日本にもカンヌ映画祭みたいな場を作りたいんや――。吉本興業が2009年にスタートさせた「沖縄国際映画祭」。お笑いの吉本興業が映画祭なんてできるの?と当初は業界人も映画ファンも思ったかもしれない。
しかし、あれから5年。沖縄国際映画祭は“スベる”ことなく、8日間で40万人以上を動員する、沖縄の春の一大イベントに成長した。
何のノウハウもないところから、吉本興業の全社員、スタッフ、タレントたちが試行錯誤、トライ&エラーを繰り返すこと5回。その熱い“ラフ&ピース”の精神は、沖縄の人々に伝わり、日本中に伝わり、そして今やアジア中に広がりつつある。
節目となった第5回目の開催を終え、実行委員長の大崎洋・吉本興業代表取締役社長に話を聞いた。
沖縄国際映画祭の向かうところは、吉本興業の行く先と重なる。日本のエンタテインメントを、沖縄から、アジア、そして世界へ展開する試み。創業101年目の吉本興業のビジョンを探った。
★だんだん“映画祭”らしくなってきた!
―沖縄国際映画祭も区切りの5回目を終えました。今年は、吉本興業100周年の締めくくりの行事ともなりました。総括してください。
大崎 見よう見まね、手探り手探り、積み重ね積み重ねで、5年目までくることができました。まあ、映画業界の方から見たら、単なる吉本興業のイベントだと思われているだろうし、僕らも映画祭とつけるのがまだちょっとはずかしいくらいだけれども、それでもこうして積み重ねてやってきました。
東日本大震災の直後に決行した第3回目で、少しずつ全社員、全スタッフ、芸人、タレントたちが何かをつかみはじめて、方向性も含めて5回目の今回はだいぶ見えてきたように感じているんです。
―今年のプログラム発表会見の際には、「ようやく映画祭らしくなってきた」という旨をおっしゃっておられました。
大崎 映画祭といってもね、もともとは“テレビ、ラジオ、映画、映像、雑誌、週刊誌、月刊誌、新聞、WEBメディア”祭にしたかったですし、今もそのつもりなんです。
映画に限らず、いわゆる“業界人”たちが、年に1度沖縄に集まって「どう元気?なんか良い話ない?」みたいなところからコミュニケーションをとる場、プラットフォームを作りたいなと。アジア中の業界の人に集まってもらって、沖縄の地元の方に支えてもらって、そこから広がりができればいいなと。そういうコンセプトだったんです。
だいぶん、そのコンセプトに近づいてきたんじゃないかなと思います。そういう意味での「映画祭らしくなってきた」ですね。年々、いろんな方に来てもらえるようになってきたし、目指しているところには確かに向かっている感触があります。継続は力なり、続けることは大事だとあらためて実感しますね。
―官の力に頼らず吉本興業を中心とした民のパワーで「国際映画祭らしくなってきた」んだと言えます。
大崎 東京国際映画祭とは違った、民のパワーでしかできない国際映画祭として形づくりはできているんじゃないでしょうか。
それで困ることといえば、やっぱり経済的なこと。お金のことです。その話だけなら、国の援助とかなんだとか、喉から手が出るくらい欲しいんですけれど、それを享受すると規制なりも一緒に出てくるわけで。自分たちが自由に現場を走って次のヒントを見つけていくことと天秤にかけてどちらをとるか、とりあえずは5回目までやってこれたわけだし、このまま走っていこうと思っているんです。
★他の映画祭にないオリジナリティが出てきた!
