銀座シネパトスが、3月31日に閉館した。かなり多くのメディアがその閉館の様子を取り上げ、異様な“盛り上がり”だった。31日は、周辺に2千人近い群衆(延べだろうが)が詰めかけたとの話を聞いたときは、正直、あまりいい気はしなかった。そのあたりのわが思いについては、キネマ旬報の次回の連載、「ファイト・シネクラブ」(4月20日発売)に記述した。それだけ、心を揺さぶる映画館の閉館だったということだ。
ところで、その銀座シネパトスの3月の月計の興行成績が出たのだが、数字そのものはともかくとして、他館と比較してみると、まさに隔世の感があった。比較した映画館とは、新宿・歌舞伎町のミラノ(3館、シネマスクエアとうきゅう)である。かつてのミラノ座、新宿東急、シネマミラノで、日本一の興行街であった新宿・歌舞伎町の中核をなす映画館だった。
3月の銀座シネパトスは、3館の累計が動員1万6707人・興収2024万2600円。これに対して、3月のミラノ3館は、何と8994人・1209万5400円だったのである。すでに、新宿地区の興行地図が大激変して久しい現在のミラノの厳しい成績を出すこと自体、かなり酷な気もするが、数字は数字である。
かつてなら、ありえないようなことが、あっけらかんと数字になっていることに、驚きを感じる。ただ、銀座シネパトスよ、オーラスでミラノを大きく凌いで、よくがんばったな、ということでは全くない。映画館の変遷とは、かくも残酷な対比を生むのだと、改めて思わざるをえなかったのである。
ところで後日、銀座シネパトスに赴き、劇場の後片付けをしていた鈴木伸英“元”支配人と雑談をしている最中、同館の映写機の処遇についての話を聞いた。何と、ギンレイホールのオーナーが所有する千葉県・成田の倉庫に引き取られるのだという。この倉庫には、閉館で廃棄寸前になった映写機が、すでに全国から60機ほどが保管されているとのことだった。最近では、王子シネマ、シアターN渋谷などの映写機が、倉庫に保管されている。
奇特な人がいるものだ。映写機には、それぞれに館名がついて、残されているのだろうか。そこまでは確認できなかったのだが、私は一度、その倉庫に行きたくなってしまったのである。
(大高宏雄)