キノフィルムズ 武部由実子代表取締役社長 “多様な映画を買う、作家性主義の映画を作る”
2017年05月25日
キノフィルムズの存在感が高まっている。この3月に創業以来初めてのラインナップ発表会を有楽町朝日ホールで開催。興行会社やパートナー各社、メディア関係者らが多数集まり大盛会となった。
木下直哉取締役会長(木下グループCEO)は挨拶にたち、「まだまだ未熟な会社だが、映画に対する情熱は皆様方と同じくらい持っている」と出席者に語りかけ、これから映画事業にさらに力を入れていく姿勢を明確にした。
住宅や介護が本業の木下グループ。その1部門から始まったキノフィルムズは、法人化からこの4月で7年目に突入した。邦画、洋画ともに配給本数を増やし、スタッフの陣容も拡張。邦画の企画製作も意欲的に取り組み、今年から新たな次元に踏み出した。
この勢いのある若い会社を統括するのが武部由実子社長(=上写真)だ。木下会長から現場を託された武部氏が、キノフィルムズの過去、現在、未来を語る。
映画の多様性に向き合う――3月9日に行った初めてのラインナップ発表会。実に盛大でしたし、2017年度に24本配給するという宣言はインパクトがありました。キノフィルムズがこれから映画事業を本格的にやっていく、その本気度が業界内に伝わったと思います。
武部 去年あたりから買付けの本数を増やすという明確な目標を決めて、人員も増やしました。では、当社の意思表明をどう行うか。ファクスを流して済ませてしまうくらいでは、私たちの本気度は伝わりません。意思表明のため、今回のラインナップ発表の場が必要だったのです。
――いまの映画業界にあって、ここまで大胆に事業規模を拡大するのは画期的なことです。その背景には、何があるのですか。武部 国内の興行の市況をみると、邦画が強いのは相変わらず。洋画メジャーはシリーズもの、シークエル(続編)、プリクエル(前日譚)、そういうものが多い。1980年代、90年代、洋画が強かった時代は公開される映画にもっと多様性がありました。映画が本来持っている多様性を、映画に携わる私たちが「儲からない」という理由で背を向けてしまっては、ひずみがさらに大きくなるというか、超大型映画か単館映画か、そのどちらかしか残りません。
――「多様性」がキーワードですね。武部 木下(直哉取締役会長)は子どもの頃から映画が好きで、映画への出資を皮切りに映画業界のことを知り、映画を事業にしようとキノフィルムズという会社を作りました。世の中に多くの映画があることを皆さんに知ってもらいたい。木下は、それがキノフィルムズの使命だと考えています。買付けにせよ製作にせよ、インディペンデントにとってビジネスが難しい仕組みであることを木下は十分わかった上で、多様な映画を買う、作家性主義の映画を作るという方向性を打ち出しました。いいと思った作品を観客に届けたい、この監督の作品だから応援したい。会社ですから当然、最終的には利益を出そう。こうした思いを胸に、この先10年、20年、映画に関わり続けよう。そうした自分の姿が木下には見えているのだと思います。
――その中で武部さんの役割は。武部 木下が社長として、いろんな業界の集まりに出られるほど時間があるわけではないので、私はその代わりをやる人間です。マネージング・ディレクターみたいな立場。野球でいえば私が選手兼監督で、オーナーが木下というような関係性だと思っています。
会社と武部氏の歩んだ道
――キノフィルムズの変遷と、武部さんのここまでの歩みを振り返りたいのですが、武部さんはギャガ出身ですね。武部 ギャガ時代は宣伝でした。パブリシティを最初にやって、その後にプロデューサー。当時のギャガはほぼ洋画のみでしたが、私はある時から邦画に興味を持つようになっていました。『キル・ビル』の宣伝の仕事を通じて、日本人のキャストやスタッフといろいろな話をして、これだけ素晴らしい映画人がいるのになぜ邦画がもっと世界に出ていけないのかと思って。そんな頃、私がギャガ入社当時の宣伝部長だった牛山(拓二)さんがムービーアイ・エンタテインメントを作り、邦画の製作を始めていて声を掛けていただきました。そこで04年8月からムービーアイに移りました。
続きは、文化通信ジャーナル2017年5月号に掲載。