民主党の小沢一郎元幹事長が「強制起訴」。その一方で菅政権は迷走している。
国民は「誰が、やっても同じ」と無気力状態。それに追い打ちをかけるかの如く、メディアからは「世論調査の結果が出ました」。この繰り返しである。
しかし、冷静に考えたら、明らかに政治家のレベルは落ちている。政策もあるのかないのか分からないし、駆け引きも出来ない。結局、結論は「みんなで考えていきましょう」。強力なリーダーシップなんて言っている以前の問題だ。
しかし、そんな政治家ばかりを作ってきたのは有権者である国民だろう。国民がいい加減だから、ロクな政治家が出てこなくなった。これは責任転嫁ではなく、明らかに主権者である国民の責任だろう。
要は、有権者がしっかりしていれば、それなりの政治家が生まれてくる…僕は、そう信じている。
では、レコード産業は…。
いまや問題は山積している。が、レコード産業を育てるという点に関して言うならユーザーの存在は欠かせない。もちろん音楽は価値観の問題だから、好き嫌いがあって当然だ。だが、ユーザーから求められないものは消えていく運命にある。いくら、制作者が訴えようとも無駄なこと。もちろんインディーズと言う分野があるから、意地で拘れば存在するのかもしれないが。
レコード産業は11年間、売り上げは下落の傾向にあるが、その流れの中で、CD購入、聴き方には大きな変化が出てきた。年々、オリジナル・アルバムのセールスは減少し、ユーザーは、どちらかというとベスト・アルバムを求めるようになってきたのだ。聴いたことのない曲よりも、聴いたことのある曲を求めるからだ。極論かもしれないが多くのユーザーは、少なくとも自ら新しいものを探そうとしなくなっている。それがオリジナル・アルバムのセールス減少になっている。それが現実だ。
往年のアーティストにはスタンダード曲とか名曲と言われる作品があるが、その中にはシングル化されていない、アルバムのみの収録曲が多い。オリジナル・アルバムを買って、その中に何曲いい曲があるか…。もちろん、「買って失敗した」と思うアルバムもあったに違いない。
例えば、井上陽水。かつては毎年、アルバムを出し続けてきた。その中には傑作もあれば、駄作と言われるものもあった。しかし、出し続けてきたことが陽水の大きなパワーになったことは確かだ。ただ、陽水が出し続けてこられたのは、彼のアルバムを待ち続け、買っていたファンがいたからだ。つまり、井上陽水を作ってきたのは、陽水の才能と同時にユーザーの期待と力強い応援だったのだ。それは、松任谷由実にしても同じだろう。アルバムが売れなくても諦めず、常にユーザーと真剣に向き合ってきたからこそ、その後の活躍、そして今があるのだと思う。もちろん、レコード会社の販売戦略や宣伝展開もあったことは事実だが、それは側面に過ぎない。
それが、ここ1、2年は、時代の流れとはいえデジタル配信である。
アーティストやプロデューサー、ディレクターは、アルバムを作るときに収録曲の選曲から並べ方、曲と曲の間の時間まで拘って作っているはず。しかし、その拘りも時代と共に失せ、ユーザーはデジタル配信でダウンロードし、それこそ自分の聴きたい曲だけを並べ替えてしまう。もちろん、それが悪いわけではない。そんなもの…と言ってしまえば、そうなのかもしれないが、時代と共にアーティストとユーザーとの間のコミュニケーションも薄らいできた…そんな気がしてならない。だからと言って、音楽に拘りを持たなくなったアーティストなんて、政策を持たない政治家と一緒だろう。
ま、ユーザーは受け身だけ。いい音楽を作らないアーティスト、プロダクション、レコード会社が悪いっていうのでは、それじゃ寂しい。やはり、制作者はもちろんだがユーザーも賢くなることだろう。そして、そこで生まれ育てた相乗効果こそがいい音楽を作る原動力になるのだろうと思うのだが…。