(C)2017『ミスミソウ』製作委員会
「ハイスコアガール」や「でろでろ」などで知られる人気漫画家・押切蓮介の代表作として知られるコミック「ミスミソウ 完全版」が映画化され、4月7日から劇場公開される。
ある田舎町を舞台に、壮絶なイジメを受け、ついには家族を焼き殺された少女の壮絶な復讐を描く。『ライチ☆光クラブ』や『先生を流産させる会』の内藤瑛亮監督の手腕により、目を覆いたくなる激しい描写の一方で、ただの残酷映画に留まらない、青春の苦みや切なさも感じられる作品に仕上がった。
この映画化を実現させたのが、製作幹事会社である日本出版販売の
田坂公章プロデューサーだ。初の映画化となる押切作品と、問題作を発信し続ける内藤監督を結びつけたのは、田坂プロデューサーが持つ意外な経歴が大きく作用している。本作の映画化の経緯と、田坂プロデューサー自身のバックグラウンドについて聞いた――。
原作者とは一緒にバイトをした経験も――原作は、ホラー漫画の雑誌「ホラーM」(ぶんか社)で2007年から連載が始まりました。田坂さんが映画化を考えたのはいつですか。田坂 全3巻の単行本が出た2009年頃に読んで、面白そうだなという考えはあったんです。でも、題材がシビアですし、家も燃やすし、残酷描写もあるし、雪の中での撮影になりますし…。製作費がかかりそうで、その時は(映画化は)難しそうだなという印象でした。でも、2013年に双葉社から「ミスミソウ 完全版」が出て、読み直したんです。完全版は、エピソード0的な話とラストシーンが加筆されており、漫画にものすごく奥行きが出ていました。やっぱりこの漫画は凄いぞと思いましたね。最初に映画化を考えた時よりも自分自身がプロデューサーとして成長していますし、「今ならできるんじゃないか」と思ったのがきっかけです。
――押切さんの漫画は、以前から読んでいたのですか。田坂 実は、押切さんとは15~16年前に知り合っていたんです。お互い22~23歳の頃だったと思います。当時、僕は役者をやっていて、ENBUゼミナールの篠原哲雄監督のクラスに通っていました。その卒業作品を豊島圭介さんが撮影し、僕は出演していたのですが、劇中で使うイラストを、押切さんが描いたのです。その関係で、打ち上げの席で押切さんと初めて話したんですが、当時押切さんは出世作の漫画「でろでろ」が始まる前で、お金もなく「バイトしないとな~」とおっしゃっていました。そこで僕がアンケート調査のバイトを紹介して、一緒に集計したんです。バイト終わりには一緒に中野に遊びに行きました。そして、帰り際に「また今度会いましょう」と言ったきり、ずっと連絡もとっていなかったんです(笑)。
それから時が経ち、2014年。いつの間にか押切さんはバリバリの第一線で活躍する売れっ子漫画家となり、僕はプロデューサーになって、「『ミスミソウ』をやりたい」とお声掛けした形です。
田坂プロデューサー
僕が押切さんの作品を読んでいたか?というご質問に対する答えですが、実は読んでいなかったんです。会わなくなったあと、押切さんは「でろでろ」を連載されて忙しくなり、たぶん、僕は自分の中で嫉妬心があったんでしょうね(苦笑)。彼の漫画を読む気が起きなかったんですよ。でも、「ハイスコアガール」が始まった頃(2010年)に、やっぱり押切さんは凄いなと思って、「ミスミソウ 完全版」の映画化をオファーする頃に、おさらいするように押切さんの漫画はほぼ全部読みましたね(笑)。
――押切さんは、田坂さんのことは…。
田坂 実は、出版社には、押切さんと知り合いだったことは言わずに、単に映画化したいということを伝えたんです。でも押切さんは「あの田坂さんですよね?」と覚えていてくださって、お会いして、この企画が進みました。押切さんは、白石晃士監督と僕が一緒に手掛けたホラーシリーズ『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』をお好きだったようですが、僕のプロデュース作品だったとは当初知らずに、あれ?「ミスミソウ」を映画化したがっている田坂って、この『コワすぎ!』の田坂…? あれ!?この人知ってる!と色々繋がったようです(笑)。
すぐに内藤瑛亮監督にオファー――そして、メガホンを内藤瑛亮監督がとることになったわけですが、当初は別の監督の予定で、内藤さんに決まったのはクランクインの約1ヶ月前だったのですよね?田坂 色々あって、当初予定していた監督が降板することになりました。でも、主要キャストである山田杏奈さんと、清水尋也さんは決まっていましたし、ほかの出演者のオーディションも進めている状態でした。僕自身も絶対に映画化したいと思っていましたし、前の監督の降板が決まったその日の夜に、内藤監督に電話して会いに行きましたね。
