「4K元年」と呼ばれる今年。次世代放送推進フォーラム(NexTV-F)は、6月2日より、4K試験放送をいよいよ開始した。そのなかNHKエンタープライズ(NEP)は昨年末、独自のマルチカメラ収録による4Kコンテンツ『薪能 安達原』を完成させた。この番組は4月8日に開始した「ひかりTV」の4K-VODトライアルに提供され、さらにNexTV-Fの試験放送での放送が決まっている。「薪能」とは、夜の暗がりのなか、薪の炎を照明にして表現する能舞台だ。世阿弥生誕から650年という長い歴史を持つ伝統芸能に、「4K」という最新メディアで挑んだ同番組のディレクター諸石治之氏に、4K制作について話を聞いた。
『薪能 安達原』(写真提供:NHKエンタープライズ)
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ディレクターの諸石治之氏
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――まず制作の経緯について教えてください。
昨年の4月頃に、NEPの事業開発部門の企画会議のなかで、4Kに取り組むにあたって、NEPらしいコンテンツで、かつ4Kの特徴が活かせるようなテーマは何だろうかと考えました。その結果、4Kカメラの感度が良く、暗いシチュエーションもしっかりと撮影でき、またポストプロダクションで光と影を上手に使ってコンテンツを作れるのは4Kならではだろうということで、暗いシチュエーションで撮りたいと思い、夜にかがり火のなかで演じる「薪能」を選びました。
――収録は昨年9月14日、福岡縣護国神社で行われました。当日はマルチ収録に挑戦したそうですね。
今でこそ4Kはいろいろと広がりを見せていますが、昨年の上半期の時点では、1つのカメラで撮影する映画的な撮り方がメジャーでした。そのなかで、4Kがテレビ業界に波及してくるだろうという予想のもと、テレビ的な収録方法を4Kで模索するため、マルチ収録にトライしました。
――カメラは何を使ったのですか。
ソニーのF55(※SONY 4K F55)です。能は通常、2~3台の少ないカメラで、ゆったりとしたスイッチングで見せていくのが特徴ですが、今回は計5台使用しました。センターカメラを1台と、上手・下手に1台ずつと、後方にロングを撮れるカメラを1台、それと、足元のアップなど寄りを中心に撮影するカメラを1台置きました。各カメラから出力されるハイビジョン信号を有線でベースに送って、5台のカメラがそれぞれ何を撮っているか、ディレクターとスイッチャーがベースで確認し、カット割りをリアルタイムで決めてスイッチングしました。スイッチングした映像はカメラマンに送り返して、演出がいま何を狙っているか伝えるという、普段の中継で行っている当たり前のことを、今回4Kで実験的に行いました。
――撮影の体制は。
ディレクター1名、スイッチャー1名、カメラマンとカメラマン補助(フォーカスマン)それぞれ5名ずつで臨みました。4Kはフォーカスが命なので、カメラマンの横に補助が付いて、あうんの呼吸でフォーカスを合わせていきました。
――かなり厚い体制ですね。
そうですね。4Kでマルチカメラ撮影する場合、カメラマンがひとりで画作りとフォーカスを管理するのが一般的だと思います。この場合、カメラマンはクリエイティヴとテクニカルの両面を要求され、負荷が高くなります。
今回は、狙いをもった画作りが物語を語る上でとても重要なため、画作りはカメラマン、テクニカルはフォーカスマンと役割分担する厚い布陣で臨みました。
――ベースでの実際の作業は。
ベースのモニターでは、それぞれの4Kカメラが収録したものを、ハイビジョンにダウンコンバートした映像で確認しました。4Kで伝送するとなると中継車が出動しエンコード、デコードする必要があるので、それを省いて簡易にしたわけです。ディレクターの私はベースにいて、カット割り、構成、内容などのクリエイティヴな部分を考えました。カメラマンはコンサートやミュージック・ビデオなどを撮っている一流の撮影監督クラスが集まりました。画作りに長けたクリエイティヴなカメラマン達でしたから、あまり細かい指示は出しませんでした。
――クリエイティヴな部分で意識した点は。
4Kは美しい自然のアルバム的な映像や、パンフォーカスのグラビア的なもの、あるいはスポーツ中継で最大限の特徴が活かせるというムードがあったので、それとは一線を画した、違うことをやりたいと思いました。ロングがあれば当然アップもあるし、サイズや角度の違いも組み合わせて、ストーリーを大切にして伝えていくのがコンテンツの本来のあり方なので、いろいろなカット割りをしました。また最初と最後に観世さんのインタビューを入れるなどして、コンテンツとしてのパッケージ感を重視しました。
――撮影で想定外だった点は。
リハーサルが無かったことと、思ったよりも暗かったことですかね。どういう動きを実際されるか分からなかったので、カメラマンは瞬時の判断で、横にいるフォーカスマンと以心伝心で撮影しました。また夜の撮影で、薪の炎も小さかった。暗さの限界に挑戦し、カメラのゲインを最大限に上げて撮影したためにノイズも多く拾い、後処理(ノイズ・リダクション)で消すのに時間がかかりました。
――それ以外は想定通りでしたか。
そうですね。今回のもう1つの目的は、ストレスなく4Kコンテンツを作ることでしたが、実際、現場ではあまり苦しみませんでした。それはやはりマルチ収録をして、信頼関係のもとにクリエイティヴとテクニカルな部分とをきっちり線引きするなど、ディレクターが映像構成・演出に専念できる環境で撮影に臨めたのが大きかったです。NEPには4Kの撮影からポスプロまでを熟知する技術コーディネーターがいるのですが、撮影体制作りにはその力が大きかったと思います。
――編集作業はどれくらいかかりましたか。
昨年11月末から12月末に完成するまで、オフライン編集に2週間、オンライン編集に同じく2週間くらいかかりました。そのなかにはノイズ・リダクションやカラー・グレーディング、テロップや文字を入れたり、合成なども含まれます。4KのRAWデータは重いので、NEPの開発した「MASAMUNE」システムを活用して、実時間の半分ほどの時間でハイビジョンにダウンコンバートし、オフライン編集に入りました。タイムコードを「MASAMUNE」で読み込み4Kオンライン編集のフローにのせられるので、従来の編集作業と同じプロセスで進められ、あまりストレスを感じずに済みました。
『薪能 安達原』
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――今後NexTV-Fの4K試験放送で放送されますが、4Kコンテンツ『薪能 安達原』の見どころは何でしょうか。
今回スタッフ一同の気持ちは、能を格好良く撮ることでした。これまでの能の撮影は、ゆったりとしたカット割りで、あまり画面サイズも変えずに見せるのがメジャーだったのを、今回はミュージック・ビデオを見ているかのようにカット割りするなど、新しいスタイルの演出をしました。4Kという新しいメディアを武器にしたことで、新しい演出にチャレンジするマインドにつながり、実現出来たのだと思います。4Kが従来のスタイルを打破して、新しい価値を作れるメディアとして捉えられると良いなと思っています。また観世さんも、能を若い人や、世界に向けて発信していきたいと思われている。しかし従来と同じことをやっていても、なかなか広がりを持たない。そんな時に、4Kによって新たな切り口で能を表現すれば、ターゲットが広がったり、新しい魅力を発見してもらえるのではないかという我々の思いが、観世さんにも伝わって制作が実現出来たと思います。従来のスタイルを壊すことで、新しい能の価値を見せられればと思います。
取材・文/構成: 小川 航