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第36回PFFぴあフィルムフェスティバル:荒木啓子ディレクター

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第36回PFFぴあフィルムフェスティバル:荒木啓子ディレクター

2014年09月12日
「第36回PFF」チラシ表紙.jpg

 「第36回PFFぴあフィルムフェスティバル」(主催:PFFパートナーズ=ぴあ、ホリプロ、日活/公益財団法人ユニジャパン)が、9月13日(土)より東京国立近代美術館フィルムセンター(京橋)にて開催される。
 1977年に「映画の新しい才能の発見と育成」をテーマにしてスタートしたPFF。今年は、メインプログラムであるコンペティション部門「PFFアワード2014」が21作品9プログラムに組まれ、表彰式とグランプリ作品の上映は9月25日(木)に行われる。コンペ部門の最終審査員は、柳島克己(撮影監督)、森重晃(プロデューサー)、ヤン・ヨンヒ(映画監督)、内田けんじ(映画監督)、成宮寛貴(俳優)の5名。
 また、特別企画では「羽仁進監督特集」「映画監督への道~私を駆り立てるもの~」、招待作品部門では「素晴らしい特撮の世界」「ようこそワンピース体験へ!」「SF・怪奇映画特集」がプログラムされており、第23回PFFスカラシップ作品『過ぐる日のやまねこ』(鶴岡慧子監督)もプレミア上映される。
 PFfディレクターに就任して今年で22年目となる荒木啓子氏に、PFFアワード作品の傾向、今回の企画の狙い、そして本映画祭の役割などについて話を聞いた。
※インタビュー/文・構成:和田隆




“何かザワザワする感じ”が立ち上がってきた

和田 今回のPFFアワード21作品ですが、去年の入選作品は16本でした。

DSCF1220.JPG荒木(写真) これ以上減らせなかったのです。これ以上減らすとわけがわからないプログラムになる、何かザワザワする感じがなくなっていくと思いまして。〝なんかわかんないけど、これ以上減らせないぞ感〟があり、これを全部まとめて見ると、〝なんかわかるぞ感〟が立ち上がって来ました。


和田 今までそういうものが立ち上がってきたことがなかったのですか。

荒木 今まではこれほどひとかたまりで何かが立ち上がるような経験はなくて、突出したものがポンとあったり、単なる作品として見えることが多かったです。今回は1本1本の作品の印象よりも強く、ボワ~ッと立ち上がって来る何かがあるのですよ。それを上手く言葉で言えませんから、こういう時に自主映画の評論家がいて欲しいなと思って、ちょっと困っているのですけれど…。


和田 「いま、あなたが映画だと思うものが映画。そんな時代の到来を目撃!」というコピーは、今の社会と今回揃った21作品と何かリンクするものがあったのですか。

荒木 そうですね、生まれた時からビデオ撮影される、するという子供たちが映画を撮り始めたぞという感覚と、自分の声で自分の言葉をしゃべろうという気運の高まりが非常にあります。余談ですが、いま40代とか50代の映画監督は文章がとても上手です。なんでこんなに上手いのだろうと思うぐらい。でも、最近の若い監督は苦手部門。
 でも、映画は作れるのですよ。このギャップは何なのだろうと思いまして。何かがまったく違ってきていると思いましたが、それでもやはり自分の言葉でしゃべることは同じ感覚で持っているのではないかと。その可能性は映画監督を志す人は普通の人よりも高いのではないかと思っているのです。ツイッターとかフェイスブックではないレベルのものが、ちゃんとできた方がいいという意識はあるのではないかと思いたいわけです。仕事柄、映画監督を志す人に対する期待は非常に大きいわけです。今回は21作品それぞれが何か自分の言葉を見つけ出そうとしている感じが、非常にするわけです。別にオリジナリティのある映画を作ろうと彼らが目指したとも思えないのですけれども、自然と生まれて来るものがオリジナルなものに近づいている、そんな雰囲気のある人たちが固まって残って来た感じです。


和田 年代的にはかなり幅があるのですか。

荒木 とてもあります。16歳から46歳です。PFFが始まった77年には想像もできなかった、30代以上の応募者が増えているのですよね。


和田 普段はどこかの制作会社にいるとか、そういうわけでもないのですか。

荒木 何かの映像の仕事をしている人たちは結構います。あと学校職員もいます。映画学校とか専門学校で働いているのかもと思います。意外にアルバイトで多いのが結婚式場の撮影という話も聞きます。


和田 結果的に、何か今の時代の中で共通性のようなものがあるのですか。

荒木 共通性はあるかどうかわかりませんけれど、何かがあるのですよ。その何かというのは、今なんとも私は言葉にできないので、できれば皆さん21作品を見て欲しいですね。21作品全部見る人はこの世に何人いるかわからないですけれど、期待してしまいます。


和田 多いテーマというのは。

荒木 いや、バラバラですね。女性監督作品が6本入っていますけれど、女性監督の作品はちょっと似ています。自分探し系はありますね、どうしても。


和田 男性監督より女性監督の方が、勢いがあるというわけでもないですか?

