インタビュー:春名 慶 (株)ショウゲート代表取締役社長
2007年12月12日
この会社には勝算がある、だから買収した 映画事業を拡大したい、多ジャンル、大サイズ 判明した二つの大課題、新社名は社員から公募東芝エンタテインメント/ショウゲートの新社長に就任した春名慶氏プロデューサー、経営者という二足のわらじを、どう履きこなすのか業績改善に向けた展望、会社経営への挑戦…38歳の若き社長に尋ねた映画事業を拡大したい――博報堂DYメディアパートナーズ(博報堂DYMP)が東芝から、東芝エンタテインメント(東芝E、現ショウゲート)の株式100%を5月1日付で取得しました。春名さんは同日付で代表取締役社長に就いたわけですが、社長就任までの経緯をお話しください。春名 本人が一番サプライズな人事でしたね。東芝Eを買収して、経営陣は刷新すると事前に聞いていましたが、僕は博報堂入社が93年で当時まだ37歳でしたから、役員として行くとは全く考えていませんでした。とはいえ、僕は邦画を守備範囲とする実行部隊として、何らかの形で関わっていくことになるだろうとは思っていました。博報堂DYMPのコンテンツプロデュース担当役員で、僕の上司である吉川(和良)常務から電話があって、いきなり“社長をやってくれるかな”と言われ、僕も“あっ、はい”と答えるしかなかったですね。突然の内示でしたが、あまり自分の中では驚きはなくて、何かしら関わるつもりだったので、それをやるんだなという考えしかありませんでした。
――そもそも、博報堂DYMPが東芝Eを買収しようと思った背景には何があるのでしょうか。春名 ご存知のとおり、03年10月1日付で博報堂、大広、読売広告社の3社が持株会社である博報堂DYホールディングスを設立して経営統合し、同年12月1日付で各社のメディア・コンテンツ事業を分割・統合する形で博報堂DYMPが設立されました。この経営統合以前から、博報堂は映画への出資事業には長い歴史を持っています。「北壁に舞う」(79年)が第1弾ですから、30年近い歴史があります。その後、徳間書店さんと共同出資した「風の谷のナウシカ」を始め、出資会社の中の一社として映画に出資をして回収するという事業を、広告会社のワンセクションとしてやってきました。そして03年12月に博報堂DYMPが設立されて、メディアとコンテンツを扱う会社だと標榜するようになったんです。その大きな柱は映画コンテンツとスポーツコンテンツ。僕は映画のセクションにいて、映画のコンテンツビジネスを積極化していこうという流れの中で、邦画では04年に「世界の中心で、愛をさけぶ」や「いま、会いにゆきます」がヒットしました。洋画でも単純に出資だけではなく、洋画の担当者がマーケットに赴いて、配給会社やビデオメーカーと一緒に商談に参加するようになったんです。それまでは単なる一出資者だったのが、邦画では自社で企画をし、洋画では自社で買付に行くという、より主体性を持って映画ビジネスに臨もうという動きが博報堂DYMPの社内で自然と生まれて、結果も付いてきました。
一方、広告ビジネスも、将来的に大きな右肩上がりが期待できるものでもなく、漠たる危機感が背景としてあります。博報堂DYグループも、新しいビジネスモデルにも利益機会を求めていく必要があるんです。そんな状況下で、博報堂DYグループにとって映画ビジネスは長年関わりを持ってきていて、比較的近い距離にあるビジネスモデルだったんですね。博報堂DYMPになってから、主体性を持った映画ビジネスが結実してきているという潮の流れもありましたし、ここをもっと深く掘っていけば鉱脈があるのではないかという考えが経営陣にも、僕ら現場の人間にもありました。
では、どうやって映画ビジネスを推進していくかという時に、マンパワーという大きな課題がありました。博報堂DYMPは、企画はしても、配給機能を持っていませんから配給手数料を頂くわけではない。僕自身がプロデュースした作品のビデオの発売元という事業も、僕一人でやっているような状態でした。映画ビジネスを今後拡大・深耕していくために、会社としてこうした機能を持ちたい。でも人材を一人ずつヘッドハントして雇うのには時間と労力が必要だ、どうしたらいいのかと壁にぶつかっていました。
そんな時に、東芝さんから東芝Eの株式譲渡の話が浮上しました。これは、博報堂DYMPの直面する課題を解決し、大きなビジネスチャンスになるのではないかと。劇場営業、宣伝、ビデオ発売元、国内のTVセールス、海外ライセンスというディストリビューション機能を持っている東芝Eをグループの中に取り込めるのであれば、将来に向けた明確なビジョンが描けるんじゃないのかなと。
新社名は社員から公募――東芝Eと博報堂DYMPは、一緒に仕事をしたことはありましたか。春名 ええ、ありました。チェ・ジウ主演の「連理の枝」、本広克行監督の「サマータイムマシン・ブルース」、ちょっと前のものでは「メメント」などに共同出資していました。でも、僕は殆ど東宝さんとしか仕事をしていませんでしたから、東芝Eは全く面識がなかったんです。誰一人として知らない状況でしたから、人を知るというところから僕の社長業がスタートしました。GWの連休明けに、全従業員に集まってもらって、新社長としての所信表明をしました。とはいえ、サプライズ人事で、会社のことは全く知らないですから、その日に何か具体的なビジョンを話すことは出来ませんでした。その後約1ヶ月半をかけて、全従業員と個人面談を1時間くらいずつ行った上で、7月初めに新体制における経営方針を発表しました。
――社名は6月1日から「ショウゲート」に変わりました。春名 新社名は社員から公募したい旨を、博報堂DYMPの佐藤(孝)社長にお願いして、また東芝さんにも“東芝”という冠を1ヶ月間だけレンタルしたいということで、僕のわがままを聞いてもらいました。僕は、どうしても社員が決めた社名にしたかったんです。この会社は親会社がアミューズ、東芝、博報堂DYMPと変わってきているので、社員の心中いかばかりかと。自分たちで社名を決めたのであれば、社員の士気も上がるでしょう。それに、できるだけニュートラルな会社にしたいという思いもありました。資本関係で言うと勿論、博報堂DYMPの100%子会社ではありますが、今後はもっと業界の再編成は起きてくると思うんですよ。そんな時代に、資本関係ばかり重視した仕事は前近代的です。〝博報堂DYピクチャーズ〟とでも付ければ一番単純ですが、映画業界で通用するようなブランド力はありません。むしろ足枷になる可能性もある。僕は“博報堂DY”が付かないという条件をつけて、社名を公募しました。197件の応募があった中で、宣伝部の諸冨(謙治)が“ショウゲート”という社名を提案しました。全てのショウビジネスのゲート(窓口)であるという意味と、“笑う門には福来る”というダジャレですけど、このダブルミーニングがすごく良いなと。