―東京国際映画祭や他の映画祭との違いを掘り下げたいです。
大崎 まずは“地域”です。今年から、都道府県単位に加え、新たに沖縄の41市町村ごとに制作したコマーシャルのコンペティション(JIMOT CM COMPETITION)を設けました。沖縄だけでなく、日本各地の地元の方々と一緒に地域発信映画を作ってもいます。こういうのは、どこの映画祭にもないものでしょう。
まあ、本来の映画祭の発想とちょっと外れているからでもあるんですが、後発の国際映画祭として、しかも民の力だけで、見よう見まねでこうした企画をやってみて、とても手ごたえを感じているんです。身内でウケているだけじゃなくて、地元の皆さんに大変喜んでいただいています。地域の映像、これをしっかりひとつのジャンルとして確立したい。アジアの町や村にも広げていきたいんです。
こうして完成した作品の映画祭以降の上映―それは興行という形をとるかどうかは別にして―も、この5回目以降は形にすることができそうです。そして今後は、DVD、配信と進めて、どう費用を回収するかになってきます。6回目からは、それに向けての次のスタートになると思います。
こういったビジネスって大手映画会社さんはやらないことだし、すごく隙間なことで迷惑もかからないし、オリジナリティも出せるわけだし、すごく良いところを見つけられたんじゃないかなと思うんです。
―地域の映像と同時に、若い才能の発掘も意識されているように感じます。
大崎 今回からエグゼクティブプロデューサーとして加わってくれた奥山和由さんが、新人開発を目的にした「クリエイターズ・ファクトリー」を立ち上げてくれました。これも楽しみなんです。
地域発信のものと新人発掘とが上手く合わさっていけば、東京一極集中じゃない形がもっととれてくると思うんですよ。
―アジアというのも映画祭の大きなキーワードになっていますね。
大崎 映像が持つ潜在的な力と地域の物産品を両輪にして、アジアに打ち出していくんです。韓国が映画やテレビと音楽を両輪にしてアジアに打って出たように、僕らは映像と物産品を両輪にしたいんです。
吉本興業は、今年7月に台湾・金門島にオープンする大型ショッピングセンター「WIND LION PLAZA」に日本47都道府県の物産展を出店します。
―沖縄に日本全国の映画、映像をはじめとしたコンテンツ、そして物産品を集め、アジアに発信する基地とするわけですね。
大崎 そうです。沖縄をアジア展開のハブにします。沖縄国際映画祭の立ち上げ時から漠然とそんなかんじかなというイメージは持っていたんですが、具体的にここまで広がりがあるとは。映画祭の積み重ねとともに、当初は思いもよらなかった可能性が開けてきています。
台湾(金門島)から声をかけてもらえたのは一例です。昨日も韓国・済州島の方から「こんなことしたいのでお願いできないか?」という話をもらいましたし、他にも香港、タイ、シンガポール……いろんなところからお声がけいただいています。映画祭を5回やるなかで、蓄積してこれたんですね。
―すでにアジア中のコンテンツ関連の人々が出会う場として映画祭が機能し始めていると感じます。
大崎 そうですね。他の国際映画祭と比べて後発だし、人脈もないし、いわゆるフィルムマーケットというのもありませんが、違うマーケットみたいなものができつつあると思います。それはオリジナリティでもあるし、他の映画祭とバッティングもしないし、良い感触ですね。
★アジアに劇場のネットワークが作りたい!
―吉本興業として、アジア各地に現地法人を設け、タレントマネージメント、チャンネル運営、番組制作、イベント、商業施設への出店などいくつもプロジェクトが動いています。アジア展開のひとつのゴールはどこでしょう?
大崎 そんなにお金がたくさんある会社じゃありませんから、大きなことはいえないし、できないですけれど、具体的にはライブハウス(劇場)のアジアネットワークみたいなものをこの3年ぐらいで作ろうと考えているんです。
お笑いをはじめとしたライブもできて、沖縄国際映画祭で上映したような映画、映像も上映もできて、関連の雑誌やペーパーも置いてといったようなイメージのものです。そういうのを、国内で何館というんじゃなくて、アジアで何館というようなネットワークで作りたい。東京、大阪、福岡、沖縄、台北、ソウル、タイ、シンガポール……。
スマートフォンなんかと連動させてチケットや映像や活字メディアもオンライン化したりして、アジアをつなげる劇場みたいなものを構想しています。まあ、実現させるお金をどうするんだという話にはなるのですが。
―そこから、世界へ打ってでるわけですね。
大崎 夢はアジアをひとつにというと大げさですけれど、まずはアジアでネットワークを組むこと。そこではじめてアメリカやヨーロッパと向き合うことができると思っています。欧米に本格展開させるのは、僕の世代ではないかもしれませんが。
★ラフ&ピースの輸出のため他社と連携もする!