――なぜ内藤監督だったのですか。田坂 2014年に企画を考え始めた頃、候補として内藤監督は挙がっていました。この題材は合うだろうと。その後、色々あり候補からは外れていたのですが、内藤さんとは一緒に『ドロメ 女子篇/男子篇』や『鬼談百景』をやっていたので、『ミスミソウ』の企画を僕が進めていることはご存じだったのです。ですから、すぐに内藤さんに電話をしたのは自然な判断でしたね。
――内藤監督もすぐにその話を受けたのですか。田坂 電話をしたのが、2017年の2月3日の金曜日でした。実は、雪の関係で3月13日にはクランクインしないといけない状況でした。内藤さんには事情を説明して、土日で考えてほしいことを伝えました。内藤さんもかなり悩んだと思います。来月のインにも関わらず、まだ決まってないことも多く、監督からすれば大ヤケドする可能性もある企画ですから。でも、日曜日の夕方には連絡をもらって「やらせてもらいます」とお返事頂けました。
――映画化するにあたり、特に意識した点は何ですか。
田坂 この作品は中学3年生の15歳の子供たちが主人公ですが、キャストは実年齢に近い人たちで行こうと考えていました。ネームバリューを重視して、もっと高い年齢の俳優を起用する選択肢もあったかもしれませんが、それではこの映画が持っている、年齢の危うさは損なわれてしまいます。中学生の、自分の自由で外に出られない環境だからこそ起きたことなので、若い子が持っている年齢の危うさは絶対必要だなと。
あと、残酷描写は逃げずにやろうと思っていました。残酷な暴力だからこそ立ち上がってくる物語もあるので、そこは制約をあまり設けず、意識したところです。
――紆余曲折を経て完成した作品は、イメージしたものに出来上がったのですか。田坂 それ以上でした。やはり、内藤さんは凄いなと思いましたね。
若手1人1人の魅力を引き出す内藤監督
――どのあたりが内藤さんの真骨頂だと考えますか。田坂 まず撮影前の準備の部分ですが、衣装合わせの際、監督は役者から質問責めに合うんですよ。今回の場合、内藤さんは監督に決まってから衣装合わせまで2~3週間程度しかなかったのに、その時にはもう映画を全部自分のものにしているんです。吸収して、咀嚼して、これはこうだからこうなんだと、あらゆる質問に答えられる状態で挑んできていました。これは普段から物を作ることを意識している人間じゃないとできないだろうなと思いました。シナリオは、唯野未歩子さんに書いて頂いたものを、最後に監督が手を入れるのですが、より役者の演出向けに、少しずつ内藤カラーに染めていくんです。さらに、クランクインまでにアクションシーンの絵コンテを全部描いてきていました。この男は凄いなと。
そして仕上がりの部分ですが、ややもするとバイオレンスが凄いだけの映画で終わるのですが、内藤さんの手にかかると、子どもたちがすごく良いんですよ。ほぼ演技未経験みたいな子もいるんですが、「引き出すな~この人は」と思いましたね。一人一人の良さを引き出し、どのキャラクターにも目が離せなくなるんです。
あとはラストシーンですね。詳しくは言えませんが、なかなか大胆なことをやっているので想像以上でした。
――この映画は、主にどの客層をターゲットにしているのですか。田坂 まず、押切さんの原作を読んでいた、20~30代の男性。そして、内藤監督のファンである映画好きな人。30~40代の男性ですかね。でも、この映画の1番のターゲットは、最近中学3年生を経験した15歳~大学生あたりでしょうか。彼らがこの作品を観た時にどう思うのか。「グロかったよね」という以上の何かを与えられれば幸いです。
(C)2017『ミスミソウ』製作委員会
俳優として『デスノート』出演も――田坂さんのプロフィールも伺いたいのですが、先ほどチラッと、俳優をされていたとおっしゃいましたね。
田坂 地元は広島で、漠然と映画監督に憧れていました。片っ端から映画を観て、映画館に入り浸っていたら単位が足りなくなって高校をやめたという(笑)。だから僕は中卒なんです。8mmを買って持っていたので、町の風景や人をカメラ片手に撮って回っていましたね。20歳ぐらいの頃、東京に行こうかなと思った時、色々な映画の本をつまみ読みしていると、ある本に「映画監督をやるなら芝居もできた方がいい」ということが書いてあったんですよ。まだ何の知識もない小僧だったので、「確かにそうかも」と素直に思って、以前から好きだった篠原監督もいらっしゃるENBUゼミに行こうと。そして役者コースを選んだのですが、これがやり出すと面白い。下手くそで芽は出なかったですが、だんだんと人との交流が広がっていき、楽しかったんですよね。
――商業映画に出演されたことはあるのですか。田坂 有名な作品では、ENBU卒業のだいぶあとですが、金子修介監督の『デスノート』前後編に出ています。キラの存在が色々な人に認識され始めた場面で、月(ライト)が通っている学校で、月が通るすぐ近くで「キラって凄いよね」という会話をしている同級生たちがいるんです。その中の一人で、パチッと抜かれてはいます。台詞もありました。でも、それも内トラ(内輪のエキストラ)みたいなものでした。制作部として金子監督と仕事をしていたので、呼んでもらえました。その頃は制作部と二足のわらじでした。