荒木 そういうわけでもないです。安心して見られる、しっかりした作品が多い印象はあるかもしれませんが、ドキュメンタリーが2本入っているというのは、今年の特色かもしれません。アニメーションも2本入っています。


和田 観客には自分の映画を見つけて欲しいと。

荒木 ですから21本見て欲しいのです、本当は大ヒットした劇場映画しか見たことのない人にも、「つらいと思うけど、人生に一度だけやってみたら?」と勧めてみたい気持ちなんです。


和田 21本見れば、何かが変わるはずだと。

荒木 自主映画のファンになってくれなくていいです。もしかして世の中で何かが起きているかもしれないというようなことが、映画で見られる、娯楽としてではない映画の体験を、1年に1回ぐらいやってみてもいいのではないかという感じです。そのあと、いわゆる一般映画をメインに置いた招待作品部門も用意してますからね!と。


和田 もう一度PFFアワードの意義、さらに10年、20年やっていけそうだというパワーなど、感じられる時代になりましたか。

荒木 そうですね、映画祭とか映画という言葉に代わる、新しい言葉が必要なような時代が来るだろうなという感じはしますよね。もう世代交代も急激に進んでいますから、やはり業界が世代交代を早くやらなくてはいけないですよね。もう今までと同じやり方ではまったくやっていけないと思うのです。


和田 矢口監督(1967年生まれ)よりも下の世代は、熊切(和嘉)監督(74年生まれ)とか山下(敦弘)監督(76年)あたりはまだ段階を踏んでいけばメジャー映画も撮れるような流れがあったと思うのですけれど、その下の世代はどうステップ・アップしていっていいのか、見えなくなってきているのかなという気がします。そこにどうにか新しい流れを作りたいですよね。

荒木 どんどん外国に行けばいいと思うのですよ。中国とか韓国とかフランスとかイギリスとかアメリカとか、いろいろな世界の映画界が監督を探しているわけですから、そういう所にどんどん行けばいいと思っています。


和田 そういった意味でもPFFは海外に積極的に持って行くという姿勢を打ち出しているわけですね。

荒木 誤解されそうですが敢えて言いますと、「巨匠と新人は外国に行け!」、「働き盛りで日本映画を回していけ!」みたいな? とにかく世界を舞台にしないと、食べていけなくなりますから。いま世界中がまだ映画監督を求めている間に、その波に乗れと思います。

映画祭として変わらないということが大事


和田 昨年ご一緒した田辺・弁慶映画祭プレゼンツ「日本の映画シンポジウム:新世代の日本映画を考える。」のトークショーで、PFFが紹介すれば、もっと映画業界がそこから才能をピックアップして撮らせるという動きが出て来るのかと思ったら、意外と動きがなくて、そこまで映画祭としてケアしていられないとおっしゃっていましたが。

DSCF1221.JPG荒木 PFFはもう何十年も発見をやってきています。他にも発見の映画祭はたくさん生まれていますし、今学校も乱立していて、優秀な卒業作品もあるわけで、発見の場所はもう全国くまなくあると思いますが、育成をやるべき人たちがうまく機能していないというのが現状だと、そう思う人は多いのでは? 私もそう感じてます。なぜいつまでもPFFスカラシップをやらなくてはいけないのかと。それは私どもの仕事ではないでしょう、映画をビジネスとする人たちがやるべきことでしょうという疑問が浮かんでは消えるPFFスカラシップの30年の歴史です。
 映画を中心に据える映画祭という世界ですが、一般的に大ヒットした作品の監督名すら知らない時代に、監督の社会的認知度は大変低いわけです。発見はそれだけやっている所に任せて、育成だけをやってくれればいいシステムができないかなあ、と私は思いますよ。ヒット作を全力で作ってくださる場所があってこその、私たちの映画祭の存在意義でもあると思っています。


和田 ある意味PFFアワードがなければ今の中堅、その上の世代も、日本映画界を支えている監督たちはいなかったかもしれません。

荒木 それはわからないですよ。それは私たちにはわからないですね。客観的な判断は不可能です。


和田 結果的にPFFアワードの出身者が頑張っている現実があって、そこは荒木さんとしても引き続きしっかりとやっていきたいのではないですか。

荒木 PFFははっきり言って、この映画祭を始めた「ぴあ」がどうしても続けたい映画祭なのです。私は、その代弁者のようなものです。「ぴあ」がやめると言えば、なくなるのではないかと思うことは多い。一企業で支えるにはいささか苦しい状況の中で、1999年からPFFパートナーズというシステムを構築したり、公的機関に支援いただいたりして継続しているのですが、支援いただいている企業、団体にとっての「PFF」をどのように継続、発展させていくのか、果てしない課題があります。
 PFF活動は、個人でできるスケールではありません。逆に言えば、個人の活動ではないからこそ拡がりがある。「一人になってもこういうことをやりますか?」と言われたら、「そんな自己満足な活動は続けません」と答えるでしょう。「これが私の好きな映画なんです。素晴らしいと思う人です」などと世の中に表明したいとはまったく思っていません。ある種の「公約」なポジションであることが、映画祭の使命だと思っています。
 ただ、映画を作ろうという人がこれだけいるという、あっという間にゼロになってもいいような産業なのに、これだけいるということは、やはり映画というのは凄いものだと思うのですよ。それを語れる人が増えて欲しいと私はとても思います。評価された人しか見ない人、評価されたものしか評価しない人。それは人生の楽しみを捨ててる勿体ないことだし、残念なことだよと、大きな声で多くの人が言って欲しいですね。


