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躍動する「映画ランド」、ジェイソン・ウォン代表取締役CEOに聞く

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躍動する「映画ランド」、ジェイソン・ウォン代表取締役CEOに聞く

2018年08月06日

文化通信ジャーナル2018年8月号より抜粋

ジェイソン・ウォン氏.jpg



 「映画ランド」という名前を、最近よく見聞きするようになってはいないだろうか。

 映画ランドは、映画チケットの予約が簡単にできるサービス。4年前にアプリをリリースしてから飛躍的に利用者数を増やし、今年7月上旬現在で145万人を突破。全国3500スクリーン余のほとんどで対応するまでになった。ユーザー評価も高く、App Storeの調査では5点満点中、4・3点を獲得している。

 映画ランドを立ち上げたのは、香港から大きな夢を抱いて日本にやってきたジェイソン・ウォン代表取締役CEO(=写真)。持ち前の好奇心と行動力で、周囲を巻き込んで映画ランドの成長を引っ張る。

 本誌は8月号、9月号の2カ月にわたり、映画ランドを取り上げる。ウォン氏が起業した経緯、「映画館で映画を見る」という行為に注ぐ情熱には、映画業界で働く多くの人や、これから業界を目指す人にとっても、大きな刺激になるのではないだろうか。





■映画のチケット予約が簡単に


 映画ランドでは、見たい映画をクリックすると、選択した地域の映画館すべての上映時間が一覧できる。そこから各館のホームページにジャンプして、すぐにチケット予約・購入に移ることができる。

ウォン 映画ランド以前は、上映中の映画や映画館の場所、上映時間などをまとめて検索できるサービスがなく、不便に感じる人はたくさんいたと思います。従来はグーグルなどの検索サイトで、近くの映画館や見たい映画、上映時間を調べ、座席表にたどり着くまでが遠い。ここを簡単にできるサービスがあったら便利だなと思って作ったのが映画ランドです。映画をよく見る自分がそうなのだから、ニーズがあると確信していました。

 映画ランドの名称ですか? 映画の検索をする際、検索ワードは「ムービー」や「フィルム」ではなく必ず「映画」です。それに「映画」を入れることで、映画に関する商品であることが一目瞭然ですから「映画」は必須の単語でした。「ランド」の方は複数の候補の中から決めました。映画館で映画を見る人に使ってもらうアプリであり、映画館とユーザーのコミュニケーション活性化にも役立ちたい。楽しい雰囲気の中で、ゆくゆくは映画を作る人、配給する人、宣伝する人、監督や俳優などいろいろな人が集まるメディアにしたい。そういう場所として「ランド」を選びました。


■日本映画を作る夢めざし来日

 順調に歩みを進める映画ランドだが、ここまでの道程は平坦ではない。そもそもウォン代表は、「日本映画を作りたい」という長年の夢を実現しようと2005年秋、香港大学を中退し日本にやってきた。日本映画に関心を持つ契機は、幼少期の体験だった。

ウォン 父母、男ばかり3兄弟の5人家族。貧しく、家には玩具もありません。放課後は唯一の楽しみであるテレビをずっと見て過ごす毎日。そんな中、テレビの映画特集で小津安二郎を知り、その世界観に感動しました。高校時代は香港で岩井俊二、中でも『Love Letter』が絶大な人気となりました。私は小津、岩井を通じて日本映画を知り、自ら日本映画を作りたいという思いを募らせていきました。

 両親はお金で苦労したからでしょう、息子たちには豊かに暮らせるようにと金融関係の仕事を望みました。 私も現実的な目標は会計士になること。高校の成績は悪くなく数学も得意でした。でも、進路選びで迷います。「日本映画を作りたい」という夢を追いかけるのか、香港で大学に入り会計士を目指すのか。日本への留学経験のある友人に相談し、私は日本に行く決心をしました。ただ、親には反対されるのが分かっていましたから、密かに日本に行くためのビザを申請し、香港大学に入学した3カ月後にようやく許可が下りました。親に打ち明け、学費は全額自分で出す、必ず結果を出すと約束して香港を離れました。

 日本では、日本語学校に通いながら猛勉強をして、1年で日本語能力試験1級を取得。大学は、東京工芸大学の映像学科(映画研究室)に合格しました。在学中は映画の配給、宣伝、興行の流れを学びつつ、映画制作に没頭。当時の私は仲間から「J君」と呼ばれ、制作チームの愛称は「Jスクール」。卒業制作で監督・脚本した作品が学校の代表作に選ばれ、いろいろな学生映画祭に出品されました。


■デジタルを活用した事業を

 映画制作を実体験として学んだ大学生活も卒業を控え、社会人としてどんな道に進むのか、決める時期が来た。就職した会社で映画業界の仕組み、会社経営のことをゼロから学んでいった。日本映画を作りたいという夢は持ちつつ、業界にデジタルの力をもっと取り入れたいと思うようになる。

ウォン 大学時代は映画制作に明け暮れ、まったく就職活動をしませんでした。周囲ではどんどん内定者が出ますから、やはり焦りも感じます。制作会社に就職できるのか。監督や脚本の仕事に就けるのか。外国人は不利にならないか。逡巡する私に教授が薦めてくれた会社が「プランニングオム」。映画や映像パッケージの宣伝をプロデュースする会社で、東宝東和で宣伝プロデューサーとして活躍した村山彰さんが1984年に設立しました。教授が言うにはオープンで、いい会社であり、私の挑戦したいことにもつながるのではないかと。制作ではなく配給や宣伝の領域ですが、マーケティングの勉強をして将来映画を作る時にその経験を活かそうと履歴書を提出しました。

 プランニングオムの求人に応募したのは200人。面接を4、5回やって採用は4人。狭き門を通ったのだから頑張るしかありません。入社してみて驚きます。私以外の3人は部に配属されたのですが、私はいきなり社長の隣席。村山社長は私の語学力を活かした海外進出を考えていて、そのための部を作るよう命じられました。以来、社長の特訓を受けてビジネスの基本からマーケティング全般、映画業界のことまで、ここで学んだすべてがいま映画ランドにつながっています。

 こうして経営、実務の両面で多くを学ぶ半面、仕事の進め方はアナログな手法が中心でデジタル活用が少ないことに気づきました。すでにスマートフォンのある時代でしたが、映画業界全体として世間一般から見るとデジタル活用が少ない状況にありました。私はいつしかデジタルを活かした事業をしたいと思うようになったのです。


続きは、文化通信ジャーナル2018年8月号に掲載。

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