――ENBUを卒業後は、制作部と役者の両方をされていたのですか。田坂 そうですね。ENBUが終わって、バイトしながら自主映画もしつつ、声をかけられて制作部も始めました。皮肉なことに、役者としては芽が出なかったですが、制作部の仕事は徐々に入ってくるようになり、ウエートもそちらの方が重くなっていきましたね。
――フリーランスですか。田坂 フリーランスです。何かあれば声をかけられるという感じでした。しかし、2007年頃に役者は辞めました。いい年ですし、役者としては全く食べられなかったですから。一方で、制作部としてずっと現場で仕事をすることにも迷いもありました。すると、その頃出入りしていた制作プロダクションのビデオプランニングの三木和史社長に「うちに来るか?」と誘われて、入社することになりました。その時に、勝手に「プロデューサー」を名乗るようになりました(笑)。ただ、右も左もわからないので、会社の仕事をしつつ、日々悶々と企画を考えていました。
――どういう作品を製作されたのですか。田坂 最初に旅もののDVD企画をやりましたが、劇映画では、白石晃士監督の『ネ申アイドル総選挙バトル』というVシネマを作りました。映画を作るようになったのはそこからですね。入社1年後には独立し、ビデオプランニングのデスクは使わせてもらいつつ、僕が立ち上げる企画は全てビデオプランニングで制作し、利益が出れば何割かを頂く、という体制になりました。それが2011年頃です。
――日販とビデオプランニングは、よく一緒に映画をやっていますよね。日販の人とはその頃から知り合いだったのでは。
田坂 よく知っていました。そして2013年頃に、日販のあるプロデューサーが退社することになり、僕に電話がかかってきて「入らない?」と。ぜひ行かせてくださいと入社しました。
プロデュース作品今後続々――田坂さんが企画を立ち上げた第1弾作品は何ですか。田坂 移籍第1弾は、内藤監督の『ドロメ』ですね。監督の完全オリジナル作品です。2本で1本のトリッキーな映画で、男子の視点、女子の視点で同じ時間軸を描く作品でした。
――内藤監督との関係は長いのですか。田坂 『先生を流産させる会』を観て、面白い監督だなとは思っていたのですが、キングレコードが開催している「夏のホラー秘宝まつり」のオープニング映像の制作を、内藤さんが監督し、僕が現場プロデューサーを頼まれたことで初めてお会いしました。その時に「何か一緒にやりましょう」という話になり、1年以上経ってから立ち上がったのが『ドロメ』ですね。
――田坂さんがゼロから立ち上げた企画では、『ドロメ』以降は何がありますか。田坂 今回の『ミスミソウ』と、7月に公開する『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』はそうです。そのほかの作品は、プロデューサーとしてのオファーや、お声掛け頂いた作品に入るという形です。
――『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』は、どのような作品ですか。田坂 押見修造さんの漫画が原作の青春映画です。自分の企画で人が死なない映画作るのは何年ぶりですかね(笑) 青春の話が主軸ですが、この作品は吃音症が描かれています。押見さんの実体験がもとになっており、青春映画でも「キラキラ」というよりは「ヒリヒリ」する内容です。青春時代に、キラキラしていなかった人にはより一層ハマる映画かもしれません。
――内藤瑛亮監督の新作自主映画『許された子どもたち』のプロデューサーも担当されていますが。田坂 この作品は、内藤さんから「プロデューサーをやってくれませんか?」とご相談頂いた企画です。少年犯罪をテーマにした作品で、自主映画として制作されるので、プロデューサーとしてサポートします。配給も当社が担当します。
――内藤監督と作品の好みは合うのですか。田坂 ちょっと違うんですよ(笑)。内藤さんはホラーも観られるし、かなり幅広い。僕は、これだけホラーを作っておきながら、自分から進んでホラーを観ることはあまりないです。橋口亮輔監督のような作品に憧れますが、なぜか僕のもとにはホラー映画の企画が集まるし、やるとうまくいくんです(笑)。望んでいることと、資質は違うんだなと思います。もちろん、白石晃士監督や、内藤瑛亮監督という優秀な監督と一緒にやっていることも大きく、プロデューサーの力量以上のものが出来ていると思います。 了
『ミスミソウ』
監督:内藤瑛亮
原作:押切蓮介「ミスミソウ 完全版」(双葉社)
出演:山田杏奈、清水尋也
脚本:唯野未歩子
主題歌:タテタカコ「道程」(バップ)
制作プロダクション:レスパスフィルム
配給:ティ・ジョイ
2018年4月7日(土)より新宿バルト9ほか全国順次公開
(取材・文・構成 平池由典)