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トップインタビュー:盛田昌夫 ㈱ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント代表取締役

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トップインタビュー:盛田昌夫 ㈱ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント代表取締役

2011年09月28日

多彩な人脈、スケールの大きな国際感覚の原点とは(前)

 ㈱ソニー・ミュージックエンタテインメント代表取締役会長を兼任する盛田氏は、米SPEとの今後のコラボのロードマップを作っていく中で、映画の様々な企画を進めていくという。今、ハリウッドメジャーにおける日本の存在感を高めていくためには、盛田氏がもつ多彩な人脈とスケールの大きな国際感覚がとても重要である。その原点を盛田氏が語り出した―。


 本誌 今日は、まずは盛田さんの今までのご経験を中心に話を聞ければと思います。その前に、㈱ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント(SPEJ)と㈱ソニー・ミュージックエンタテインメント(SMEJ)との関係について、聞いてみたいのですが。

morita_masao-26.jpg 盛田
 私はSMEJ、SPEJの両社を見る立場です。ソニー・ピクチャーズは、基本的にアメリカのシアトリカルの下にSPEJの映画部門、アメリカのテレビの下にSPEJのテレビ部があり、日本法人としてのSPEJという組織の中で、部署ごとにアメリカ―日本という縦型のオペレーションも密に行われています。
 佐野(哲章/映画部門日本代表)さんは、私よりもむしろアメリカのジェフ・ブレイク(米SPE映画部門の会長)とのやりとりの方が多いくらいです。そういう意味では、会社の経営上の責任は私が取りますが、デイ・トゥ・デイでアメリカが製作した映画の配給業務を担当しているわけではありません。私はどちらかというと、もっと長い目でSPEJとアメリカ本社との関係、さらにSMEJとSPEJの関係、映画とホームエンタテインメントとテレビといった社内の関係をマネジメントしていく役割だと位置づけています。
 そのような中でいずれ親会社の米SPEと、日本のアーティスト、女優、男優、タレントを、海外製作の作品に出す道筋、可能性を作り出していけたらと思います。SPEJとSMEJを見る立場から、両社のビジネスを協業によりいっそう発展させていきたいと思いますし、ソニーグループにある様々なリソースをうまく活用していきたいと考えています。

米SPEとのコラボ

 本誌 今、重要なことをおっしゃったと思います。日本の俳優、タレントを米SPEが作る映画に出演させたり、SMEJのアーティストを起用したりしたいと。

 盛田
 少しずつ実現していて、例えば去年「バイオハザードⅣ アフター・ライフ」に中島美嘉が出演しました。それによって、日本での映画のプロモーションの幅が広がります。世界第2位のエンターテインメント・コンテンツの消費マーケット日本としては、より売りやすくする、受け入れられやすくする、パブリシティを取りやすくするという施策があって当然いいわけです。
 そのようなマーケティング的な意味合いに加えて、もうひとつは、やはり日本の俳優、タレントがもっと海外に出て行って欲しい。コンテンツの面では、日本は輸入超過なのです。音楽も海外に出て行くものが少なく、海外から入ってくるものが多い。海外で人気のある日本のコンテンツのひとつにアニメがありますが、それ以外は輸入超過。少しでも日本のエンターテインメントを海外に出していくためには、日本の作品を海外に紹介していくという正当なやり方に加え、日本のタレントを露出していくこともひとつの方法ではないかと。
 中国のタレントはわりと早くからアメリカに行き、ハリウッド映画に出ています。日本のタレントを海外に売り込むというのは、あまり日本の事務所も行っていません。これはマーケットの大きさにも関係していて、例えば音楽業界では、今Kポップが非常に日本で流行っています。一生懸命お金をかけてタレントを育てて韓国で売るよりは、マーケットが10倍大きい日本に持って来た方が、リターンが大きいのです。特に韓国市場はわりと短期決戦で、タレントの寿命が短いので。ですから、韓国や中国は一生懸命海外に進出しようとします。
 ところが日本は、国内の市場自体である程度稼げてしまうので、事務所も言葉や慣習の違いがある海外に活動の場を移すよりは、多少「海外に出ました」という箔をつけたい、でもメインは日本というパターンが多いのです。

