺いたく。
澁谷 複数お声がけいただいています。2つ例をあげると、ベルギーの監督が仏語で、日本で撮ろうという企画と、日本人監督がフランスで撮ろうという企画です。両方とも脚本から参加し、現場でも通訳に入る予定です。仕事がある限り、フランスに居るつもりです。色々とやってみたいので是非お声がけください。
取材・文 島村卓弥