―アジアに進出するため、沖縄国際映画祭も含め、他社と組むことはありますか? 具体的な社名を挙げてよいかあれですが、例えばアミューズもアジア展開に積極的です。
大崎 そうですね。お声がけいただけるなら、いろんなところと組まないと、僕らだけでは体力も知力も足りませんから。
アミューズさんは大里(洋吉)会長がさらにパワーアップされて、オーナー会社さんでお金も持っていらっしゃるし(笑)スタートダッシュも早い。すごく勉強になるし、参考にさせていただいています。
映画祭に関しても、最初からよしもと一色でやろうなんて思っていないんです。どこも相手にしてくれないんですよ。かといって、弱音をはくわけにはいかないし、相手にしてくださいと言いにいくのもね、先方には先方の事情があるわけですから。
―大崎社長の考えをお聞きしていると、よしもとブランドの世界進出というよりも、ラフ&ピースという概念の世界進出を狙っていらっしゃると実感します。
大崎 吉本興業はお笑いの会社です。100年の歴史があります。僕は、歴代の社長からバトンを受け継いで、吉本興業=お笑いの会社だというのは死守しなければいけない、そういう責任はすごく感じているんです。
ただ、それ以外のところはね、いろんなところと組ませてもらわないとできないので、自分たちだけでというつもりもまったくないんです。海外の方々も含めて、よしもとブランドでもっと押し出したらいいんじゃない? とアドバイスをもらったりもするんですけれども、そういう考えにはありません。
★次の100年へ、吉本興業は走りながら考える!
―吉本興業は創業100周年を終え、200年に向け動いていきます。
大崎 さて200年に向けてどうしようかということですが、この沖縄国際映画祭を通じて、全社員、スタッフ、それからタレント、芸人たちが肌で感じていることがいっぱいあると思うんです。また日常の仕事のなかでも、そういうものが積み重なって、次の吉本興業の方向性が自然発生的に、竜巻のように、ときにぐちゃぐちゃになりながらも見えてくるんだと考えています。
それが僕の理想なんです。社訓を掲げてとかなんだとか、そういう時代ではないし、僕自身がそういう趣味もないし、ただみんなで同じ体験をして、肌感覚で方向性を感じ取っていくのが一番いいんだと思います。
そういう意味で、沖縄国際映画祭で学んでいることって本当に多いんですよ。運営的には赤字であっても、それは安い勉強代というか、次の100年計画の方向性をつけられる場だと考えると、お釣りがくるぐらいたくさんのことを、現場を駆け回りながら、全社員、タレントが学ばせてもらっています。
―映画祭を通じて学んでいること、それはビジネスどうのというよりも人間的な側面でしょうか。
大崎 そうです。お笑いだと、笑いをとれるか、視聴率をとれるかという勝ち負けがあります。芸能界だけじゃなく、すべての仕事で勝負して結果を出すことが求められます。でも、そもそも人間の存在理由、価値ってなんでしょう?
僕は、それって競争じゃなくて、仲良しだとか、シェアするとか、そういうことだと思っているんです。
沖縄国際映画祭が教えてくれるのはそういうことです。勝負の世界と、どううまくバランスをとるか。社員ひとりひとり、タレントひとりひとりが学び考えながら、吉本興業という会社としてまとまって進んでいきます。
―当面の吉本興業の戦略は、かねておっしゃられている「地域」「アジア」「デジタル」の3本柱ですね。
大崎 そうです。なぜその3つを思いついたのかもあれなんですが、知らないうちにふと思いついたんですよ。そうするうちに、電通さんかどこか賢い会社さんが、おととしだか昨年だかに同じようなことをおっしゃっていて、良かったなと(笑)
―デジタルに関してはどう展開されるんでしょう?
大崎 僕もデジタルに関しては苦手でわからないことだらけですから、その方面は若い人たちにある程度任せています。
ただ、僕らの立場からいうと、デジタルって、テレビに出られない若いタレントたち、あるいは舞台にしか出ない、舞台からも疎遠になったベテランの仕事の場を見つけ出せるんじゃないかと考えています。
★沖縄にエンタテイメントの産業を興すぞ!
