クリエイターズ★インタビュー:熊切和嘉監督/『私の男』
2014年06月12日
“傷跡”を残すような映画を撮れたらと思っている
和田 今回はフィルムとデジタルを使って、しかも16mm、35mm、デジタルを使い分けて撮っていますが、撮影監督の近藤(龍人)さんと臨機応変に相談しながら決められたのですか。
熊切監督 もちろんそうですね。しかし発端は、なんとしても流氷を35mmで撮りたいというのがあって、紋別の冬篇のくだりを最初にクランクインしたので、なんとしてでも氷のディティールを出すために35mmで(流氷シーン)撮りたいというのもありました。あと実は、私は35mmで撮影というのがこの作品が初めだったのです。
和田 そうでしたか? 意外な感じですね。
熊切監督 スーパー16とかデジタルはあったのですが、35mmを回すというのは初めてだったので、言葉では言わないですけれど、たぶん近藤くんはきっと私に35mmを撮らせてあげたいというのもあったと思うのです。「なんとか冬のくだりは35mmでやろう」と言い切ってくれて、そこから逆算して、予算的なところでも全編は無理でしたので、全部時代によって組み替えようかという風になりました。
もちろん時代の移り変わりもあるのですけれど、あとフィルムというのは結構奥まった印象があり、デジタルの方が近い感じがします。ですから物語の主人公の彼らが徐々に身近になっていき、東京に来て淳悟が「存在」していたというような、そういう印象になるといいなと思いました。
和田 初めて35mmで撮ってみて、今までと演出の仕方が変わったところはあったのですか。
熊切監督 演出ではないのですけれど、フィルムがあまり回せないというのがありました…フィルム代がかかりますので。近藤くんもだいぶ無理をしてやってくれていましたので、カット尻が長いとカメラマンに睨まれましたね(笑)。ですが、カメラマンと機材屋や現像所との関係がありますから、そこは近藤くんが頑張って(予算を抑えて)くれたのだと思います。
和田 近藤さんも今年のゴールデンウィークから公開された『そこのみにて光輝く』(13年)がヒットするなど、今やカメラマンの中でも売れっ子で、評価も高いですが、作品を積み重ねるごとにレベルアップしている手応えが監督から見てもありますか。
熊切監督 私が言うのもなんですけれど、彼は凄いですね。もちろんやっている仕事量も凄いですけれど、機材についてなど本当に勉強しています。今回、『私の男』は仕上げもじっくり時間をかけてやれたので、その間は近藤くんとIMAGICAに通って、ああでもない、こうでもないをやり続けました。
フィルムとデジタルを使い分けたのもありますし、最後の回想で(淳悟が)「ああ、親父になりたかったんだな…」とか、カモメが飛んでいたり、あの辺はフィルムで撮ったものをスタインベックという昔の編集機にかけ、それを手動で私がコマをゆっくりにしていってストップさせるのを、近藤くんにデジタルで撮ってもらうということをやりました。フェチの世界なのですけれど(笑)。学生の頃にそういう編集機を使ってやっていましたから、その編集機がもうなくなるので「もう今しかやれない!」と思って、一度やってみたかったのです。そういうのを一緒にやれましたので、「なんか卒製(卒業製作)みたいですね」とか言いながらやっていました。(写真上は浅野忠信)
和田 2人(大阪芸術大学出身)で昔(学生時代)を懐かしみながら…。
熊切監督 2人でねちねちと仕上げていったという感じです。ですから、面白かったですね、本当に。仕上げに時間をかけられたというのは大きいです。花火を撮り足したりとか、そういうのもありました。
和田 最初イメージしていたつながりよりも、そこで時間をかけられたために仕上がりが変わったというのはありましたか。
熊切監督 多少はあるとは思いますけれども、編集は撮っている時からやろうと思っていたことをわりとやっています。
和田 「この作品を体感してもらいたい」「お客さんには心を震わせてもらいたい」とおっしゃっていますけれど、こういうメッセージを敢えてお客さんに送る想いというのは、どういうところですか。
熊切監督 やはり…ちょっと変わった映画じゃないですか。自分で撮っていても思いましたし、あまり普通にドラマを見る感じよりは、もっと感覚的にと言いますか、浮遊感のあると言いますか、それは編集であったり、音の使い方であったりで、もう全部表現しました。なんとなくイメージとしては、言葉で言うのはなかなか難しいところなのですけれど、花は一度「死んだ者」というような印象にしたかったのです。全体を通して、その魂が彷徨うというような。
ですからあの2人のところは、海の底で出会っているような感覚にしたかったのです。あまり表面的な物語だけで見るのではなく、もうちょっと、映画というのはそういうことができると思うのです。ただ、ストーリーがというだけではなく“映画”という体験だと思いますので。そういう意味でですね、たぶん。ですから理想は「なんだかよくわかんなかったけど、凄かった!」と言われたいです。(写真右は二階堂ふみ)
和田 そう言わせるだけの作品に仕上げられたという手応え、自信もある?
