トークイベントの様子
例えば俳優が「サンキュー」と言えば、フィルムの「サ」から「―」のところまで印をつけて、フィルムの長さを計る。単位は「cm」ではなく、「フィート」を使う。「サンキュー」なら1フィートぐらいかな。1フィートは30cmくらい。フィルムは1フィートに16コマある。例えば、「この台詞なら1フィートと10コマだから、日本語字幕なら何文字だな」と考えていく。決まっているルールは、1フィートで日本語3文字。1フィートと10コマの台詞なら5文字くらい。5フィート4コマの台詞なら16文字くらいでいいかなと。その数字のリスト(スポッティングリスト)をどんどん作っていく。スポッティングリストが出来上がったあと、その文字数の中で日本語を決めていく作業に入る。
でも、デジタル時代はフィルムがないから、フィルムの長さではなく、何分何秒で決めている。今は1秒4文字という大まかなルールがある。でも実はこのルールは僕が作った。計算すると、だいたい3フィートが2秒。そして3フィートは9文字。つまり2秒で9文字だから、1秒で4.5文字。だけど、そんな半端な数字では混乱してしまう。そのルールを決めた時はビデオでテレビ画面で映画を観るようになっていたので、映画館で観るよりも文字数は少ない方がいいであろうと考えて、「1秒=4文字」と勝手に決めた(笑)。だから、一応1秒=4文字にしているけど、全然守る必要はない(笑)。
MC では、どうしても1文字足したいと思ったら…
菊地 全然問題ない(笑)。字幕を最初に流したのはNHK。戦後、外国映画をNHKで放送する時に字幕をつけた。その時から、NHKから字幕の仕事が来た時は、1秒3文字と決まっている。なぜなら、NHKはお年寄りから子供まで観るから、ゆっくり読んでも大丈夫なように3文字となった。短い文字で表現しないといけないからNHKの翻訳は難しい。
MC 原稿用紙に書く作業は、今はやっていないのですか。
菊地 とっくの昔になくなっている(笑)。そして、文字を打ち込む作業はレーザー光線で書き込む方式に替わり、数年前まではこのレーザー方式だった。つまりデジタル時代まで私は3世代を生きてきたことになる(笑)。
日本語がわからないこともMC 思い入れのある作品はありますか。菊地 「テトラ」という字幕のラボにいた通称“お母さん”という人がいて、最初はその人に字幕の付け方を教えてもらったんだけど、江戸っ子だから早口で説明されて「じゃあやってみて」って。その時にやった、サマセット・モーム原作のトーキー映画『雨』が思い入れがある。先生方からは「良かったよ」と言われた。実はけっこうデタラメだったんだけどね(笑)。
MC 英語がわからなくて困ったことはありますか。
菊地 この間のスパイダーマンだと、「日本語がわからない」ということがあった。英語だと何となくイメージが沸くけど、それを日本語に翻訳するのが難しい。劇中に「エレクトロ」という電気の怪物が出てくるんだけど、ヒロインがスパイダーマンに「あなた中学2年の時に理科の勉強しなかった?」と聞いて、「なんだ?」と言ったら、釘をマグネタイズすると「it folds electric charge」という台詞がある。「electric charge」は充電。それがフォールド、支える。electric chargeをフォールドする…。「?」だよね(笑)。中学2年生の時にそんなのやってないよって。ちょうどうちに専攻が電気の人間がいて、彼に訳すのを頼んだけど「う~ん」と唸っちゃって。しばらくしてから「電荷を担う」と言ってきたんだけど、「なんだそりゃ!?そんなの字幕にできないよ」と却下した。さて、どう訳したのか、答えは映画館で確認してください。
MC デジタル時代になって困ったことはありますか。菊地 昔は、初号チェックをして、字幕に間違えがあったら直していた。だから映画館で上映される時は間違いのないものになってた。ところがデジタルになって、字幕を入れる作業がアメリカになってしまった。そうすると、ファイナルの完成版を観ることができず、帰ってきた時はもう直せないという状況になっていることがある。
実は『ウルフ・オブ・ウォールストリート』の1シーンで、「店頭銘柄で一株10セントです。うちのアナリストは凄い予想しています。6000ドル投資すれば、6万ドル以上の利益が出ます」という台詞があり、自分もその通り翻訳した。けれど、上映されたものは「6000ドル投資すれば、6000ドル以上の利益が出ます」となっていた。誰が途中で変えてしまったのか…。あまり気づかれていないようだったけど(笑)。
MC ACクリエイトは、字幕以外に吹替翻訳もやっているんですよね。
菊地 吹替もたくさんやっています。当社では『LIFE!』もそうだし、『アバター』の吹替翻訳もやった。字幕と吹替は全然発想が違う。字幕は、完成品が文字。翻訳する時は、文字になった時にどう見えるかを頭に入れている。漢字が良いのか平仮名が良いかとか。
一方、吹替は文字ではなく耳に聞こえてくる音だから、どう聞こえるかを考えて翻訳している。英語をそのまま日本語に訳すのではなく、英語の言葉に意味があれば、それを日本の言葉のイメージに変える。「意訳」だね。心はそのままに、日本語でどうするか。例えば「橋のはし」は、字幕なら何も問題ない。でも吹替版は「はしのはし」と言われても「何のはし?」となる。だから吹替だと違う訳し方になる。
MC 字幕版と吹替版は、すり合せの作業もあるんですよね。菊地 最近それも細かくチェックされるようになっている。映画館で上映するだけの時は、翻訳に差があってもあまりわからなかったけど、今はDVDで細かく翻訳の違いを指摘するファンの人も出てきたため、映画会社の人から「合わせて」と要望が出ることもある。できるだけそうしているけど、お笑い系の映画の場合、吹替はニュアンスで翻訳しているから、字幕と吹替を合わせるのは難しい。
人によって字幕の量は変わるMC 翻訳家によって字幕の量は変わるのですか。
菊地 そうです。箱の切り方によって、字幕の量が変わる。長いのが好きな人、短いのが好きな人、色々います。僕がやる映画はアクションが多いから120分の映画だと(タイトルカードは)平均して1000枚くらい。戸田さんは1600枚ぐらいかな。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』は3000枚と驚異的な枚数だった。でも、あれでも実際にしゃべっている量の半分くらいしか訳していない。あれを全部訳して字幕にすると、あまりに忙しくて観ている人は疲れてしまうと思う。だから、重要な台詞のものを選んで字にした。去年の『ホワイトハウス・ダウン』もアクション映画なのに2000枚もあった(笑)
MC 最後に外国映画の魅力について伺えますか。菊地 なぜアメリカ映画を観る人が減ったのか?と思っていて、いくつかの理由があるんだろうけど、例えば日本とアメリカの距離が縮まった。映画を観なくてもアメリカのことを知れるようになった。あと、例えば昔の『007』はありとあらゆる夢が詰まっていて面白いものがたくさんあったが、今はそれが実現してしまっているものが多い。映画の中に夢を見ることができなくなっている。映画を観るモチベーションが低くなっているんじゃないかな。それに、日本人は東京にいれば世界中の美味しいものが全部食べられるという。
でも、それは違う。僕はあちこち行っているけど、その場所でしか経験できないことがたくさんある。外国映画には、日本人の知らない生活、心がある。僕が言いたいことは、日本の中に小さくまとまらないで外国映画も観ようよという感じかな。 了
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取材・文/構成: 平池 由典