 本誌 「グリーン・ホーネット」のような映画で、日本人の役に、中国の俳優が出ている。昔もそうでしたが、どうにかならないかと。

 盛田
 そうですね。「SAYURI」も桃井かおりさんは出ていますけれど、チャン・ツィイー、ミシェル・ヨーが演じた役を、全部日本人でやってもよかったわけです。ただ、言葉の問題やいろいろなことがあって、あの様なキャスティングになっています。こうしたことも含めて、私がやるべきことは今日や明日の話ではなく、米SPEとの今後のコラボレーションのロードマップを作っていく中で企画を進めていくというようなことだと考えています。

17歳から27歳まで海外

 本誌 ところで、話はがらっと変わります。お父様の盛田昭夫さんがアメリカに行かれた時に、盛田さんは小学生ですか。

 盛田
 そうですね、あれは1963年です。ソニー・アメリカを設立しに行った時で、それまでは代理店が商品を取り扱っていたのを、やはりソニー・アメリカ自体でやろうという時代です。

 本誌 1960年代のはじめ、ソニーというのは日本でどういう位置づけのころですか。

 盛田
 会社の設立が1946年ですから、まだ20年弱、トランジスタ・ラジオ、テープ・レコーダーで伸びてきたころだと思います。トランジスタ・ラジオが全盛の時代で、それまでアメリカはスーパースコープという大きな代理店に任せていたのを、全部ソニー・アメリカに引き継いで、人もだんだん増えてきたころでした。本当はアメリカにもっと長くいるはずだったのだと思いますが、祖父が亡くなり、バタバタと帰って来た記憶があります。ですから、私の人生で小学校の時のアメリカはあまり影響がありません。

 本誌 そのあとに、高校からイギリスに留学をされる。

 盛田
 17歳から27歳まで10年間ずっと海外に出ていました。高校はイギリスで、大学はアメリカ。大学を卒業してからアメリカの銀行に就職し、その間ニューヨークに1年半、ロンドンに1年半滞在しました。

 本誌 学生時代はどうでしたか。

 盛田
 面白かったですよ。イギリスの高校はインターナショナル・スクールで、当時300人の学生が40数ヵ国から来ていました。ルームメイトもベネズエラ人、スウェーデン人、イギリス人と相部屋でした。イギリス人、アメリカ人が全体の25%ぐらいしかいませんので、あとはみんな外国語の英語を共通言語として生活していました。男女共学のボーディング・スクール(寄宿学校)というのは、当時めずらしかったです。

 本誌 留学はご自身の意志だったのですか。それともお父様の。

 盛田
 これは微妙です。私は俗に言う私立の受験校にいましたから、周りはこのまま日本で中学、高校を出て、受験して大学に行こうという雰囲気で、そんなものかなと思っていました。ただ勉強は嫌いだし、16歳とか17歳のころは大学受験なんて面倒くさいなと思っている年頃ですよね。大学は文化系か理科系か、公立か私立かみたいなことが、高校の中でもだんだん話題になってきたころ、たまたま私が留学したイギリスの高校の校長先生が日本にいらして、日本人の生徒がいないのだが、日本から生徒を募集するためにはどうしたらいいかということで、イギリス大使の紹介で父の所に相談に来たのです。うちの父もいいかげんで、私に「日本人の生徒がいれば宣伝にもなるし。お前行くか?」といういきさつで。ですから、留学しようと思って、学校を選んで留学したわけではないのです。むしろ、40年も前で、高校留学などなかったですからね。英語なんて嫌いでしたし、自分でも考えてもいなかったのですが、「行くか?」「はい、いいですよ」と。(つづく)


※インタビュー前篇の全文は「文化通信ジャーナル」2011年9月号に掲載

※インタビュー後篇の全文は「文化通信ジャーナル」2011年10月号に掲載



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