―アジア、デジタル、地域、その中にあって沖縄のポジションを再確認させてください。吉本興業として“エンタテインメント・ビレッジ構想”を進めていらっしゃいます。
大崎 ご存知のとおり、沖縄ってこれといったメインな産業がありません。それで、これから何かあるかというとないわけです。本当に地元に根を生やした産業がないんです。ここで育つ子どもたちは、満員電車もわからないし、スーツ姿のサラリーマンのイメージも十分に持てないわけです。
一方で、沖縄は伝統芸能を続けてやってきた島、つまり毎日が文化祭の島でもあります。それは吉本興業と一緒なんですよ。だから、沖縄全体を、お笑いで食べてきた吉本興業のように、毎日文化祭をやりながらもそれを産業として食べていけるところにもっていきたいなと。
それは沖縄のみなさんにとっても良いことだと思うし、僕ら吉本興業にとってもよいことです。官から援助されなくても、エンタテインメントで食べていける、そこまでもっていきたいなと考えています。そこまでいくには、20年、30年、いやもっとかかるかもしれませんけれども。
―沖縄にラフ&ピースの産業を興し、アジア、世界へということですね。
大崎 そうです。吉本興業の強みというのがあるならば、それは大阪というけったいな人がいっぱいいる、面白いやつがいっぱいうまれてくる、そういうひとつの人材開発育成装置があってこその強みです。
大阪以外にももうひとつ、沖縄ならではの人材開発育成装置を生かした強みのある産業を生み出したいんです。それは、立地的にも歴史・文化的にも、アジア、そして世界へと繋がるものです。
★エンタメ業界の皆さんに申し上げたい!
―日本のエンタメ業界へのメッセージをお願いします。
大崎 放送局さんは免許事業だし、中には上場されている会社さんもあるので、チャレンジしたいけれどチャレンジしづらい環境というのがあると思います。各地に支局はあるけれど、それはあくまで報道ベースで、いわゆるエンタメ事業とはあまり関係がないわけです。出版社さんやほかのメディアの大きな所帯の会社さんも、同じでしょう。
そこでいて、僕ら吉本興業ぐらいの規模の会社なら小回りが利きます。もともとが興行で食べてきた会社なので、興行師らしく一か八かのチャレンジもできます。
創業から100年お世話になった業界のみなさんのためにも、吉本興業が率先してチャレンジをして、実験をして、そしてどこかでお返しさせていただきたいと思って、これからもやっていきます。
―特に映画業界に向けて何かありますか?
大崎 かつて、吉本興業も映画館を運営していたことがあるし、東映さんの撮影所の土地の一部を持っていた歴史もあるんです。映画業界とのつながりが一時パタッと途切れて、どうして今また吉本興業が映画なのかといわれるでしょう。ただ、同じことをやるつもりはまったくなく、吉本流の土壌を作っていきます。
ああいうのは映画じゃないとか、ドラマツルギーがどうだとか、そういうことになると極限なく泥沼に入りそうなので(笑)僕らは門外漢として、でも僕らなりの映画の世界みたいなものを、これから100年かかるかもしれませんけれども作っていきたいと思います。
―ありがとうございました。
第5回沖縄国際映画祭の開会宣言で、大崎社長は「(沖縄国際映画祭を)ずっと頑張ります」と言い切った。吉本興業の飽くなきチャレンジは続く。大阪のお笑いの精神で、沖縄、アジア、世界へ。地球全体を“ラフ&ピース”の精神で満たすまで。
なお、大崎社長の一代記「笑う奴ほどよく眠る 吉本興業社長・大崎洋物語」(幻冬舎刊、常松裕明著)が4月12日発売。出来が悪く期待されていなかった新入社員時代、ミスター吉本・木村政雄氏との出会い、嵐のような漫才ブーム、ダウンタウンとの日々、怪文書と社内抗争、マスコミを騒がせたお家騒動と脅迫事件、亡き母への想い、そして盟友・島田紳助氏の引退まで、語りつくした一冊。沖縄国際映画祭につながる思いも詰まっている。
第5回沖縄国際映画祭
会期:2013年3月23日(土)~30日(土)
会場:沖縄コンベンションセンターおよび周辺地区(沖縄県宜野湾市)、
桜坂劇場および国際通り周辺(沖縄県那覇市)、沖縄県北谷町および沖縄県内各所
総来場者数:約42万2000人 ※過去最多
総来場媒体数:150媒体、約320人(うち海外メディア40媒体46人) ※過去最多
主催:沖縄国際映画祭実行委員会
運営担当:(株)よしもとラフ&ピース
(インタビュー・文・写真:高崎正樹)
(C)2013 沖縄国際映画祭/よしもとラフ&ピース