和田 「ぴあ」は09年にセブン&アイ・ホールディングスと資本・業務提携し体制も変わって、そしてPFFには(公益財団法人)ユニジャパンが参加しました。今後目指すPFFのあり方についてはいかがですか。

荒木 いや、先ほど、大きな課題があると申しましたが、心の底では、変わらないということが大事だと思っているのですよね。


和田 変わらずやっていくというのは、なかなか難しいですよね。

荒木 変わらず、真面目に映画を見るという。現在のセレクション方法とか、効率化したらおしまいですからね。実は98%ぐらい効率化できそうですが(笑)。そこを敢えてやらないという。そういう最も困難な道を歩んでいるのですけれど。


和田 今年の最終審査員の選定に関しては。

荒木 今年の入選監督は80年代生まれが多く、アンケートをやっているのですが、一番好きな監督は北野武が圧倒的なので、びっくりしました。映画はまったく違うのですけれど。柳島(克己)さんには是非参加してもらいたかったのです。


和田 そういう発想だったのですね。しかし貴重です。

荒木 プロデューサーの森(昌行/オフィス北野社長)さんにも2001年に最終審査員をやっていただいています。PFFでは、毎年最終審査員を変えるルールを置いているのですが、最近は苦労しています。多くの映画監督は学校で教えたいらっしゃるので、入選作がある学校の方にはお願いできない。入選作が決まらないと審査員が選べません。


和田 PFFのディレクターとして何年目になりますか。

荒木 22年目――長いですよね。「引退しろよ!」ですよね(笑)。普通のサラリーマンであればポジション変化があるのに、ずっと同じ。珍しい仕事ですから転職先もないですからね。国内に先輩がいないので、自分の出来るより良きことをやっていくしかない。映画祭というのは映画を扱っていますけれど、ビジネスではない。日本のように映画祭の歴史が浅く、映画の文化的地位が低い場所で、映画祭を行うのは、何を目標にするのかの設定が難しいです。「映画」を紹介するためにわざわざ「自主映画」を取り上げたのは何故か? そこにPFFの根本的な思想があるのですが、「映画祭」と言われて、想像するものは、普通自主映画ではない。なぜわざわざ? と思う人も多い。だって、映画は山のようにあるわけですから、日本で公開されていない、素晴らしい映画が。
 あ、もしかしたら、日本では映画祭の代わりに、小さな配給会社が発達してきたのかもしれませんね。自分が見せたい映画だけを厳選して丁寧に見せていく仕事。丁寧に作られた映画のパンフレットも日本独自の文化ですものね。


和田 今回、「世界はひとつ…じゃない!新しい価値を発見する映画祭」というコピーを打ち出していますが、映画祭としてこういったコピーを打ち出された狙いを聞かせて下さい。

荒木 それはやはり世の中がおかしなことになっているからでしょうね。


和田 もう一回、「新しい価値の発見」を打ち出していこうと。

荒木 先ほどの話の続きみたいになってしまいますが、つまりPFFというのはどういう映画祭なのか、説明するのはとても難しいのです。大体「ぴあ」という雑誌も今ないですし、今や「ぴあ」というのが何だかよくわからない世の中になっています。そして、PFFは、今、ぴあ1社で成り立っていないので、「ぴあ」という名前を出すことができない。どんな映画祭なのかさらにわからず、知っている人しか知らない映画祭になってきています。「どんな映画祭なの?」と言われた時の答えを探して毎年印刷物のコピーに悩んでいます。まわりくどい話になりますが、PFFは別に「自主映画の映画祭」ではないのですよ。「自主映画ファンよ集まれ!」という映画祭でもない。「自主映画というものを作っている人」に象徴されるような、ある種自主独立といいましょうか、自分で何かを生み出そうとしている人たちを、いいなと思う、それがたまたま「映画」ですから、映画というのはやっぱり凄いなという映画祭なのだというのを説明するのが難しいという。そこで非常に悩んで、考えていった内容なのですね。
 誤解されそうですが、もう少し言葉を足せば、例えば、この(PFFアワード)21作品の中の1本1本の自主映画が面白いんだよという映画祭ではないのですよ、乱暴なことを言うと。これを全部見ると、世の中が変わっている、日々変わっているというのがわかるよという映画祭なのですけれど、全部見る人というのはなかなかいないのでね。なんだか、これもう100回くらい言ってますね。


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