【Vol.28】T-BOLANのドキュメンタリーが持つ力
2014年01月23日
ロックバンド、T-BOLANのドキュメンタリー『T-BOLAN THE MOVIE あの頃、みんなT-BOLANを聴いていた』(2月22日公開)を鑑賞した。日頃ODSを取材している関係で、「検定試写があるから、よかったら・・・」と声をかけてもらい、一足先に鑑賞することになった。
今回は、作品の感想に加え、個人的な思い出も交えて筆を進めることを、ご容赦願いたい。
T-BOLANは私自身、思い入れが強い。高校時代に一番聴いた音楽は何かと問われれば、間違いなくT-BOLANだったと答える。1990年代前半に高校生だった私は、T-BOLANのCDが発売されると知ると、すぐに近所のCDショップで予約。発売日の前日には入荷されていたので、発売前日に購入し、家に帰って何度も何度もCDを再生した。だから、今回のドキュメンタリーの企画を耳にした時、必ず見なきゃいけないと心に誓ったのだった。
全国でも今の時点でほとんど見ている人がおらず、内容について詳細は解禁されていない状況なので、作品の感想を詳しく述べることはできない。ただ、かつてT-BOLANを聴いていた人たち、現在も聴いている人たちにとっては、これ以上ない内容だったと言えるだろう。
まず、ヒット曲の数々が心地よい。渋谷公会堂や中野サンプラザなどでのライブ映像は、当時のエネルギーを痛烈に伝えてくれる。しかし、こうした楽曲の良さ、ライブ映像の迫力といった要素だけでは面白くない。
この作品の魅力は、他にもある。メンバーやファンが、内面をさらけ出す。その言葉たちだ。
T-BOLANは1995年3月26日の大阪厚生年金会館(現オリックス劇場)のライブを最後に、活動休止状態になる。原因は、ボーカル森友嵐士の心因性発声障害だった。ドクターストップがかかっていたにもかかわらず、周囲の強い反対を押し切ってこのライブを敢行したのは何故なのか。
森友の病状は快復の兆しが見えず、そのまま1999年12月に解散。解散ライブはなかった。こうした形での解散を、メンバー4人がどう感じていたのか。解散後、各メンバーがどんな生活を送り、何を思ったのか。
T-BOLANのファンも多数登場するのだが、ファンそれぞれが楽曲と、それにまつわる思い出を熱っぽく語る。一般の人もいれば、著名人もいる。こうしたファンたちの声は実に生々しく、感情を揺り動かす。
森友嵐士のソロでの復活。2012年のT-BOLAN再結成。そして今年3月には、大阪・オリックス劇場、東京・渋谷公会堂のライブで、1995年3月以来のステージに立つのだ。19年ぶりのライブにかける決意は、いかほどか。
この作品、聴き覚えのある楽曲に昔の記憶が呼び起こされ、感傷的になって終わりではない。見る者は聴いてた当時の自分を思い出し、今の自分に問いかける。「一生懸命、生きてるか?」と。T-BOLANの生き様に、自分のそれを重ね合わせる。前に進もう、チャレンジしようという気持ちが強くなる。そんな一作だ。
2月22日から全国10館で公開。新宿ピカデリー、なんばパークスシネマの2館は2月28日までの1週間、その他の8館は2月22日の一日限りの上映。本日1月23日夕刻には都内で一般客に初披露し、メンバーが登壇してのトークショーやミニライブも行われるそうだ。
松本 貴則(まつもと・たかのり) 映画部デスク 兼 サイト事業部所属
2000年、シネコン担当記者として入社。その後、配給会社などへも取材範囲を広げるが、取材のベースは興行に置いている。2011年から映画部デスク。趣味はスポーツ観戦、読書。