公開前に続映決定『モデル 雅子 を追う旅』大岡大介監督
2019年07月17日
大岡大介監督
2015年に希少ガンの闘病の末、50歳で他界したモデル・雅子さんの半生を綴ったドキュメンタリー映画『モデル 雅子 を追う旅』が7月26日よりアップリンク吉祥寺で公開される。当初1日1回・1週間の限定公開を予定していたが、チケットが全回売り切れ、公開を前にして延長上映が決まった。メガホンをとったのは、夫であり、テレビ局に勤める
大岡大介監督。「生前、モデルとしての彼女をほとんど知らなかった。色んな時代の彼女に出会いたい一心で一本の映画にした」と語る監督は、雅子さんが亡くなった後、関係者へのインタビューと並行して彼女が登場する雑誌や、映像作品をかき集めた。手弁当で構築させたアーカイブとしては、目を見張るものがある。それらの経緯を聞いた。
●雅子さん出演素材を集め、紙だけで1500~1600
雅子さんは1984年・19歳の時にモデルデビューし、30年のキャリアを積んだ。20代は「an an」「装苑」「流行通信」、30代は「LEE」「クロワッサン」「ミセス」、40代は「家庭画報」「美しいキモノ」「和樂」「エクラ」「GLOW」「大人のおしゃれ手帖」など多数の誌面を賑わせ、“雅子さんは私の青春時代”と懐かしむファンが多くいる。
同作では、雅子さんがプロのモデルとして生涯貫き通した姿勢を描いており、「雅子のことを調べれば調べるほど、彼女がどれほどにモデル業をハードに行っていたのかを感じ取ることができた。彼女は、神経・細胞にしみわたるまで内省や学びを習慣にしていて、ものすごく仕事人だったのだなと思うし、リスペクトの念がより強くなった。また、それらを感じ取ることができたからこそ、夫婦として一緒にいた日々がより愛おしいものになっていった」。劇中でも、雑誌撮影のスタッフが“雅子さんは、他のモデルよりも壁がなく仲間として働いていた”と振り返る場面があり、モデルであり仕事人でもあった彼女の一面に触れることができる。
雅子さんが亡くなった後、監督は、彼女のアーカイブを作成。「衝動だった」と監督は当時を語る。自宅には雅子さんが遺した雑誌や、その切り抜き、VHSが箱にしき詰められていたが、けして彼女の30年の全てではなかった。監督は、まず【紙媒体】のものから、抜けている年代・号数を埋めていった。雅子さんの実家や、時には国立国会図書館や古書街を訪ね回り、エクセルの表にひたすら打ち込み続け、1年間を費やした。「紙媒体だけで1500~1600のデータになった」。
©︎2019 Masako, mon ange.
雅子さんは、CMや映画にも出演しており、映画で有名なものは『リング』貞子の母役だ(ちなみに同作には中田秀夫監督も出演)。監督によれば、【映像媒体】の素材を同作に使用するための作業は簡単なものではなかった。とくにCM素材。映画素材の場合は、製作幹事会社に問い合わせれば、使用許諾の対応に向けて動いてくれることが多かったようだが、「CMの権利者をデータベースにしているところを見つけることができず、全て自分で整理した。映画に使おうと思ったCMに関しては、一本ごとに広告主、代理店、制作会社、音楽、と考えられうる権利を持っているであろう方々の連絡先を全て調べ、連絡をとり、許諾いただいた。8本使用したが、30を超えるほどの関係者とやり取りした」。その作業はスムーズにはいかず、例えば、音楽の使用料が想定よりも高すぎたCMに関しては、音楽を使用せずに映像のみを用いることにした。すると、一度許諾を得た権利者に、無音で使用する旨を説明するための連絡を改めてしなければいけない、ということもあった。
●権利者不明素材でもあきらめず
紙媒体・映像媒体のいずれに関しても、権利者が全く不明であるケースもあった。ちなみに、こうした許諾を得ようにも権利者の所在や生死が不明で使用許諾を取るのが困難な著作物のことを「オーファンワークス」という。世界的な問題でもあるオーファンワークスであるが、日本では、これに対応する「裁定制度」を文化庁が設けている。具体的には、ある創造物を使用したい人が努力して権利者を探しても、その所在が不明な場合、文化庁に申請する。文化庁は、後に権利者が現れた場合にかかるであろう使用料を推定し、利用したい人がその金額を文化庁に供託すれば、その使用を国から認めてもらえる、という制度だ。同作でこの制度を活用した監督は、「権利者の所在が分からないものは、全てリスト化し、申請した。一つの出演媒体につき、一人の権利者という訳ではないから、この制度がなければいつまで経っても完成できないままだった」と振り返る。
●〝雅子にもう一度会いたい人、知らない人へ〟
同作には、このようにして集めた雅子さんの出演素材がふんだんに使われており、その量はモデルとしての雅子さんの歴史と監督の熱を物語るとともに観客の胸を打つ。最後に、「被写体が特別な存在であるがゆえに制作に躊躇することはなかったか」と聞くと、監督は、「躊躇することはなかった。自分自身が雅子を忘れてしまうかもしれないという恐怖心がすごく強かったので、これさえあれば忘れることはないと言えるものを考えた時、昔から一度撮ってみたかった映画に行き着いた」とし、「雅子にもう一度会いたいと思っている人たちや、雅子のことを全く知らない人たちに観てもらいたい。僕の奥さん素敵でしょうと自慢したい」と願いを込めた。
©︎2019 Masako, mon ange.
配給はフリーストーン。上映館のアップリンク吉祥寺では19時半開始のレイト公開。連日、監督らが登壇するトークイベントを行う。