夏興行のいわゆる中盤戦である。昨年夏の「風立ちぬ」(興収120億2千万円)や「モンスターズ・ユニバーシティ」(89億6千万円)のようなメガヒット作品は、今のところ登場していない。
さて、現時点では、順調な成績を積み重ね、60億円超えの可能性もある「マレフィセント」が、トップを走る。最終見込みとしては、次いで40億円台視野の「るろうに剣心~」が続く展開になるかもしれない。今の段階のトータルでは、当然「るろうに剣心~」を上回る「GODZILLA」や、「思い出のマーニー」はどうかというと、8月3日時点で15億円を超えてはいるが、勢いの点で「るろうに剣心~」に一日の長がある。
さあ、ここから話は一気に反転する。もはや忘れてしまっていると思うが、「渇き。」もこの夏の作品である。来週には、興収7億円を超える。もちろん、これでは目標には足りない。だが私は2度映画館で見て、やはり今年の大問題作との認識が変わることはなかった。
興行的見地では、すでに私は「観客を選ぶ作品」だと言い、興行の限定性を7月時点で指摘したが(毎日新聞「チャートの裏側」)、そのような当然過ぎる見方では、落ちこぼれるものがあまりに多い作品だと、2回目でとくに実感した。
2回目は、長崎県佐世保市で起きた女子高校生による同級生殺人事件の後に見た。このタイミングが、妙に我が身に迫ってきた。それは、映画と事件に、共通点が多かったからだ。
父と思春期の娘との歪んだ関係。娘の犯罪(形は全く違うが)に精神疾患的な要素が多分にあるように感じられること。父の奇態な生活ぶりが、娘の犯罪に色濃く反映しているらしいこと。一方の親の男女関係が、娘の犯罪に影を落としたとも推測されること。娘の犯罪が、常識外で、理解不能であること。
もちろん、現実に起こった事件の背後関係など、複雑過ぎてわかりようはない。あくまで、マスコミで伝えられる情報から類推したに過ぎないが、それでも父と娘の異様な関係と、そこから始まるように見える犯罪の形が、映画と事件の大いなる共通点であると思えて仕方なかったのである。
では、それがどうしたということではない。事件と奇妙な符牒を示したかのように感じられる映画の特異性を、ここでことさら言挙げするつもりもない。ただ、2014年のまさに同時期に“出現”した映画と事件が、奇妙に引き合うように見えることには、偶然を超えて、ある驚きを禁じえない。
今回は、両者に見えた共通点の指摘にとどめる。論旨としては、それ以上でも、それ以下でもない。ただ、映画はときとして、社会的な事件と、運命的になのかメディア的になのか、強烈に接点を交わし合うことがある。今回、「渇き。」が、映画の中身のありようを超えて、それを顕現させたことこそが、大問題作たるゆえんの一つでもあると思ったのである。
(大高宏雄)