若返りの時代に逆行したトップ人事…
2011年11月02日
ユニバーサルミュージック前会長兼CEOで相談役だった石坂敬一氏がワーナーミュージック・ジャパンに“電撃移籍”し、11月1日付でワーナーミュージック・ジャパンの代表取締役会長兼CEOに就任した。
それにしても、当初から「噂されていた」人事だったとは言え、その人事の発表は前代未聞のことだったと言えよう。と言うのは、本来なら人事が発令される11月1日にリリースを出すのが筋なのだが、何と、3日前の10月28日に就任を正式発表してしまったからだ。
ユニバーサルもワーナーミュージックも共に世界の大手レーベルでありライバル会社だ。そのライバル会社が、まだ、相談役として在籍中にトップ人事を正式に発表してしまうとは…、正直言って前例がない…。まさに前代未聞のことだろう。
石坂氏は東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン)から94年にポリグラム(現ユニバーサルミュージック)にヘッドハンティングされて移籍した。丁度50歳の時である。それから15年間に亘って社長→会長→CEO兼会長→相談役とトップを務めてきた。その石坂氏も今や66歳になったが「まだまだ、若い奴らには負けてはいられない!」ってことなのだろう…。今度はワーナーミュージック・ジャパンに移ったと言うわけだ。
石坂氏がワーナーミュージック・ジャパンのトップになったのには意味がある。
それは同社の社長だった吉田敬氏が、昨年10月に自宅で自殺を図り他界したことによる。丁度、ワーナーミュージック・ジャパン40周年の年の出来事だった。吉田氏を失ったことで、同社はワーナーミュージック・アジア・パシフィック会長、ラッキー・ラザフォード氏が日本も兼務することになり、会長兼CEOを暫定的に務めてきた。しかし、日本は世界の中でも売り上げが高い。アメリカに次ぐ巨大マーケットである。その日本のトップをアジア地域の責任者であるラザフォード氏が片手間に務めるわけにはいかなかった。そこで、石坂氏に白羽の矢が立ったというわけだ。
しかも、ワーナーミュージックグループのレコード部門の会長兼CEOであるリオ・コーエン氏は、かつてユニバーサルインターナショナルの傘下にあるデフ・ジャム・アイランドを作った人(会長兼CEOだった)。具体的には、あの宇多田ヒカルとユニバーサルの契約を結んだ人である。そういった意味で言うなら、石坂氏とは縁も深い。
今回、石坂氏をワーナーミュージック・ジャパン代表取締役会長兼CEOに招いたことに対して、共に期待を寄せている。と言うのも、ヘッドハンティングされて社長に就任した94年当時、業界では7位か8位だったポリグラムを08年にはCD生産額でトップに押し上げた実績を持っているからだ。ワーナーミュージック・ジャパンは、邦楽ではSuperflyやコブクロ、さらには山下達郎、竹内まりやらが所属しているが、業界ではソニー・ミュージックエンタテインメント、ユニバーサル、エイベックスに続いて4位。時として5位の位置にランクされている。そういった意味では、国内で上位3社に入るのが悲願となっている。石坂氏には、その責務が担わされているといっていいかもしれない。
それにしても、前社長だった故・吉田氏は48歳だった。若返りが叫ばれている時代に、石坂氏のトップ返り咲きは、見方によっては時代に逆行しているとも…。何と言っても、それまでとは一気に20歳も上回ってしまったことになるのだから。いずれにしても、この人事が「吉」と出るか「凶」と出るか…。もし、この人事が成功したら、レコード業界の流れが大きく変わる可能性だってあり得るかもしれない。
(渡邉裕二)