熊切監督 そうですね、そういうものはあります。
和田 私もそれは確実にあると思いますから、お客さんにはそういうところに反応して欲しいですね。ここ最近は原作ものが続いていますが、原作ものとオリジナルもので意識されていたり、特にこだわっているところはありますか。
熊切監督 いや、それはそんなにないです。もちろんオリジナルものはやりたいですが、どうしても原作がある方が企画は通りやすいですよね。原作がある方が、人のせいにして自分が「跳ねられる」と言いますか(笑)。オリジナルですと逆に自分でリミッター(制限)をかけてしまい、結構地味になっていきます。でもオリジナルで、自分で流氷のシーンを書いて、流氷の映画を撮ろうとは思わないですね。これは無理だろうと、最初に自分で思いますし。「原作にあるんだから、しょうがない!」という、プレゼンする時の言い訳にできます。
和田 なるほど。しかし、やはりどこかでオリジナルものもやっていきたいと。
熊切監督 もちろんやりたいですね。
和田 監督にとって、改めて映画における「エンターテインメント」、特に今この時代における、映画のエンターテインメントをどういう風に捉えていますか。大作のエンターテインメントとは違う部分があると思いますが。
熊切監督 この作品、内容はメジャーっぽくないですけれど…。どこの世界も一緒だと思いますが、もちろん映画はこれだけお金のかかるものですから、大多数に受けなければとか、そういう風になっていくのは当然だとは思います。そんな中でも、何かちょっと“傷跡”を残すような映画を撮れたらなとは思ってやってはいます。なかなか難しいところではあるのですけれど。ただ、そもそも私が好きだった「映画」はそういう映画でしたので、好きなことをやりたいなというのはありますね。
和田 先ほど、この作品が熊切組の集大成になったとおっしゃっていましたが。
熊切監督 まあ、ある時期の、この何年かの中でということですかね。
次あたりは男っぽいものをやりたい!
和田 今後はどんな作品を撮っていきたいですか。
熊切監督 いろいろあるのですけれども、ちょっと男女ものが続いたので、次あたりは男っぽいものをやりたいというのはあります。ですが、男っぽいものは今はあまりお客さんが入らないと言われていますからね…。
和田 男っぽいといっても、アクションというわけではなく?
熊切監督 アクションというか、犯罪ものであったり、もうちょっと渋いやつをやりたいですけれど、周囲からは反対されます。「当たる気がしない」と言われますね(笑)。
和田 いや、それは是非観てみたいです。監督の中で、特に女性的なテーマを意識されているわけではないですよね。作品ごとにいろいろなものを撮っていきたいという。
熊切監督 はい。
和田 黒澤明監督、新藤兼人監督をはじめ、日本映画とゆかりが深い、歴史ある(第36回)モスクワ国際映画祭(コンペティション部門)への参加は初めてですか。
熊切監督 初めてですね。ただ、ロシアではこの前ウラジオストックで撮影をして、そこで捕まっているのですよ(笑)。ウラジオストクの山でパルチザンの撃ち合いを撮っていましたら、軍がクレームを言って来まして。要は、ウクライナの問題を批判した映画を撮っているのではないかと思われたようで、結局、移民局へ行って罰金を払わされ、指紋を取られたり。ですから、モスクワ映画祭もロシアに入国できないのではないかと言われています。最悪ビザが3年降りないかもしれないと言われましたので、どうなのでしょう。とりあえず、入国できるといいなと…。
和田 ウラジオストクで撮っていたのは、次回作ですか。
熊切監督 そうですね。ライブ映画で、THE BACK HORNというバンドの、イメージとしては伴奏付きの小さなサイレント映画のような、合間にライブで感情を語っていくというような感じの映画です。
和田 貴重な体験になってしまいましたね。
熊切監督 いや、でも面白かったです。いろいろ含めて、地獄のような現場でした(笑)。
和田 6月14日(土)公開からの興行がどうなるか、またモスクワ国際映画祭(6月19日から開催)からの吉報を期待しております。
熊切監督 ありがとうございます。(了)
(C)2014「私の男」製作委員会
熊切和嘉(くまきり・かずよし)
1974年9月1日、北海道生まれ。
97年、大阪芸術大学の卒業制作作品『鬼畜大宴会』が第20回ぴあフィルムフェスティバルで準グランプリを受賞、大ヒットを記録。第48回ベルリン国際映画祭パノラマ部門ほか10ヶ国以上の国際映画祭に招待され、第28回伊・タオルミナ国際映画祭グランプリに輝き、一躍注目を浴びる。その後、PFFスカラシップ作品として制作した『空の穴』(01年)は第51回ベルリン国際映画祭ヤングフォーラム部門に出品、第30回ロッテルダム国際映画祭で国際批評家連盟賞のスペシャルメンションを授与した。
以降、第60回ヴェネチア国際映画祭コントロ・コレンテ部門ほか数々の映画祭に出品され話題を呼んだ『アンテナ』(03年)をはじめ、『揮発性の女』(04年)、『青春☆金属バット』(06年)、『フリージア』(06年)など意欲的な作品を発表し続け国内外で高い評価を得る。08年の『ノン子36歳(家事手伝い)』は第38回ロッテルダム国際映画祭スペクトラム部門ほか映画祭に出品され、「映画芸術」誌の2008年度日本映画ベストテンで1位に輝いた。その後、10年の『海炭市叙景』は第23回東京国際映画祭コンペティション部門に出品され、第12回シネマニラ国際映画祭グランプリ及び最優秀俳優賞、第13回ドーヴィルアジア映画祭審査員賞、2010年松本CINEMAセレクト・アワード最優秀映画賞、第25回高崎映画祭特別賞と、国内外で多数の受賞を果たす。その活躍がグローバルに支持され、12年にはブラジルの映画祭INDIE 2012で『鬼畜大宴会』から『海炭市叙景』までの作品がレトロスペクティヴ上映された。近年の主な監督作品に『莫逆家族 バクギャクファミーリア』(12年)、『夏の終り』(12年)など。