■著者インタビュー/大高宏雄氏
『映画業界最前線物語 君はこれでも映画をめざすのか』
大高宏雄氏
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―このたび、当社発行の「日刊文化通信速報」で、毎週1回連載されている「映画業界最前線」が、まとまって単行本になりました。タイトルは、「映画業界最前線 君はこれでも映画をめざすのか」(愛育社・刊)。著者である大高宏雄特別編集委員に話を聞きます。そもそも、このコラムの成り立ちから教えてください。
大高 大仰なタイトルですが、それに嘘偽りはありません。スタートが、2008年の4月でした。きっかけは、別に特別なものでも何でもなかったですね。これまで私が培ってきた映画業界に関する知識と経験。この両方を生かす形で、何かコラムめいたものができないかと考えたのです。文化通信で、そうしたコラムはこれまでなかったこともあります。日々のニュースの記事のなかに、それを注入することで、何か新しい形の情報発信ができないか。そうした思いが、あったわけです。
―いわゆる映画業界コラムですね。
大高 他紙では、断片的にはそうしたものはありましたが、連続的に追っていく形のものは、これまでなかったと思います。日本初、でしょうね。ふつうだと、「でしょうね」のあとに(笑)が入るわけですが、入れません。(笑)は、単純に嫌いなものでして。
―わかりました(笑)。
大高 冗談、きつくないですか。まあ、そんなことはどうでもいいですが。ところで、こうしたコラムを連続的に書いていくことで見えてくるものが確実にありましたね。それはまさに、映画業界の日々のドキュメントであって、それをまとめると、もっと別の側面も見えてくると思ったわけです。で、単行本では、2008年の4月から2012年の12月までのコラムをまとめることにしました。はしょった回も、多いですよ。単行本にするのに、躊躇する内容のものも結構ありましたからね。
―読んでいくと、人の名前がたくさん出てきますね。
大高 狙いの一つが、まさにそれでした。人を多く取り上げる。いわゆる配給、興行関係者が中心ですが、製作畑の人たちと比べて、その人たちは、これまであまりメディアへの登場回数が多くないんですね。配給、興行分野への発信を特徴とする「文化通信」というメディアのなかで、その人たちの活躍や動向を記述したい。そういう思いが、今回非常に強かったのです。
―単行本を視野に入れてのことですか。
大高 もちろんです。映画業界のなかだけではなくて、より一般の人たちにも、広く配給、興行関係に携わっている人たちの存在を知ってもらいたい思いがありました。「俺は出たくないよ」と迷惑だという人も、当然いるでしょうね。そういう人たちに対しては、“あとがき”で謝っています。
―そこまでの思い入れとは何でしょうか。
大高 監督をはじめとする製作畑の人たちは、ともすると、自分たちが作った映画が、どのように観客に届けられているのか、知らない人も多いと思います。もちろん映画を見る方々にも、同じことが言えます。映画業界とは、製作に携わる方々だけが中心点にいるのではありません。映画を送り出す配給、興行側の人たちがいてこそ、製作の人たちも映画を仕事にできるのです。その点を、声を大にして言っておきたいということですね。映画業界を去った人、亡くなった人にも、言及しています。この道、30年、40年といった方たちですね。私がお世話になったことも、もちろんあります。
―一つ、疑問点があります。この「業界物語」は、果たしてどこまで通じるんでしょうか。
大高 通じるとは。
―人事異動とか機構改革とか、ラインナップ発表とかの「業界話」に関心をもつ人たちが、どれほどいるのかということです。
大高 多くはありませんよ。当然。“まえがき”に、それは書いてあります。ただ、人事異動にせよ、機構改革にせよ、機能的に羅列してあるわけではありません。何らかの意味をもたせてある。意味とは、映画業界だけに留まらない広がりをもつ人間関係、組織論として読めるはずなんです。いわば、映画分野をはみ出していく人と人の関係性、組織のありようについても書いています。これもまた、そこまで読んでくれる人は少ないと言ってしまえば、それまでなんですけれどもね。
―不思議な本で、森繁久彌さんや山田五十鈴さんら著名な方々と、映画業界の方で亡くなった人の追悼文が、混在している。何か、狙いを感じますが。
大高 そこに気が付く人は、まさに少ないんですよ。別に狙っているわけではないんですが、気が付くと、そうなっていた。つまり“同居”していたということですね。私のなかで、大きな違いはないんですよ。人、で共通しています。業績、才能、有名、無名などの違いは当然ありますが、その違いに何か意味がありますか。あるけど、ないとも言える。「映画業界最前線物語」ですから、皆が同じ土俵で、登場人物を担っているわけです。
―銀座シネパトスが、表紙になっています。非常に感慨深い写真ですね。これは、狙いがあるでしょう。
大高 あると言えばあるし、ないと言えばない。あとから考えたのが、銀座シネパトスは、非常にシンボリックな映画館であったことですね。シンボリックとは、代表ということではありません。というか、代表とか何とかと言った括りを、あっさりと超えていった映画館。それが、シンボリックだというのです。
―もう少しわかりやすくお願いします。
大高 本音を言いましょうか。銀パトは、ヒエラルキーをひっくり返したんですよ。電車の音がうるさいだの、汚い、雰囲気が悪いだの、最後のブッキング館だの。まあ、あらんかぎりの侮蔑の言葉が投げかけられていた映画館が、銀パトだったですね。はっきり言って、差別がありました。それは、私が一番感じていたことです。銀パトによく映画を見に行っていると言えば、石を投げられましたからね。冗談ですが、比喩としては、そうなんですよ。
―そうだったんですか。
大高 銀パトは、その差別構造をひっくり返した。映画そのもので、イベントで、スタッフの力で。これは、並大抵のことではないですよ。そこまでに行く過程の話は長くなるので、ここではしません。鈴木伸英元同館支配人に、聞いてください。つまりヒエラルキーとは、既成性ですね。常識ですね。それはまた、実に画一的な評価軸でもあるんです。その強固な壁をひっくり返そうとした銀パトを表紙にした意味は、これで明らかではないですか。
―少しずつ、わかってきました。
大高 本著「映画業界最前線物語」もまた、強固なヒエラルキーをひっくり返すべく、出版しようと思ったわけです。評論、作家論、芸術論など、映画についての様々な記述のヒエラルキーをひっくり返す。当然、まだ道半ばでけど、その端緒にはつけたと思います。(了)