さだまさし。映画化された小説「眉山」の秘話…
2012年07月04日
東京・有楽町の東京国際フォーラムで行われたさだまさしのコンサートに行ってきた。今年、デビュー40周年を迎えてのコンサートだが、1日目(7月3日)がトーク、2日目(7月4日)は歌…という、さだらしい異色のコンサートとなっていた。
初日の“トーク・コンサート”は、約3時間のステージを文字通り“トーク”だけで構成していた。もっとも、会場の雰囲気を見て、「大人の判断」ということでギターの弾き語りで演奏していたが、3時間のステージで演奏したのは「線香花火」「長崎小夜曲」、そして「いのちの理由」など数曲だけだった。それでもさだは「歌い過ぎた」と吐露していた。
“トーク”では、最近「ショックだった」出来事として、ザ・ピーナッツの伊藤エミさんの亡くなったことを挙げて話していた。初めて聞いた逸話だった。
さだによると、“グレープ”としてデビューした昭和48年。“グレープ”は、ザ・ピーナッツのコンサート・ツアーの“前座”(今でいう“オープニング・アクト”)として参加していたという。労音の主催で「全国40本ぐらい回った」。これが“グレープ”として、さだの“初仕事”だった。そして、ツアーで回っている中で大ヒットしたのが「精霊流し」だったという。そう考えると、さだにとってザ・ピーナッツは音楽活動の「恩人」だったことになる…。
さだは、これまで小説として書き下された2作品――「精霊流し」や「解夏」が映画化されている。しかも、この2作品は故郷・長崎を描いているが、その次に書き下したのが「眉山」だった。
この作品は、実は、ザ・ピーナッツのツアーに参加して初めて訪れたのが四国・徳島を舞台にしたものだったと言う。さだは、このツアーで訪れた徳島で見た眉山に魅了されたと言う。
「長崎にも稲佐山というのがあって、頂上にはロープウェイで上がれるが、あの時、ザ・ピーナツのツアーで徳島に初めて行って眉山を見た時、感じは稲佐山とよく似ているが大きな感動を覚えた。で、眉山にロープウェイで上ったんだけど、頂上から見えた街の風景の美しさ、それに海や川、人々の姿が、30年経った今でもどこか心の中に残っていたんだね」。
そういった中で書き上げられたのが「眉山」というタイトルの小説だったという。そして、この小説は映画化された。
要するに、ザ・ピーナッツがいなかったら、ツアーに参加していなかったら、この作品は生まれていなかったというわけだ。なかなか深みのある噺(トーク)であった。
(渡邉裕二)